永六輔がパーキンソン病の病状進行でラジオ「土曜ワイド」終了!現在は?

2016年7月11日 更新

永六輔がパーキンソン病の症状進行、現在は?

永六輔の心配されるパーキンソン病の症状が進行

昔CMで、「せきこえのどに浅田飴」と、角刈りなのに妙に甘ったるい声でおしゃべりしていたおじさんを覚えている人も、もう少ないかもしれません。永六輔。1933年生まれ、もう82歳です。

時代を経るに従い、永六輔はマスコミの御意見番的な存在になっていきます。また高齢化社会の先駆けである1994年には、「大往生」というエッセイを書いて、200万部を超えるベストセラー作家となりました。しかし、2010年77歳の時、パーキンソン病と診断されます。

パーキンソン病は、高齢になるほど発症しやすい、脳障害による病気で、手足などが不自由になり、その症状がやがて全身に広がっていく病気です。まだ根本治癒はできず、患者は根気強くリハビリなどを続けていかなければなりません。永六輔は同時に前立腺がんにも見舞われ、現在まで長い闘病生活を続けています。

その病状が心配されていましたが、今年の春、テレビ朝日の「徹子の部屋」に登場。デビュー当時から交友がある服飾評論家のピーコが介添えとしていっしょに出演していました。永六輔は、聞きづらくはありましたが、それなりに会話もできるようで、ファンたちを一安心させました。

永六輔は、秋元康もぶっとぶ昭和の大作詞家

永六輔は、江戸時代に渡来した中国人の学僧を先祖に持つ、浅草生まれでちゃきちゃきの江戸っ子。テレビ創世記の早稲田大学在学中から、放送作家や作詞家として活躍。今も歌い継がれる昭和の数多くの名曲の作詞家として知られています。まあ今で言うなら、秋元康のような、と言ってもよいでしょう。

永六輔「上を向いて歩こう」作詞に秘めた思いと坂本九に激怒した理由とは

永六輔が作詞した「上を向いて歩こう」 昭和の名曲の数々

永六輔が、昭和30年代に作詩した歌謡曲の数々は、今も歌い継がれる名曲ばかりで驚かせられます。「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」「こんにちは赤ちゃん」「帰ろかな」「黒い花びら」「黄昏のビギン」「遠くへ行きたい」などなど。中でも、中村八大の作曲で、坂本九が歌った「上を向いて歩こう」は、30年代中頃、当時まだ訳詩した洋楽がブームであった時代に、日本初の和製POPSとして大ヒット。

この曲こそ、元祖J-POPといってよいでしょう。さらにこの曲に、「SUKIYAKI」というタイトルがつけられ、1963年アメリカで発売されると、6月15日のビルボード誌で、アジア圏の歌手で唯一、週間1位を獲得するという金字塔を打ち立てました。そしてその記録は、2015年の今も破られていません。

永六輔 「上を向いて歩こう」収録時、坂本九を叱った真実

「上を向いて歩こう」を収録するとき、永六輔は、自分の声は棚に上げ、歌い終えた坂本九をひどく叱ったそうです。「なんだ、そのウヘホムフイテなんてヘンな歌い方は!もっと日本語を大切に歌ってほしい」と。しかし、坂本九の歌い方は、坂本九の母がたしなんでいた小唄など邦楽の謡い方や、プレスリーやバディ・ホリーなど当時の洋楽歌手の歌唱法をまねた、和洋折衷、坂本九独自のもの。

永六輔もまた、歌に足りないところをどこかエキゾチックな坂本九の歌唱法が補ってくれた、と認めています。そして、この組み合わせこそが大ヒットにつながったのです。永六輔の作詞法には、普段使っている話し言葉だけを使うというルールがあるそうです。大ヒット曲「上を向いて歩こう」もしかり。

また、この坂本九の「上を向いて歩こう」だけでなく、永六輔が作詩した歌はどれも、高度成長期を迎える昭和の日本の、前向きで希望に満ちた気分を表しているようで、今もその輝きを失っていません。

永六輔 四半世紀続いたTBSラジオ「土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界」が9月に終了

常に時代とともにあった永六輔も、82歳。ついに一線から去る時がきたようです。永六輔の後半生は、ラジオパーソナリティとしての活動が主。しかし、1991年にスタート以来、四半世紀にわたってパーソナリティを務めてきた、TBSラジオ「土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界」が、9月26日をもって終了することが決まりました。

パーキンソン病の進行による言語や体の不自由さが、やむなく降板の理由でしょうが、最近増えつつある高齢者のラジオリスナーにとっては、永六輔の降板を惜しむ声が多いようです。ここしばらく、戦後のマスコミ、特にテレビやラジオを担ってきた多くのタレントが相次ぎ亡くなったり、引退をしたりしています。

テレビやラジオの創成期がそうであったように、古くは青島幸男、愛川欣也、引退した大橋巨泉、そしてこの永六輔のように、その活動は自由で、制限がありませんでした。彼らに特徴的なのは、その自由を守るため常に笑いという武器を持ち、時の政治なり政府に対する鋭い批判精神を持ち続けてきたということでしょう。

今、テレビの一線であるタレントや文化人が、永六輔ら世代のように息長くいられるかは疑問です。「せきこえのどに浅田飴」の永六輔には、黒柳徹子をひとりにしないで、もうしばらく日本の芸能界ににらみを利かせていてほしいものです。

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