上岡龍太郎という天才芸人の現在!引退理由は何だったのか?

2020年6月1日 更新

上岡龍太郎という天才芸人の現在!芸能生活の歩みは?

上岡龍太郎のプロフィール
◆生年月日:1942年3月20日
◆出身:京都府
◆身長:165cm
◆血液型:AB型

上岡龍太郎はトリオ漫才で一世を風靡!解散後は司会業にひっぱりだこ

「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流。恵まれない天才、私が上岡龍太郎です」という惹句とともに、大阪のテレビ業界を席巻した芸人が上岡龍太郎です。1960年に横山パンチという芸名で、元大阪府知事であった故横山ノック、横山フックとともに、漫画トリオを結成しました。トリオ漫才として一世を風靡しましたが、リーダーの横山ノックが政治家に転進したことで、解散。横山パンチは上岡龍太郎として、ピン芸人の道を歩み始めます。

やがて、流暢で歯に衣着せぬ司会ぶりが人気となり、続々と仕事が舞い込むようになりました。司会としては、横山ノックと再び組んだ関西テレビ「ノックは無用!」や、鶴瓶とのフリートークで爆発的人気を誇った読売テレビの「パペポTV」、あの直木賞作家、百田尚樹が構成をしていた朝日放送の「ラブアタック!」など、数々の人気番組に出演。さらに、現在も放映されている関西のお化け番組「探偵!ナイトスクープ」の初代局長としても活躍していました。

上岡龍太郎、宣言通りに芸能生活40周年で完全引退!現在までのメディア露出は?

デビューから40年間、上岡龍太郎は関西の芸能界におけるドンとして君臨し続けました。しかし、上岡龍太郎は、かねてから番組で「私は、芸能生活40周年を迎える2000年の春になったら完全に隠居する!」と公約していたのです。そして宣言通りにものの見事に芸能界を引退し、人々を驚かせました。

以降、現在まで芸能界の表舞台に立ったことは1度もありません。その動向が世間に知られるところとなるのは、知人の芸能人が開催するイベントや慶弔事への出席など、ごくわずかな機会のみ。隠居と表現した通り、穏やかに暮らしているのでしょう。

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上岡龍太郎との因縁が囁かれた人物とは?横山ノックへの弔辞が泣ける!弟子テントの葬儀での姿は?

上岡龍太郎は、戦争反対論者で超オカルト嫌いだった!

上岡龍太郎は、戦争反対論者であることでも有名でした。あるとき、「探偵!ナイトスクープ」で、まだ槍魔栗三助と名乗っていた生瀬勝久が、戦争で活躍した老人について「戦争で勇ましかった」とコメント。すると、リポートを見ていた上岡龍太郎が、戦争賛美であると激高し、生瀬勝久が番組を降板するという事件がありました。

また上岡龍太郎は、オカルト嫌いでも有名で、当時霊能者として人気のあった織田無道とは、番組で一触即発、乱闘寸前までいったという逸話も残っています。

上岡龍太郎という笑いの天才が「ボケの神様」横山ノックを送る伝説の弔辞

上岡龍太郎の才能を見出したのは、横山ノックでした。上岡龍太郎が、研ぎ澄まされた笑いの天才とするならば、横山ノックは、天衣無縫、ボケの神様であったといえます。2007年、横山ノックの葬儀で読まれた上岡龍太郎の弔辞は、笑いの天才が、ボケの神様を送る見事なものでした。

上岡龍太郎による弔辞は「漫才師から参議院議員、大阪府知事から最後は被告人にまでなったノックさん。相方や住まいや肩書はコロコロ変えたけど、生涯奥さんだけは替えることがなかったノックさん」と、名調子で語り出されました。

「人を笑わせるのに自分は泣き虫で、賑やかなことが好きな寂しがり屋で、ああ見えて意外に人見知りで、甘えん坊で、頑固で、意地っ張りで 負けず嫌いで、天真爛漫で子供っぽくて可愛くて、そしていつでもどんな時でも必ず僕の味方をしてくれたノックさん」と続けた終盤には、葬祭会場全体が涙と感動で包みこまれました。

上岡龍太郎自らが師匠志願した、弟子テントの死にぼうぜん自失

2016年9月27日に上岡龍太郎の弟子で、あまりテレビに出演しないことから「ツチノコ芸人」と呼ばれていた、ピン芸人テントが不慮の死を遂げました。死因は交通事故で、まだ65歳という年齢でした。葬儀に参列するため、久々にマスコミの前に姿を現した上岡龍太郎は現役時代のシャープな面影を残してはいるものの、出棺するテントをぼうぜんと見送り、終始無言。後に関係者を通じて、「突然のできごとで、衝撃的でぼうぜん自失としております。さすがの私も言葉がございません」というメッセージを寄せ、その喪失感を伝えました。

実は、このテントに惚れ込んだのは上岡龍太郎のほう。自らテントの師匠になることを志願したのだそうです。2016年の正月、上岡龍太郎の家に挨拶に訪れたテントともう1人の弟子ぜんじろうは、兄弟会を開こうと意見が一致。上岡龍太郎も満足そうに聞き入っていたといいます。そして同年8月18日に2人は大阪で、初めての兄弟会を開いたばかりでした。上岡龍太郎にとっては、自分が認めた笑いの天才を世に送り出せなったことに、大きな後悔が残ったようです。

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上岡龍太郎の引退理由を考察、去り際の美学とは?

上岡龍太郎の引退理由を「探偵!ナイトスクープ」の放送作家を務めた増山実が分析!

宣言通り、2000年に表舞台から完全に姿を消した上岡龍太郎。58歳での早過ぎる引退でした。引退の理由について、本人は「ボクの芸が通用するのは20世紀まで」「落語や講談と違って、テレビの場合は年を取ったら老醜をさらすだけ」などと明かしていました。しかし、「探偵!ナイトスクープ」の放送作家を務めた小説家の増山実は「本心は別のところにあったのでは」と振り返っています。

増山実は「上岡龍太郎の話芸と圧倒的なセンスなら、その後10年、20年と芸能界のトップに居続けることができたはず。それでも引退を選んだのは、おそらく自分の限界ではなく、テレビの世界に限界を感じたからではないか」との推測を展開。さらに、90年代後半頃からクレームを恐れて慎重になっていったテレビ業界の変化に触れながら「上岡龍太郎の魅力の1つはストレートな物言い。テレビの世界ではやりたいこと、言いたいことを表現できなくなると敏感に感じ取ったのでは」と、その引退理由を分析しました。真相は本人にしかわからないことですが、同じ業界に身を置き、ともに仕事をしてきた人物の考察には説得力があります。

上岡龍太郎が見せた、去り際の美学

上岡龍太郎は切れ味の良い毒舌で知られ「知性で笑わせられる芸人」としての評価をもった類まれなる存在でした。他人を厳しく観察するだけではなく、自身と取り巻く環境の変化すらも冷静に見際め、絶頂のうちに消えるという道を選んだのでしょう。

築き上げた地位に安住するよりも美学を優先したその潔さが、今も「上岡龍太郎はすごかった」「もう一度あの姿が見たい」と懐かしむ声につながっているのかもしれません。

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