2022年8月16日 更新
羽生結弦はオリンピック金メダリストでスーパースラム達成者!生い立ちや学校は?
◆出身:宮城県
◆身長・体重:172cm・57kg
◆血液型:B型
◆出身大学:早稲田大学人間科学部
◆2014年ソチ五輪、2018年平昌五輪金メダリスト
羽生結弦はオリンピック金メダリストでスーパースラム達成者
羽生結弦(はにゅうゆづる)は2020年2月9日に開催されたフィギュアスケートの4大陸選手権において、合計299.42点で初優勝を飾りました。「バラード第1番」を演じたショートプログラムに続き、フリーでは2017-2018年シーズンに使用した「SEIMEI」を再演して戴冠。ジュニア・シニアの主要国際大会6つを完全制覇する「スーパースラム」という男子初の快挙を成し遂げました。
2014年のソチ五輪、2018年平昌五輪では連続金メダル獲得の偉業を果たしている羽生結弦。このスーパースラム達成でさらにその実力を世界に見せつける結果となりました。
羽生結弦の生い立ちや学校、スケートを始めたきっかけ!
羽生結弦選手は宮城県仙台市泉区出身。仙台市は様々な名物や文化の発祥の地としても知られていますが、実はフィギュアスケートの発祥の地でもあります。仙台からはたくさんの優秀なフィギュア選手が輩出されており、長野五輪の代表7名のうち4名が仙台を拠点とした選手でした。
そんな仙台で育った羽生結弦は4歳でスケートを始めました。姉の影響とともに、喘息を克服したいという目的もあったといいます。仙台市立七北田中学1年生の時には、まだノービス(ジュニアより低年齢の10歳以上14歳まで)ながら、全日本ジュニア選手権で3位に。これは日本男子史上初の快挙でした。
ジュニア時代も、最年少参加者にもかかわらず各大会で入賞。東北高校に進み、2010年シーズンからシニアに転向し、4大陸選手権で最年少優勝を果たしています。2012年には練習拠点を地元の仙台からカナダに移し、全日本選手権、GPファイナル、ソチオリンピック、世界選手権で優勝を飾るまでに至りました。
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羽生結弦のジャンプや技術のすごさとは?プーさんの行き先に感動
羽生結弦のジャンプや技術のすごさとは?
羽生結弦は、トウループ・サルコウ・ループ・ルッツといった4種類の4回転ジャンプやトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)が武器になっているのに加えて、スピンの速度や美しいステップとすべての技術に隙がなく、オールラウンダーとして知られています。
高いテクニックに繊細な表現力が伴っており、プログラムの流れや音楽を決して壊さず、スムーズになめらかに滑っていくので、つい見とれてしまうというファンも多いことでしょう。
プロのフィギュアスケーターである中野友加里は羽生結弦の技術について「羽生選手のジャンプは真似しようと思ってもなかなか真似することができないもの」だと評価しています。さらに4大陸選手権のショートプログラム「バラード第1番」について振り返り「スケーティングが美しく、ジャンプもすばらしいのですが、それぞれが別個にあるのではないところで高い評価を得ている」と、分析していました。
羽生結弦はプーさんが好き!行き先に感動
羽生結弦の演技の後にいつも投げ込まれていた大量のくまのプーさんのぬいぐるみは、名物ともなっていました。
ことの発端は、羽生結弦がティッシュケースにもくまのプーさんを愛用、さらに試合の際には毎回必ずと言ってよいほどリンクや控室に連れてきて「いつも変わらないあの表情をみるとリラックスできる」と語ったこと。ファンが定番の花束ではなく、くまのプーさんのぬいぐるみを投げ込むようになりました。
この現象について羽生結弦はインタビューで「僕はあのプーさんの雨を見るのがすごく好き、すごく愛してるんです」と語ったこともあります。
2018年11月にフィンランドのヘルシンキで開催されたGPシリーズでも約500体のプーさんが投げ込まれましたが、すべてのプーさんを日本へは持って帰れないということで、1体1体ラッピングをして、現地で恵まれない子供達へ寄付されたそうです。
羽生結弦は「たくさんの人形をもらったら大会が開かれている地域に寄付をします」と語っており、他の地域の試合でも同様に、プーさんはぬいぐるみを買うことができないような子供たちの手元に届けられています。
しかし2019年より全日本選手権についてはプレゼントや花束の投げ込みが全面禁止に。寂しく思っているファンも多いようですが、これからはスタンディングオベーションなど違った形での表現になることでしょう。
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羽生結弦は怪我や病気を乗り越えて偉業を達成!コーチが語った性格は?早稲田大学を卒業!
