板東英二は甲子園球児時代の奪三振記録が凄かった!「単なるゆで卵好きのオッチャン」ではない!

板東英二といえばゆで卵!?実は野球の記録が凄かった!

板東英二のゆで卵好きの原点は満州からの引き揚げにあり!ゆで卵は白身しか食べていない?

元プロ野球選手のピッチャーの板東英二(ばんどうえいじ)は、プロ野球解説から司会者・俳優・実業家までこなすマルチタレントとして知られています。世間では、「板東英二といえばゆで卵」というほど、ゆで卵を好んでいるイメージが強烈です。

その理由は、彼の育った環境にあります。中国の満州(現・中国東北部)で生まれ育った板東英二は、終戦により、着の身着のままで日本へ引き揚げることを余儀なくされました。途中、空腹に耐えられなくなり、中国人の農家の鶏小屋に忍び込んで卵を失敬したものの、見つかってしまう可能性があるため火も焚けません。仕方なく、生のまま卵をすすり飲んで命拾いした経験から、食べたくても食べられなかったゆで卵に尋常ならざる思い入れがあると言います。

それが高じて、東京から新大阪までの新幹線の移動中、なんと最高9個のゆで卵を食べたとか。しかし、周囲の証言によると、板東英二は、ゆで卵の白身しか食べていない様子。それは、健康への配慮から、医者から「板東さん、なんぼなんでも黄身は我慢しなさい」と諭されて、我慢してようです。

板東英二は甲子園球児としての奪三振記録が凄かった!「リリーフ専門のパイオニア」との評も!

板東英二の現在のタレント活動を見ると、元プロ野球選手だったことが想像できない方も多いのではないでしょうか?かつて甲子園球児としてファンを沸かせ、中日ドラゴンズでもリリーバーとして活躍した経歴は、タレント活動より薄くなっています。
1940年4月5日生まれの板東英二は、満州国虎林生まれの徳島県板野郡板東町(現・鳴門市)育ち。身長170cm、体重70kgで、右投げ右打ちです。
プロ通算成績は、実働期間11年で、435試合に登板して77勝65敗、防御率2.89を記録しています。徳島商業高時代の1958年、第40回全国高等学校野球大会では、準々決勝で対戦した富山県立魚津高・村椿輝雄との壮絶な投手戦が今も語り草に。板東英二は、延長18回を投げ抜いて、25奪三振を記録。0対0で18回を終了し、引き分け再試合となりました。再試合では、腰痛のため麻酔注射を打って登板。麻酔切れに苦しみながらも、9奪三振で完投勝利しています。

当時の大会記録64奪三振を更新した板東英二は、決勝で山口県立柳井高に敗れるまで、大会通算83奪三振の記録を生みました。準々決勝の25奪三振とあわせて、これらは今もなお破られていない大記録です。その後、1959年に中日ドラゴンズに入団した板東英二は、高校時代から右肘を痛めていた影響で現役生活は11年と短かったものの、2桁勝利5回を記録。

現役時代後半は名リリーバーとして活躍し、「日本球界のリリーフ専門ピッチャーのパイオニア」と評価する向きもあります。「単なるゆで卵好きのオッチャン」だと思っていたら大間違い!今もなお中日ファンに愛される「燃えよドラゴンズ!」を初めて歌唱した人物こそ板東英二だということもお忘れなく。

板東英二の妻は名家のお嬢様?ケシの花騒動とは?!

板東英二の妻は名家のお嬢様だった!プロ野球選手が玉の輿に?

