火野 正平が 「こころ旅」で乗っている自転車のメーカー、価格は?
火野 正平は、NHK-BS「こころ旅」でブレイク中
火野正平は、子役から積み上げてきたキャリアで演技力のある名わき役。認知度も抜群なのですが、長い俳優生活の中で、これといった出演映画やドラマがない不思議な役者です。
そして、今は自転車で全国を回る、呑気で気ままなおじさんとして、大いに人気を博しています。NHK-BSプレミアム「にっぽん縦断こころ旅」という旅番組は、2011年にスタート。当初から不定期で放映されてきましたが、回を追うごとに評判を呼び、今では、NHK-BSプレミアムの人気番組の1つとなっています。
毎回、視聴者から寄せられた手紙に書かれた「こころの風景」を訪ね、日本列島各地を火野正平の相棒である「チャリオ」(自転車の愛称)で訪ねるという単純な企画です。
しかし、自転車車載カメラ、同行スタッフ車載カメラ&ハンディカメラ・別動スタッフ固定カメラ等、いくつものカメラで、火野の表情、独り言や鼻歌をとらえ、自転車による旅の、ライブな爽快感が人気の秘訣です。また、旅の途中の下り坂で、「人生、下り坂最高!」と言い放った火野正平の言葉が、中高年の共感を呼びました。
火野 正平が愛する相棒「チャリオ」の正体
当然、火野正平が乗る「チャリオ」にも注目が集まっています。実はこの自転車、チャリオなど呼ぶようなチャチなものではなく、トマジーニのシンテシーという、イタリアの自転車工房が造ったハンドメイドの高級車です。いろんなパーツを加えれば50万円近くするそうで、自転車好きにとって、この火野正平のチャリオが水涎の的となっています。
火野 正平の結婚相手や子供は?歴代熱愛彼女の数の多さに呆然!
火野正平の若い頃は、濱田学そっくりだった?
火野正平は、1949年生まれの66歳。テレビ創成期から、子役として子供向けのドラマに数多く出演し、そのまま芸能界に入ります。現在のシブいスキンヘッドのイメージとはほど遠いですが、若い頃は、今が旬の俳優濱田岳によく似ていて、長い髪に人なつこい笑顔が、母性本能をくすぐるようなタイプでした。そして当時は、俳優としての仕事よりも女性関係の方が話題になっていました。
火野正平が駆け抜けた怒涛の女性遍歴
1972年23歳の時、火野正平は、すでに一男一女の2人の子供をもうけていた一般女性と離婚。それから、火野正平はの怒涛の女性遍歴が始まります。マスコミに上がっている歴代熱愛彼女の名前だけでも、女優の新藤恵美、小鹿みき、紀比呂子、ホーン・ユキ、歌手のリリィ、女優の望月真理子、そして西川峰子と続き、1982年、すでに同棲していた元宝塚のスター、鳳蘭のマネージャーの女性に二人の目の娘が生まれ、子供を認知。
これにより、火野正平の女性遍歴は終わりを迎え、最近では、マスコミに取り上がられることもなくなりました。しかし、これだけ女性関係を持っても、不思議と火野正平は相手の女性に嫌われることがありません。また、新たな女性が火野正平を放っておけなくなるということのようで、マスコミが取り上げる以上に問題になったことはないのです。火野正平は、まさに男冥利に尽きる男といえます。
火野正平は、光浦靖子すら感動させる昭和のプレーボーイ
火野正平が久々に話題に上がったのは、今年春、漫才コンビ・オアシズの、男性に対してガチガチなほうの光浦靖子が、火野正平に声をかけられたという話。光浦靖子が東映京都の太秦撮影所で、一人歌いながらピアノを弾くシーンの練習をしていた時のこと。なかなかうまく歌えなくて練習を止めた時、後ろから火野正平が、「お嬢さん。歌……続けてよ」と、優しく声をかけたのだそうです。
いつもの光浦靖子なら、恥ずかしいところを見られて激怒するところなのでしょうが、これぞ火野正平効果。優しく励まされたと感動させてしまうあたり、さすが昭和のプレーボーイです。これといった代表作がない火野正平ですが、実は1973年、NHK大河ドラマ「国盗り物語」に、豊臣秀吉で出演。
まさにうってつけの配役でした。この出演をきっかけに、それまで二瓶康一という本名が芸名だったのを、火野正平と言う芸名に変名しています。名付け親は、歴史時代小説の大家、池波正太郎だそうです。確かにこの変名を契機に、火野正平は、俳優として頭角を現すと同時に、女性関係も盛んになったと言えます。
しかし、今の自転車に乗っている火野正平を見ていると、俳優としての仕事も女性関係も、そして自分の人生そのものも、あるがままといった感じで、今の中高年にとってはうらやましいかぎりの生き方といえます。