藤川球児のストレートは今も健在!成績好調でセーブ数はどこまで伸びる?

藤川球児と広末涼子はクラスメートだった!?

阪神タイガース所属のプロ野球選手・藤川球児は高知県高知市出身、1980年7月21日生まれです。草野球をしている父親が試合でノーヒットノーランを達成した翌日に誕生し、これにちなんで「球児」と命名されたというエピソードは、ファンの間では有名なのだとか。

そのためか、藤川球児はチームメイトやファンから「藤川」と苗字で呼ばれることはなく、「球児」と呼ばれるのが当たり前に。本人も自身の名前について「自分の名前は甲子園球場からもらったようなもの」と誇らしく思っていると語っています。

子供時代の藤川球児は、喘息があり丈夫な身体ではなかったそうですが、それでも地元の少年野球チームでボールを追いかける毎日だったといいます。当初、ショートを守っていた藤川球児は、チーム在籍中に投手へ転向するよう言われたのだとか。彼の素質を鋭く見抜いた、先見の明があるコンバートとしか言いようがありませんね。

藤川球児の故郷である高知出身といえば、女優の広末涼子が有名ですが、実は2人は中学の同級生なのだとか。1998年のドラフト会議で藤川球児が阪神タイガースに1位指名された時、広末涼子は「自分のことのように嬉しい」とコメントし、これからのプロ野球人生を応援する手紙も送ったそうです。

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32歳で念願のメジャーリーグへ!

公立校ながら野球の強豪校として知られる高知商業高校時代は、夏のセンバツに2年生で出場。2回戦で敗れながらも高校日本代表に選ばれ、「高知三羽烏」と呼ばれるほどの存在だった藤川球児。その類まれなピッチングセンスはプロ入り後も変わらず、2006年、2009年と2大会連続でWBC日本代表に選出。第1回大会ではストレートでアメリカの選手のバットを折り、第2回大会でも2次予選まで防御率0.00で相手チームを抑え込むなど活躍しました。

2010年には16試合連続無失点という素晴らしい結果を残した藤川球児は、2012年に昔からの夢であり目標だったというメジャーリーグへの挑戦を発表。2012年12月にナショナルリーグ中地区に所属するシカゴ・カブスと、2年の契約を交わしました。30歳を過ぎてのメジャー挑戦でしたが、2013年は開幕戦で初セーブを挙げ、抑え投手としての起用が発表されるなど好調な出だしでした。しかし、初勝利を挙げた翌日に右腕の張りを訴えて離脱。同年6月に再起をかけ、肘の靭帯を修復するトミー・ジョン手術を受けます。

ところが、翌2014年も手術の影響が続き、故障者リストに入ったままシーズンを終えた藤川球児は自由契約選手となり、同年12月にアメリカンリーグ西地区に所属するテキサス・レンジャーズと単年契約を結びます。しかし、2015年は開幕から右足付け根の張りで先発メンバーを外れることに。5月に2試合の登板機会を与えられますがここでも結果を残せず、同月に戦力外通告を受けた藤川球児は、苦い思いを抱えたままアメリカを後にしました。

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日本球界復帰で無報酬の契約を球団にオファー!その思いとは?

日本に帰国した藤川球児は、地元の高知で再スタートします。阪神タイガースが獲得に動きましたが、地元のこどもたちに夢を与えたいとの思いで古巣からのオファーを固辞。2015年6月に、四国のプロ野球独立リーグ・四国アイランドリーグPlusに所属する高知ファイティングドッグスへ入団しました。

同月9日に入団会見を開き、「新しい人生のスタートとしては、最高の決断をしたと思う。高知の子供たちに何かきっかけを与えられればいい」と語った藤川球児。この会見で、チームとの契約は1試合ごと。チケット売上の1割を児童養護施設への寄付に充て、自身は無報酬で投げるという異例の条件をチームに提示し、承諾を受けての入団であることが明らかになりました。

強い思いを持って日本球界へ復帰した藤川球児は、8月に公式戦初勝利、9月に15年ぶりの完封で2勝目を挙げるなど、後期シーズン終了まで無報酬を貫き、2015年のシーズン終了をもってチームとの契約を終えました。

高知ファイティングドッグスとの契約終了が発表されると、阪神タイガースをはじめ、中日ドラゴンズ、ヤクルトスワローズが藤川球児の獲得に向けて動き出します。この動きにNPBへの復帰を決意した藤川球児が選んだのは、やはり古巣である阪神タイガースでした。

2019年9月現在、39歳で今も現役投手としてマウンドに立つ藤川球児。抑えとして活躍する彼に、スタンドからはメジャー移籍前と変わらぬアツい球児コールが沸き起こっています。

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藤川球児の全盛期の成績がスゴかった

藤川球児の持ち味は、多くのファンを沸かせた「火の玉ストレート」と呼ばれる剛速球です。威力のある直球が生まれたのは、ある対戦がきっかけでした。

2005年4月21日に東京ドームで行われたジャイアンツ戦で清原和博と対戦した際、二死満塁のフルカウントから藤川球児が投げたのは直球ではなく、フォークボールでした。三振に倒れた清原和博は、試合後のインタビューで「臆病な投手」「逃げ腰のピッチング」と、ストレートで勝負しなかった藤川球児に皮肉のコメントを残しています。

この対戦によってストレートでの勝負に強くこだわるようになり、投球に徹底して磨きをかけたという藤川球児。6月25日のジャイアンツ戦で再び清原和博と対戦した際には、「僕が20年間見てきた中で、最高のストレート」と完敗を認めさせる直球で三振に打ち取りました。

その当時の平均球速は約149キロ、最速で156キロにも及んだ藤川球児のストレートは、今も衰えていません。実際、2018年シーズンは150キロを超える投球を何度も見せ、「球の回転は12球団中トップクラス」「全盛期に近い投球」と球団幹部に評価されています。

球団最長の在籍18年目となった今シーズン、9回目のオールスター出場や史上7人目となる150ホールド達成など、まだまだ勢いの止まらない藤川球児。多くのトラ吉ファンの声援を受けて防御率も念願の1点台に抑えきり、19年目のシーズンに向けてさらなる輝きを放ちます。

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