ケーシー高峰は医事漫談ネタ創始者だった!医師資格は持っていたの?

ケーシー高峰は医事漫談ネタ創始者!医師資格は持っていたの?


ケーシー高峰のプロフィール
◆生年月日:1934年2月25日
◆死没:2019年4月8日
◆出身:山形県
◆身長:174cm
◆血液型:AB型

ケーシー高峰は、立川談志やビートたけしも絶賛する芸人だった!

ケーシー高峰(ケーシーたかみね)は、1934年生まれの芸人。かの立川談志師匠やビートたけしが絶賛してやまない、至高のピン芸人です。

ケーシー高峰はドクターと呼ばれていたのですが、立川談志は「ドクターは凄(すげ)ぇ。ドクターに勝てるスタンダップ・コメディアンは、俺かビートたけしくらいだ」と、その芸のセンスを評価していました。

寄席でのケーシー高峰は、黒板やホワイトボードをバックに、白衣を着て、「グラッチェ」や「セニョリータ」など怪しいスペイン語・イタリア語と、医学用語を織り交ぜながら、とつとつとした山形弁で語る、とんでもなくエロい漫談を行っていました。

これだけピン芸人が増えた今でも、こうした医事漫談ができる芸人は他におらず、ケーシー高峰が、日本初であり唯一のお色気医事漫談ネタのピン芸人であったといえます。

ケーシー高峰は医者一族のボンボンだった?医師資格は?

ケーシー高峰の母方の先祖は、実際に代々医者の家系です。ケーシー高峰の母も生涯産婦人科として働いていただけでなく、兄弟、一族の多くが医師や歯科医となっています。ケーシー高峰本人も、日本大学医学部へ入学を果たしたのですが、医師資格を取ることはままならず、親に隠して日大の芸術学部へ転部。いつしか、医師を目指していたはずのケーシー高峰は、演芸の道へと歩み始めました。

世はテレビの創成期。数々の演芸番組が生まれ、寄席芸人たちが大挙してテレビに出演して人気者となった頃、ケーシー高峰も、漫才コンビ「大空はるか・かなた」として活動を開始しました。しかし1968年、改名してケーシー高峰となった彼は、エロ医事漫談のピン芸で一世を風靡します。ケーシー高峰は、医者にはなれなかったものの、家族を通じて医学書を取り寄せ、その豊富な本物の医学知識を活かして独自のピン芸を生み出したのです。

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ケーシー高峰の名言やギャグ!放射能ネタとは?泉ピン子、あき竹城とのイイ関係!

ケーシー高峰の名言やギャグ!放射能もきわどいエロも爆笑ネタに

ケーシー高峰は、東北山形の出身で福島に住んでいたということもあり、福島の原発事故に対しても超辛口なジョークを飛ばしました。国民的演芸番組である「笑点」で最多出演を誇るケーシー高峰は、震災後「笑点」に出演した際、舞台に出てくるなり、「放射能の原産地、いわき市よりやってまいりました。皆様方に放射能をお分けしたいと思います」と語って、いきなり着ていた白衣をバサバサと払ったそうです。後にこれを「東電への嫌がらせ」と語り、住人だからこその社会風刺であったことがわかっています。

ほかにも「肥満がすすんでくると、運動不足になる。散歩に出るのも億劫だ。これを医学的には出不精(デブ症)という」。少しきわどくなりますが、「八の字形に発達した乳房を持った女性はファザコンの傾向が強いと言われる。しかし、ある瞬間、父親が急に不潔に見えて距離を置きたくなってしまう。これを乳離れ(父離れ)と言う」といった漫談をしています。

ケーシー高峰の漫談は、確かにエロく下品ではありましたが、医事だけでなく、その時々の時事ネタを巧みに取り入れ、笑いによる痛烈な社会批判で、客たちに大きな共感を呼び起こす、高度な話芸でした。

