原田大二郎の若い頃の代表作は?個性派俳優の素顔にクローズアップ

原田大二郎の若い頃の代表作!元AKB48岩田華怜との関係は?

原田大二郎の出世作は日本テレビの青春ドラマ「水もれ甲介」

昭和世代の読者は、原田大二郎と言えば、きっと「水もれ甲介」を思い出すことでしょう。1970年代、日本テレビの日曜8時からは、「飛び出せ!青春」など「青春」シリーズや、「俺たちの旅」に始まる「俺たち」シリーズなど、青春ドラマの牙城でした。

一方、石立鉄男と原田大二郎が血のつながらない兄弟を演じ、父が残した下町の水道工事屋で奮闘するハートフルな青春コメディが「水もれ甲介」(1974年)です。原田大二郎が、「おくさまは18歳」や「パパと呼ばないで」ですでに人気絶頂だった怪優・石立鉄男に臆することなく、フルスロットルの演技でぶつかっていた姿がとても印象的でした。

しかし、原田大二郎は、この時すでに30歳。翌1975年には、TBS「Gメン’75」の関屋一郎警部補役で人気を得るようになります。以後は、さまざまなドラマのゲスト俳優として活躍しますが、不思議とレギュラー作品は少なく、またその芸風は、かつての石立鉄男を彷彿させるものがある原田大二郎。

映画では、なんといっても、1982年、つかこうへい作の人気戯曲の映画化で、深作欣二監督の「蒲田行進曲」でしょう。映画冒頭から、風間杜夫扮する主人公銀ちゃんと張り合う花形スター橘の演技は傑作でした。

原田大二郎の親族には元AKBがいるってほんとう?!

原田大二郎の親族には、姉の孫で、元AKB48にして今は女優を目指して活動中の岩田華怜(いわたかれん)がいます。AKB48の中ではなかなか芽が出ませんでしたが、映画「ソロモンの偽証」や「殿、利息でござる!」に出演するなど、女優としてのキャリアをスタートさせている真っ只中です。

2013年に、岩田華怜が、「原田大二郎、私の叔父です」と明かしたことで話題になりました。AKB48には、岩田華怜の公演を観るために、原田大二郎が劇場を訪れるという交流もあった様子です。岩田華怜は、幼少時代から地元である宮城県でキッズタレントとして活動していたため芸歴こそ長いものの、大叔父に比べれば、まだまだこれからでしょう。

原田大二郎が実家を処分したワケ!息子・虎太郎への想いとは?

原田大二郎の息子・虎太郎は難病・発達障害から過酷ないじめに遭っていた!

原田大二郎は、バラエティ番組に出演したことで、声がでかくてうるさいおやじキャラが定着していますが、プライベートでは、一人息子・虎太郎の難病と発達障害についてずっと悩んできました。幼少期にヒルシュスプルング病という大腸の難病にかかり、それがもとで発達障害を抱えた虎太郎は、学校でいじめに遭っていたそうです。

原田大二郎は、息子が小さい頃はいじめに気づかず、非弱な体の息子に、ただ「ガンバレ」としか声をかけていませんでした。しかし、息子が中学生になって初めて、いじめに遭っていることに気づいたことから自ら学校に相談。学校側も対処してくれたことから、表向きのいじめはなくなりましたが、虎太郎はずっと傷ついていたようです。

10数年も空き家にしていた実家を原田大二郎が売ろうとした時のこと。成人していた虎太郎は、自身の理解者であった祖母との思い出が奪われると大反対したと言います。父と子の間には長く葛藤が続き、原田大二郎にとっても、心の大きな枷となっていました。

原田大二郎突然の衆選院選出馬は息子・虎太郎との長き確執を懺悔するため?!

原田大二郎は、2010年、故郷の広島から参議院選挙に唐突に出馬し落選します。彼が掲げた公約にはいじめの撲滅が掲げられ、選挙演説では、子供たちに思いやりの心を持たせる教育をと涙ながらに訴えていました。明るいイメージの原田大二郎しか知らない有権者にとっては、かなり戸惑いがあったに違いありません。

原田大二郎が吼える!1970年代俳優たちの豪快伝説

原田大二郎は、1944年生まれでもう73歳。俳優としては、ベテランというより、老俳優といってもよい歳になりました。最近インタビューに答えた原田大二郎は、今と昔の俳優の違いについて語っています。彼曰く、「俳優なんて商売は、思い込みが激しいとか、とにかく変わった人間じゃなきゃできない」。

それでも「時代が変わって表現の仕方に気をつけなければいけない時代になったから、昔の『破滅型』の俳優はいなくなった」と。確かに映画界では、亡くなった勝新太郎など、大スターたちの仰天エピソードがよく知られていますが、新劇出身の役者たちにも強者がいたようです。

原田大二郎が語るには、1970年代をけん引する役者だった原田芳雄は、役になりきるため、極寒のロケ地でみんなを待たせ、あの長髪を延々2時間も自分でセットして出てきたのに普段とさほど変わらなかったとか……。また、「水もれ甲介」で共演した先輩の石立鉄男は、遅刻の常習者で1、2時間は当たり前。あげくに、「俺はわがままのつもりでやらせてもらっている。これを監督、プロデューサーが認めてくれなくなったら、俺はいつでも辞める」と豪語していたとか。

しかし、文学座で一緒だった俳優の西岡徳馬に言わせれば、原田大二郎もまた、背中に「文学座七期生原田大二郎」と書いたシャツを着て、平然と電車に乗っていたというのですから、他人のことは言えません。1970年代は、今と比べれば、時代も人も激しく熱く、それでいて、どこかいい加減で面白い時代だったのかもしれません。

関連記事

ページ上部へ戻る