羽生結弦は怪我や病気も乗り越えてきた!ブライアン・オーサーが語った性格は?
コーチを務めるブライアン・オーサーが「羽生結弦が転んでも人を惹きつける理由は?」という問いに「彼のスピリットこそが1番の理由だ」と答えているように、羽生結弦はその性格や人柄でも人々を魅了しています。
ブライアン・オーサーは羽生結弦について、何事にも全力を尽くす性格で、真逆のタイプで息抜き上手なチームメイト・ハビエル・フェルナンデスとの関わりによって余裕が加わる変化が見られたと明かしていました。
また、羽生結弦といえばトラブルにも屈することのない強靭なメンタルの持ち主としてもスポーツ界で大きな評価を受けています。2014年11月8日に中国北京で行われたフィギュアスケート・グランプリシリーズの第3戦で、練習中にまさかの衝突事故に見舞われ負傷したものの、頭部とアゴにテーピングをした状態で本番へ挑み、最後まで滑り切って2位に入賞しました。
中継番組に出演していた松岡修造は「ぼくは羽生さんのことを誇りに思う。こんな状況で、こんな逆境で、こんな苦しいなかで戦った経験というのは、とんでもなく生きてくる」と絶賛していました。
その後、同年12月26日から長野市で開催されたフィギュア日本選手権では男子シングルで3連覇を達成。試合後に尿膜管遺残症で緊急入院、手術をしていたことも報道されました。ケガや体調不良にも負けず、最大限の力を振り絞って演技に挑む羽生結弦の精神的強さは、アスリートならずとも手本にしたいものです。
羽生結弦が早稲田大学を卒業!コロナ禍でしていたことは?
羽生結弦の次の試合を首を長くして待っている人も多いでしょう。2020年8月28日、日本スケート連盟が今季のグランプリシリーズにおいて羽生結弦が欠場すると発表しました。
羽生結弦はグランプリシリーズ辞退理由の1つに、自分が出場することで「多くの人が移動し、集まる可能性がある」ことを挙げていましたが、それ以外にも喘息持ちであることから「呼吸器系疾患の保有者はコロナが重症化しやすいとの情報もあるので、可能な限り慎重に行動したい」とコメントしています。
練習がままらななかった期間はひたすら勉学に励んでいたそうで、9月に早稲田大学人間科学部通信教育課程(eスクール)を無事に卒業。フィギュアスケートにおけるモーションキャプチャ技術について3万字にも及ぶ卒業研究を終えたことも明らかになりました。在籍期間ギリギリの8年目で、一時は中退が噂されたこともありましたが、文武両道を極めています。
また、羽生結弦には世界初のクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)を完成させたいという夢があります。この夢を実現させるためにも、コロナ禍でリスクを背負って無理をするのではなく、この時間を地道な練習と休息に充てたのは将来的にプラスになることでしょう。
羽生結弦の名言本がまぶしすぎる!
羽生結弦は、そのコメントでも感動を与える名言メーカーとしても知られていますが、2020年10月26日にオフィシャル名言集「羽生結弦の言葉」を宝島社より出版しています。
この本には111個の言葉と125点の写真が収録されているのだとか。羽生結弦の滑りが再び観られるその日まで、この本で改めて彼の生きざまについて思いを馳せてみるのもよいでしょう。
カバーには「真っ暗だからこそ見える光がある」との言葉が。羽生結弦の大ファンだけでなく、苦しい状況にある人々にとっても、窮地に追い込まれた時にどんな考え方をすれば前に進めるのか、希望をもたらす1冊になりそうです。
これからも羽生結弦は日本を代表する世界のトップアスリートの1人として輝き続け、近い将来、完成したクワッドアクセルを披露してくれるに違いありません。
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