板東英二の妻は、かなり裕福な名家のお嬢様だと有名です。野球選手と由緒ある名家出身のお嬢様が結婚するという話は、寡聞にしてあまり聞きませんが、板東英二の妻の実家は男爵家という上品なお家柄。つまり「セレブ」です。板東英二もタレントとして相当な収入があるはずなので、妻の実家がこれほどの名家とくれば、高級住宅街として知られる世田谷区の成城に1000坪の自宅があるのも納得できるというものでしょう。

2人が結婚するきっかけを作ったのは、板東家が満州で暮らしていた時期に、近所で洋服店を営んでいた人物です。甲子園球児として名を馳せた板東英二の活躍ぶりを知り、彼がプロ入りした後に、妻の父親と引き合わせました。その父親から高名な整体師を紹介された板東英二は、中日の東京遠征中にその整体師から治療を受けるたびに父親や娘と会うようになり、21歳でゴールインしています。

板東英二はケシの花騒動で逮捕寸前に?違法植物栽培の嫌疑で警察に踏み込まれた!

板東英二は、ケシの花のために、あわや逮捕寸前の騒動に巻き込まれたことがありました。繁殖力が強く、意外なところにも咲くというケシの花は、果実がアヘンやモルヒネの原料となるため、一般人の栽培は厳禁という違法植物。名家出身の妻との間に長女が誕生した板東英二は、自宅での記念撮影写真がスポーツ新聞に掲載されましたが、そこにケシの花がバッチリと写り込んでいました。

すると翌朝、警察官7~8人が、血相を変えて彼の自宅へ。「中日の板東英二が自宅でケシ栽培か?」という嫌疑によるものでした。当の板東英二からすれば、ケシの花を栽培していたなどとは身に覚えのない話。どこからか飛んできたケシの花の種が、板東英二宅で自生したものだと見られます。

事実、特に罰金などはなく、警察がケシの花を引っこ抜いて騒動は一件落着しました。時は流れて、近年、全く同じような騒動の渦中の人物となったのが、HKT48メンバーの植木南央です。アスファルトの隙間から茎を伸ばしている花の写真をアップしたところ、ケシの花だったため、警察から「違法植物です」と指摘されたと言います。

さらに、花に水をあげている写真もアップしたため、違法植物栽培まで疑われたとか。幸いにも嫌疑は晴れたものの、まるでそっくりなてん末をたどったため、ネットでは「板東英二の再来」とまで書かれる有様でした。似たようなことはあるものですね。

板東英二の「カエル食べてた」体験談に大爆笑!日本初のカレーのレシピに採用された歴史あり!

板東英二は、TOKYO MX「バラいろダンディ」にゲスト出演した時に、「カエルを食べた」と発言して出演者を爆笑させたことがあります。「子供の頃の夏休み、いろんなものを獲って遊んでいたんですか?」と振られた板東英二は、「遊んでたというよりはね、僕らは(カエルを)食べてたんでね」とコメント。その体験談に、出演者一同はビックリ!

番組MCのプロレスラー蝶野正洋が「どこを食べるものなんですか?」と驚きを見せると、「足を食べてた。ちょうど白身みたいな味でね」と返し、満座の笑いを誘っていました。日本へは1918年にアメリカから食用目的に輸入された歴史がある食用ガエルは、その後、各地で野生化しました。料理してカエルを食べるヨーロッパ向けに、日本で飼育して輸出していたこともあったようです。

なぜ足しか食べないのかと言うと、食用ガエルは、ありとあらゆるものを食べているため、さまざまな寄生虫を宿しているから。味は、板東英二も語っていた通り、淡白で、鶏のささみのようだと言います。実は、日本初のカレーのレシピでは、カエルの肉が採用されていたというほど由緒ある(?)食材でもあるとか。

戦後の食糧入手困難な時期に、貴重なタンパク源としてカエルが食べられていたこともあったと聞くと笑ってばかりもいられませんが、厳しい食体験もなんのその、ただでは転ばない板東英二。現在はYouTubeに進出し、「B.E.」(=Boiled Egg=ゆで卵)と名乗り、「ゆで卵に合うシロップグランプリ」などの面白動画で爆笑を誘っています。この年齢でさまざまなチャレンジを重ねる意欲にはもう脱帽です。

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