ケーシー高峰の芸名の由来は?レコードも出していた

ケーシー高峰の芸名の由来は、テレビ創成期に大ヒットしたアメリカのテレビシリーズで、脳外科医の活躍を描いた「ベン・ケーシー」と、ケーシーの少年時代、地元の最上町に1941年公開の映画「馬」の長期ロケでやって来て、一目惚れした女優・高峰秀子の名前を組み合わせたものだそうです。

ケーシー高峰は、漫談だけでなく、コメディアン、俳優、歌手としても活躍してきました。同じ寄席出身の泉ピン子や、ヌードダンサーから女優となったあき竹城とは、若い頃からの知り合いで、その後も、テレビドラマなどで何度も共演しています。

あき竹城も山形県出身ということで、ケーシー高峰とあき竹城は1986年12月に「やっぱり山形」というシングルレコードをリリースしています。ケーシー高峰は他にも1970年5月に「そりゃあないぜセニョリータ」や、1970年10月に「いこうぜセニョール」などいくつかのレコードをリリースしています。

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ケーシー高峰は「木更津キャッツアイ」に出演!2019年に死去

ケーシー高峰は木更津キャッツアイに出演!医師役での出演作も

ケーシー高峰は、2002年1月から3月まで放送されていた宮藤官九郎作ドラマ「木更津キャッツアイ」にて小峰社長役で出演していました。木更津一の高額納税者であり、ヤクザでオカマの小峰社長を演じた、ヒキガエルのような怪優。この怪優こそ、玄人の演芸マニアが泣いて喜ぶ、ケーシー高峰大師匠だったのです。「木更津キャッツアイ」でも数々の下ネタ発言をしており、一時期それがメディアや視聴者の間でかなり話題になりました。

1984年3月に公開されたアニメ映画「おしん」には、声優として医者役で出演。このアニメ映画「おしん」は、TV版のオリジナル出演者が数多く登場したことで知られています。

2014年1月から放送されたドラマ「トリック新作スペシャル3」ではケーシー高峰が久々のドラマ登場となり、高橋医師役を好演。ドラマ「トリック」が、ケーシー高峰が出演した最後のドラマとなりました。

インタビューで白衣に聴診器のスタイルを貫いた理由を「医師になれなかったけれど、白衣をきて親孝行したい」という気持ちからだったと明かしていたケーシー高峰。ステージだけでなく、役柄でも医師役を演じていました。

ケーシー高峰は病床でも笑いを追求していた!2019年に死去

ケーシー高峰は2019年4月8日、肺気腫のため入院先の福島・いわき市の病院で85歳で死去しました。ケーシー高峰が雑誌「週刊大衆」で連載していた人気コラム「グラッチェ哉、人生」の担当をしていた編集者は、ケーシー高峰に対し「誰に対しても偉ぶるところがなく、いつもニコニコしていました」とその性格について語っています。「プライベートでもギャグがポンポン飛び出し、宴会がお開きになると必ずポチ袋を出して小遣いをくれました。これまで仕事柄、何人もの芸人さんと接してきましたが、ケーシー師匠は人間的にも一番スケールが大きかったように思います」とケーシー高峰の人間としての懐の広さについてもコメントしています。

ケーシー高峰は2005年に舌癌の手術をしていましたが、術後「タン(舌)キュー・べろマッチ」と変わらぬノリで復帰。2018年4月、肺の病気を患い、3週間ほど入院しました。その後は仕事を控え、自宅療養を続けていたようです。最後の仕事は2018年9月に収録されたBS朝日の「お笑い演芸館+」でしたが、体調が万全ではないにも関わらず、鼻に酸素吸入器を取り付け、椅子に座って漫談を行っていました。

コラムの編集担当者も「『ネタが作れなくなったら芸人は終わり』というのがケーシーさんの考えで、常に世間の動きを勉強していました」と語っており、病床にあってもケーシー高峰は最期まで芸人としてのプライドを持っていたようです。訃報記事にダジャレ、下ネタ、エロ用語が並び「グラッチェ!(ありがとう)」で締めくくられるケーシー高峰という偉大な芸人は、医事漫談という治療法で人々の心を救い続けた唯一無二の天才ドクターだったのかもしれません。

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