貴乃花・若乃花の確執理由は父親が違うため?!現在の兄弟仲は?

2019年3月26日 更新

貴乃花・若乃花の確執理由は父親が違うため?!現在の兄弟仲は?

貴乃花・若乃花の確執理由は父親が違うため?!長男は貴乃花だったとしたら……

貴乃花・若乃花は、根深い確執によって兄弟絶縁状態に陥っているといいます。さらに貴乃花・若乃花は、同じ父親から生まれた本当の兄弟ではないという噂が。父・花田満(元大関・貴ノ花)の下で横綱まで上り詰めた貴乃花・若乃花は、幼い頃から「理想の兄弟」ともてはやされていました。しかし、実は兄・若乃花の父親は、花田満の実兄・花田勝治(初代・若の花)らしいのです。

母・藤田憲子が花田勝治と結婚して若乃花を生んだ後、花田満と駆け落ちして結婚。花田勝治はやむなく弟の籍に若乃花を入れることを承諾し、その後、花田満と藤田憲子の間に生まれたのが貴乃花だったというのは角界では有名な話。やがて貴乃花・若乃花は、角界で「若貴フィーバー」を巻き起こしますが、現役時代に唯一実現した兄弟対決で、若乃花が勝利した時の貴乃花の無気力相撲によって、兄弟確執が浮き彫りになりました。

もし「兄を立てよ」という裏の力が働いていたのなら、相撲に対して若乃花よりも真摯だった貴乃花が、当てつけに無気力相撲を行ったと考えられますし、胸の内には「父・花田満の実質上の長男は自分」という思いもあったかもしれませんね。

貴乃花・若乃花の確執理由は父親が違うため?!父親の死後に兄弟は完全絶縁へ

貴乃花・若乃花の確執は、1998年秋場所直前に、父・花田満が「貴乃花が懇意になった整体師に洗脳されている」と告白したことによって初めて表面化しました。1999年には一旦和解したものの、引退後は、貴乃花が父の二子山部屋を継ぐ形で角界に残り、若乃花は、タレントへの道を進む中で、再び「兄は相撲部屋について考えていない」など舌戦が勃発。2005年5月に父・花田満が他界した時には、喪主の座や遺骨の管理、遺産相続を巡って激しく対立しました。

ここでも唯一の実子である貴乃花、戸籍上の長男である若乃花という対立構図が明確になり、遺産については、若乃花の全面放棄という形で決着がついたようですが、以後、貴乃花・若乃花兄弟の関係は断絶。貴乃花は、父の生前、不倫騒動を起こして離婚した母・藤田憲子にも絶縁を突き付け、母の肩を持つ若乃花とは完全に袂を分かつこととなりました。

確執について、貴乃花の口から多くが語られることはありませんが、若乃花は2014年のテレビ番組に出演して「弟は頭がおかしくなったから、復縁は100%ない」と語っており、現在の兄弟仲が修復される気配はないようです。

貴乃花の現役時代や親方としての評価は? 妻、子供は?

貴乃花「平成の大横綱」も、親方としての評価はイマイチ?

貴乃花の現役時代は、恵まれた体格と、人並み外れた精神力で、期待通りに早期出世を果たし、弱冠19歳の1991年5月場所では幕内4場所目にして大横綱・千代の富士を初顔で破って引退に追い込みました。派手さはないものの、正当派の四つ相撲で順調に勝ち進んだ貴乃花は、1993年に大関、1995年には横綱に昇進しています。怪我に長く沈んだ時期もありましたが、数々の最年少記録を塗り替え、歴代6位となる幕内優勝22回を果たした貴乃花は、「平成の大横綱」として歴史に残る名横綱なのです。

引退後は、父から引き継いだ二子山部屋改め貴乃花部屋の親方になった貴乃花でしたが、ある年は入門者が0人だったり、幕下力士さえいなかったりと、衰退ぶりが明らかになって随分叩かれました。貴乃花が、部屋に住みこまない”通い親方”であることや、ろくに弟子とちゃんこを食べないこと、さらには廃業した元弟子による、貴乃花の”可愛がり”と称した暴力行為の告発などの悪評は絶えることはありません。近年はそれでも幕下入りする弟子も少しずつ増え、2012年には、貴ノ岩が新十両昇進を果たしていますので、後進は着々と育ってきているのではないかと思われます。

貴乃花の妻・花田景子は相撲に興味がない?子供にも相撲をさせていない?

貴乃花の妻としても有名な元フジテレビアナウンサー・花田景子。貴乃花より8歳上ということもあって、長く「貴乃花の蛮行を制御できないようではおかみの資格はない」「兄弟確執を裏で糸を引いているのではないか」とバッシングの対象にされてきました。「野菜の旨みがちゃんこ盛りのちゃんこスープ」などをプロデュースし、世間的には”おかみ”らしく振る舞っていますが、貴乃花部屋にもほとんど顔を出さないため、「子供にしか興味がなく、相撲なんてどうでもいいのでは」とも言われているようです。

貴乃花と花田景子の間には1男2女、計3人の子供がいますが、長男はすでに19歳。相撲界では、中学卒業後に新弟子検査を受けて入門することが多いのですが、長男は、高校時代はバスケットボールに夢中だったのだとか。青山学院中・高等学校に通っていたという噂もありますから、真実ならば、花田景子は、相撲よりも子供の教育を優先させたということなのかもしれません。そのせいか、貴乃花夫妻には長く離婚寸前ではないかとの噂も。しかし、花田景子が”おかみ売り”でタレント活動しているうちは心配なさそうな気がします。

貴乃花、遂に日本相撲協会の理事長へ?猪突猛進すぎる相撲道

貴乃花が、2016年1月29日に日本相撲協会の理事候補選挙に当選し、続く3月28日に行われる新理事長候補に推薦される可能性が高まっています。今回は、山響親方という心強い後ろ盾を得た貴乃花が、現職・八角理事長と一騎打ちになるのではないかとの見方が強まり、「貴乃花理事長誕生なるか?」という熱視線が、角界に向けられているところです。貴乃花が初めて日本相撲協会理事選に立候補表明したのは2010年。

この時、立候補を断念させようとした二所ノ関一門を離脱して出馬したため、一部マスコミでは「貴の乱」と騒がれました。貴乃花を支持する親方や部屋が、次々と破門の憂き目に遭ったり、野球賭博に関与した力士の処分軽減を訴えたりと、どこに行っても貴乃花の周辺は常にドラマティック。その背景には、必ず貴乃花の横綱昇進の際の口上「猪突猛進」を地でいく、まっすぐ過ぎる性格があると思われます。かつて、宮沢りえとの婚約会見で、婚約に踏み切った理由について尋ねられた貴乃花は、不器用に「好きだから」と答えて、ファンの度胆を抜きました。相撲においても幼い頃からの「父の果たせなかった横綱の夢をかなえるんだ」という真っすぐな思いを貫き、ただ猪突猛進してきたのでしょう。

最も人々に残る現役時代の貴乃花は、最後の優勝となった2001年5月場所。表彰式で、当時の小泉純一郎首相が「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」と貴乃花を賞賛した時のこと。13戦連勝で迎えた14日目に負った膝の怪我で、もはや立つことさえ困難だった貴乃花が、周囲の反対を押し切って臨んだ優勝決定戦での鬼気迫る表情は、思い出すだけで目頭が熱くなります。あの真っすぐ過ぎる相撲道が、貴乃花・若乃花の確執の根底にあるのかもしれません。しかし、貴乃花理事長が誕生した時には、その熱意がどのように大相撲を変えていくかは楽しみですよね。

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