千葉マリアと松方弘樹の隠し子騒動!長男の父親は誰?

2019年3月5日 更新

千葉マリアと松方弘樹の隠し子騒動!長男の父親は誰?

千葉マリアが、松方弘樹に隠し子の存在を隠していた理由とは

松方弘樹という昭和の大スターは、女性関係もまた華やかで、罪深いものでした。結婚してすでに1男2女をもうけていた松方弘樹は、1979年、37歳の時に、歌舞伎俳優岩井半四郎の娘で、将来を期待される新人女優だった仁科亜希子との不倫が発覚。3億円の慰謝料を払って妻と離婚した松方弘樹は、仁科亜希子を略奪するかのように再婚します。

やがて仁科克基、仁科仁美が生まれますが、1987年に愛人・隠し子騒動が勃発。その相手こそ、クラブ歌手であった千葉マリアであり、隠し子の十枝真沙史です。松方弘樹は、千葉マリアと関係を結んだものの、彼女が子供を産んだことは知りませんでした。しかし、騒動が公になると、松方弘樹は十枝真沙史を認知し、成人するまで月30万円の養育費を払っていたそうです。

千葉マリアの長男は、今話題の薬物依存症回復施設「館山ダルク」代表、十枝晃太郎

千葉マリアもまたバツイチでした。元夫は夕刊紙の記者で、博打打ちのどうしようもない男だったといいますが、そんな元夫との間に授かったのが長男でした。この長男こそが、最近何かと話題となり、自身もマスコミにたびたび登場する、千葉県館山にある薬物依存症回復施設「館山ダルク」の代表である十枝晃太郎です。元夫と離婚した千葉マリアは、生活のためクラブ歌手として働くようになり、そこで松方弘樹と出会い、真沙史を産むことに。松方弘樹のスター人生の陰には、千葉マリアと異父兄弟の壮絶な人生がありました。

千葉マリアもがんを罹患していた!本名やプロフィールは?

千葉マリアは、演歌のような日陰者の女だった?!

千葉マリアは、まさに演歌が描くような日陰者の女でした。千葉アリアは、1949年生まれの67歳。本名は、十枝(とえだ)という珍しい苗字で、十枝みつといいます。千葉マリア自身も母子家庭に育ち、16歳で高校を中退。母との暮らしを少しでも支えるため、さまざまなアルバイトをしていましたが、ある日、芸能事務所にスカウトされ、歌手デビューを目指します。

しかし17歳の時、5歳年上の夕刊紙記者と結婚。長男をもうけたものの、まだ若い夫は博打依存で、全く生活力がありませんでした。千葉マリアは、既婚で子供があることを隠して華々しく歌手デビューしますが、鳴かず飛ばず。夫とも離婚して、生活のためクラブ歌手として歌っていた時、松方弘樹に出会い、子を成す仲となりました。

千葉マリアの前半生を見る限り、決して悪い女性ではないけれど、まだ若くて思慮が浅い恋愛体質の女性であったといえます。逆にいえば、まさに演歌に登場するような、男性にとって都合のいい優しい女性だったのでしょう。実際、松方弘樹との隠し子騒動が公になるまで、千葉マリアは十枝真沙史を生んだことを、松方弘樹には伝えていませんでした。

一方、松方弘樹の隠し子のことを知った仁科亜希子は、松下弘樹にパイプカットを強要しています。いはやは男性にとって、女心の深層を理解することは本当に難しいことのようです。

千葉マリアの子宮頸がんを克服した女性としての強さ

千葉マリアの苦難の道は、最初の結婚がうまくいかず、日陰の存在として大スター俳優の隠し子を産んだだけではありません。1995年、子宮頸がんが見つかり、闘病生活を余儀なくされます。しかし千葉マリアは、このがんとの闘いにも打ち克ちました。千葉マリアは、弱く不幸なようで、女性としての本質的な強さを持っているのかもしれません。

千葉マリア、昭和の日陰者の女が生き抜いて築いた女性専門薬物依存回復施設「S.A.R.S.千葉」

千葉マリアが、松方弘樹の子、十枝真沙史を妊娠したのは、長男である十枝晃太郎が中学2年生の時でした。十枝晃太郎は、「お袋、始末しろ!」と激怒したそうです。それでも千葉マリアが次男の真沙史を出産したことから、長男の晃太郎は非行に走るように。やがては、10代で大麻や覚せい剤に手を出して、その後10年間、薬物依存症になってしまいます。

千葉マリアは、息子の逮捕をきっかけに、彼の薬物依存を治すため、自宅マンションを改装し、薬物依存症更生施設「S.A.R.S.」を開設しました。現在は、女性専門の薬物依存回復施設「S.A.R.S.千葉」として、その代表を務めています。薬物依存から立ち直った十枝晃太郎もまた、薬物依存厚生施設として有名な「館山ダルク」の代表になりました。

今では、テレビメディアに出演することもしばしばあり、積極的な活動を行っています。「S.A.R.S.千葉」で、母である千葉マリアのサポートを行っているのは、一時は俳優の道を目指していた、松方弘樹の子供である次男の十枝真沙史です。千葉マリアは、貧困、非嫡出子出産、母子家庭、子供の非行、薬物中毒、がんと、ありとあらゆる社会的困難を抱え生き抜いてきました。

ある意味、千葉マリアは、昭和の不幸な女の代表であり、その演歌的ともいえる図太い生き方もまた、昭和の女そのものであるといえます。

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