千原ジュニア、大阪吉本の最終兵器は出遅れ芸人
千原ジュニアは、大阪吉本の最終兵器
今、千原ジュニアが熱い。大阪吉本の最終兵器として、最後に東京へ出てきた千原ジュニアは、今や民放各局、NHK全てにレギュラー番組を持つ超売れっ子です。また、フジテレビ「オモクリ監督」では、千原ジュニア自らが監督した作品が、国際短編映画祭「ショートショートフィルムフェスティバル&アジア」のコンペティション部門にノミネートされ、シャープなお笑いの才能をいかんなく発揮しています。
兄せいじとともに組んだ千原兄弟は、デビュー当時から他の漫才コンビやコントグループを圧倒する独自の笑いで、ダウンタウン以降、二丁目劇場最後のレジェンドでした。カルトな笑いでジャックナイフとも呼ばれた千原ジュニアが、ここまでメジャーになれたことは、ある意味意外で、感慨深いものがあります。千原ジュニアは、今後芸能界で、どのようなポジションを築いていくのでしょうか。
千原ジュニア、マギーを大暴露!毒舌健在!
千原ジュニアこと千原浩史。1974年生まれ、41歳。ちなみに兄の靖史は、1970年生まれの45歳。歳から見ればそれなりにベテランの域です。ナイティナインや雨上がり決死隊などから比べれば、東京進出は一番遅かったものの、ナインティナインは1994年、一方千原兄弟は1996年であり、そんなに時間差はありません。実際は、東京のメディアになじんで売れるまで時間がかかったということなのでしょう。これは、千原ジュニアのキャラクターが大きく影響していると考えられます。東京進出時、そのキャラクターはあまり受け入れられませんでした。関西独特の毒舌は、毒舌と受け止められず、切れ芸人と映ったためです。現在は経験と年齢を重ね、東京での毒舌コントロール術を身につけたようです。ですが、東京を離れた名古屋ローカル番組「千原ジュニアのヘベレケ」では、話かかり頃を彷彿させるゲストへのイジりぶり!最近では、ハーフタレントのマギーがキツすぎと暴露しました!千原ジュニアが品川駅の改札口で、ファンにサインをお願いされたマギーが、ガン無視で通り過ぎたそうです。千原ジュニアとチュートリアル徳井が偶然見かけたエピソードのよう。唯でさえ注目の的の芸能人。一歩外へ出たらご用心です!
千原ジュニア、ジャックナイフから高性能戦闘機への道
千原ジュニアの、絡みづらい本当の理由
千原兄弟ほど、両極端な性格の兄弟もめずらしいと言えます。兄せいじの、人種性別貴賤は言うにおよばず、野生動物さえ物怖じしない、大阪人特有のオープンマインドでノウテンキな性格に比べ、本来、繊細でロマンチックな性格を、うまく言葉で伝えることができず、突発した暴力や引きこもりでしか表現できなかった千原ジュニアは、高校も中退し、自分が生きる道を失っていました。一方せいじは、大阪の勉強ができない面白い子の王道として、NSCに入り、引きこもりであった千原ジュニアを、お笑いの世界へ引っぱり込みます。何が幸いするかわからないもので、千原ジュニアは、お笑いに自分を表現する場を見出し、その才能を開花させたのです。しかしデビューから二丁目劇場時代にかけて、千原ジュニアが描く、笑いの世界観は独特なもので、他の芸人と交わることなく、すでに東京に進出した吉本芸人や地方のNSC芸人たちは、彼を別格の存在として見るようになったのです。こうして千原兄弟は、千原ジュニア本来の尖ったキャラクターとも相まって、近寄りがたい存在となっていきます。そして本人自身はあまり意識していないのに、ささいなトラブルにも周りが気を使い、ナインティナインの岡村や加藤浩次との共演NGがまことしやかに語られるようになるのです。さらにこれがテレビ関係者も伝わり、千原兄弟は扱いづらいというイメージが、彼らを世に出すのを遅らせたともいえます。
千原ジュニア、瀕死のバイク事故で自己変革
東京に進出して4年、千原ジュニアは瀕死のバイク事故を起こします。中でも顔の損傷はひどく、本人が、高須クリニックの院長によって新しい顔を授けられたというほどの整形手術を受けます。結果的に、若い頃の切れ長の目で削げた怖い顔が、少し優しい目つきになりふっくらした顔になったことから、とっつきもよくなるとともに、この事故の大きさが、彼のそれまでのキャラクターをリセットさせたようです。出る番組も、仲間うちのコアなものから徐々に、多くの雛段芸人が出る番組の中で、切れのよいクールなツッコミを入れるのとは逆に、自分が突っ込まれる時に見せるシャイで可愛い表情が人気となっていきました。最近では「赤の力」が元気と幸せを招くという、巣鴨のマルジという店で売っている赤パンツを愛用するばかりか、その姿までTVでさらし、名古屋のローカル番組「千原ジュニアのヘベレケ」や、テレビ朝日のアメトークでは、自らの酔っ払いぶりを見せるなど、かつての彼ではありえなかったベタな笑いにも挑んでいます。また一方では、彼本来の優しさが、内田由紀を初め多くの美女たちを虜にし、その恋愛が彼の芸の肥やしとなり、自信にもつながっていったようです。
様々な番組の仕切り役も安定し、絶頂期を迎えた千原ジュニアは今、1本のジャックナイフから、高性能戦闘機へと、その多彩な攻撃能力を高めています。
千原ジュニアの出身地、兵庫県福知山市ってどんなとこ
千原ジュニアの出身地、兵庫県福知山市は明智光秀の城下町
京都府福知山市は、南北に細長い京都府の、もっとも兵庫県寄りにある内陸の町です。古代から近代に至るまで、日本の歴史を様々に彩る町ですが、中でも戦国時代、明智光秀が築いた福知山城の城下町として栄えました。明智光秀は、本能寺の変で織田信長に謀反を起こしたものの、豊臣秀吉に討たれた「三日天下」の武将でしたが、城主として、城下の様々な整備を行い民衆の支持も厚かったため、今もなお、福知山市の花には、明智氏の家紋であるキキョウが採用され、住民たちの信望は失われていません。
千原ジュニアの出身地、兵庫県福知山市は、丹波栗でも有名
福知山は、農産物が豊かな町としても知られています。中でも丹波黒豆や丹波栗は、有名ブランドとして、全国の洋菓子、和菓子の名店がこぞって求める高級素材。今日は、丹波栗を使った一品をご紹介しましょう。丹波福知山に本店を構える「足立音衛門」がお届けする、栗のテリーヌ「天」は、粒よりの丹波産の栗、そして粒よりのイタリア産カスターニュ種の蒸し栗と、フランス産ラヴィエットAOC発酵バターに、創業文化元年讃岐三谷家の手造り和三盆糖、沖縄粟国の塩、そして北海道産の小麦など、厳選素材だけを使ったフランス焼き菓子。木箱に入った送料&税込みのご贈答用は11,178円。押切もえも絶賛するその上品な味わいは、和菓子を想わせる一品です。