星野佳路「星野リゾート」を大成功させたユニークなコンセプトと経歴とは?

星野佳路「星野リゾート」を大成功させたユニークなコンセプトと経歴とは?

星野佳路の「星野リゾート」大成功は”地域生活を活かしたサービス”にあり

長野の老舗旅館「星野温泉ホテル」の4代目として生まれた星野佳路が、「星野リゾート」を大成功させたコンセプトは、ずばり”地方の文化的エッセンスの演出”。それらは、地元スタッフたちが地方独自の文化価値を自覚して作り上げられることによってこそ、旅行者に”他所の土地に来た”というリアルな感動を伝えられるというのが、星野佳路のモットーなのです。

”リゾート運営達人になる”というビジョンを掲げて再開発事業に乗り出した星野佳路。90年代から構築してきた”運営の仕組み”を携えて、青森県「青森屋」の再生プロジェクトに臨みました。しかし、一律のシナリオでは、旅行者がその地に足を運ぶ理由がなくなってしまうことに気づき、あえて取り入れたのが、ビジターには理解不能な津軽弁オンリーのサービス。

地域独自の生活にこそ、地方リゾート大成功の鍵あり。この手法で、「青森屋」は年間80%以上の稼働率を誇る旅館へと変貌していったのでした。

星野佳路「星野リゾート」を大成功させるまでの経歴

星野佳路は、小学4年生の時に祖父母と訪れたアフリカ旅行で、自分は星野温泉の跡継ぎであるということを初めて自覚するようになりました。慶應義塾中学入学以降はアイスホッケーに熱中し、慶應義塾大学経済学部在籍中には、ホテルオークラに従事。さらに米国コーネル大学ホテル経営大学院で、MPS(ホテル業界のMBA相当)を取得後、アメリカ日本航空開発(現JALホテルズ)で2年間研鑽を積みました。

日本に帰国した星野佳路は、予定通り星野温泉の取締役として入社するも、その経営方針が組織内外に受け入れられずに約半年で退社。シティバンクでリゾートホテル事業の債権回収業務を担当すること2年、星野温泉株主や役員を含む社内外関係者から呼び戻される形で、星野温泉に再入社。

2年前の独走改革失敗を胸に、公認会計士の実弟を「10年後のハワイ移住」で釣って役員に迎え、代表取締役社長就任を果たしました。こうして社名を「星野温泉」から「星野リゾート」に変更して、再開発計画に着手して大成功をおさめた星野佳路ですが、実弟とのハワイの約束は踏み倒しているそうです。

星野佳路の妻・星野朝子は日産自動車No.2!息子の現在は?

星野佳路の妻・星野朝子は日産自動車No.2!

民主党が政権を握っていた時代、蓮舫議員の仕分けが名物になっていましたが、同じくその仕分け人の1人だったのが、当時、日産自動車の市場情報室長だった星野佳路の妻・星野朝子。彼女はその後も順調に出世し続け、国内事業No.2の女性初専務執行取締役にまで上り詰めました。

日本債権信用銀行(現あおぞら銀行)出身で市場分析の専門家である星野佳路の妻・星野朝子は、カルロス・ゴーン社長のヘッドハンティングによって日産自動車に入社。女性視点を生かして、同社の売り上げV字回復に大きく貢献しました。出産直後は、軽井沢の自宅から銀座本社まで新幹線通勤をしていたという男並みの胆力。

マーケティング本部のトップである日産自動車の片桐隆夫副社長補佐役に大抜擢されたのです。仕分け業務では蓮舫議員の「2位じゃダメなんでしょうか」という名ゼリフがありましたが、星野佳路の妻・星野朝子は「日本で2番目に高い山なんて誰も知らない」と、あくまで1位にこだわる頼もしさで打倒トヨタを目指しています。

星野佳路の息子は現在中学生!将来への期待

星野佳路の息子は現在中学2年生。1カ月の半分も東京にいないという星野佳路と同じくらい、妻・星野朝子にも出張が多い中、夫婦でスケジュールが重ならないように調整しながら、必ずどちらかが家にいるように工夫しているそうです。東京にいる時の星野佳路は、6時半に起床して朝食を作り、会食には一切応じず、8時半には帰宅して、息子と夕食を共にします。

息子が幼い頃は保育園の送り迎えもやっていたというイクメンな素顔には、敏腕社長らしからぬ微笑ましさがのぞきます。夜の誘いが少なくなったことも、家庭円満の秘訣でしょう。「子供が親の跡目を継ぐ時代は終わった」という教育論を掲げている星野佳路は、息子を多くの旅に伴うことがあっても「星野リゾート」を託さねばならないという絶対的考えはありません。

ただし「たすきをつなげるメッセージは伝えたい」という想いはあり、これから広い世界を見つめるであろう息子の行く末を楽しみにしているようです。

星野佳路「星野リゾート」の大成功から学ぶ成功者のテンション

リゾートにおける顧客満足度、事業利益、環境負荷数値目標の同時達成を目指して、「星野リゾート」を見事に再生、大成功へと導いた星野佳路。その理念は、星野佳路自身が強く感銘を受けたリゾート体験にありました。特に20年以上も前に訪れた米国フロリダ州の「シーサイドリゾート」の、浜辺、海、陸の自然と一体化できる潔いレイアウトは、「星のや竹富島」の開発において大いに役立っているといいます。

また、「星のや竹富島」では琉球料理をベースとしたフレンチを提供。それまで西洋リゾート推しの開発が多かった沖縄の地に、その風土を残しつつ、時代に合わせた新旧一体のサービスを更新し続けていくことで、これからも「星野リゾート」は、訪れる者の旅情をくすぐり続けてくれることでしょう。

鋭い視点で海のリゾートを大成功させた星野佳路ではありますが、実は夏の海より、冬の山のほうが大好き。幼いころに始めたスピードスケート、アイスホッケーで国体出場の経験を持つ星野佳路は、1年に60日間は雪山でバックカントリースキーを楽しむことを目標にしています。

新しく展開する景色や、天候によって変化する幻想的な場面に出会うことができるバックカントリースキーは、星野佳路にとって旅を連想させる特別な体験。仕事が多忙を極める中でもテンションを保つためには必要な行為であり、他にも「会いたくない人には会わない」「行きたくないところには行かない」「やりたくない仕事はしない」「睡眠は7時間とる」「スーツを着ない」など、創造性を保つための心がけを徹底しています。限られた時間を存分に!そんな成功者の姿勢を星野佳路から学んだ気がします。

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