岸田護は守護神としても活躍していた!京セラドーム大阪にて引退会見が行われていた!

岸田護は二桁勝利や守護神としても活躍したプロ野球選手!プロ野球での成績とは!?


岸田護のプロフィール
◆生年月日:1981年5月10日
◆出身:大阪府
◆身長・体重:180cm・80kg
◆出身校:東北福祉大学
◆ポジション:投手
◆所属チーム:オリックス・バファローズ二軍投手コーチ

岸田護はプロとして二桁勝利や守護神として活躍!

岸田護(きしだまもる)は大阪の履正社高校から東北福祉大学、社会人野球のNTT西日本を経て、2005年11月に行われた大学・社会人ドラフト会議でオリックス・バファローズの3位指名を受け、プロ入りしました。契約金7000万円、年俸1200万円と推定されています。

プロ1年目から6試合に登板すると、2年目の後半には先発ローテーション入り。4年目の2009年シーズンには10勝4敗と初の二桁勝利を挙げるなど、チームの守護神として活躍しました。

岸田護のプロ野球成績を紹介!

岸田護のプロ初登板は、2006年5月30日に行われた中日ドラゴンズ戦でした。シーズン最終戦となった楽天イーグルス戦での初先発は塩川達也にプロ初本塁打となる決勝ソロを浴びながら1失点に抑えたものの、バファローズも打線を抑え込まれ、敗戦投手となっています。

二軍では先発とリリーフの両方で起用され、31試合に登板した岸田護は、防御率1.80で最優秀防御率のタイトルを獲得。規定投球回に達した選手の中ではただ一人本塁打を浴びず、四死球を与えた数も2番目に少ないという好成績を残しました。

2007年シーズンからは一軍に定着し、同年4月5日の千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初勝利。それ以降も先発陣が試合序盤で降板した際にロングリリーフでの起用が多かった岸田護ですが、安定した投球で失点をほとんど許さない好投を見せ、絶大な信頼を寄せられました。

シーズン後半は先発ローテーションに入り、11試合に先発して2勝と勝ち星は少ないながらも、126回を投げて防御率2.93、115奪三振と良い数字を残しています。

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岸田護の気になる最高年棒は!?経歴やプロフィールを紹介

岸田護の経歴やプロフィールを紹介

岸田護は1981年5月10日、大阪府吹田市に生まれました。小学1年生から地元の少年野球チーム・高野台バードで野球人生をスタート。3年生からは投手となり、中学では軟式野球部に所属しています。

履正社高校では硬式野球部に入部。夏の大会連覇などセンバツ優勝経験もある大阪の強豪チームで1年からベンチ入りし、期待の新人として注目されていました。同校が夏の甲子園出場を果たした際もベンチ入りはしましたが、初戦で敗退したこともあり登板機会は得られずに終わっています。

高校卒業後、岸田護は東北福祉大学を経てNTT西日本に入社。社会人野球1年目で「第75回都市対抗野球大会」に出場、翌年も2年連続で出場し、2005年11月に開催された「第32回社会人野球日本選手権大会」では、チームの準優勝に貢献しました。

数々の好投でプロの注目を集めた岸田護は、同年11月のドラフト会議でオリックス・バファローズから3位指名を受けて入団。この年は藤井淳志、脇谷亮太など、岸田護と同じくNTT西日本で活躍した複数の選手がドラフトでプロ入りを果たしています。

岸田護の最高年棒は?

2010年に背番号を「18」に変更した岸田護。心機一転、開幕第3戦で4回からリリーフ登板すると6回1失点の好投で最後まで投げきり、シーズン初勝利を挙げています。そして同年5月9日の対ロッテ戦からリリーフに転向。6月10日の読売ジャイアンツ戦で初セーブを挙げ、クローザーに指名された岸田護は交流戦優勝にも貢献。リーグ戦再開後も抑え投手として活躍しました。

そしてオフには選手会長に就任し、結婚も発表。これらのニュースに「ダブルでおめでたい」と多くの祝福の声が上がりました。

岸田護の活躍は翌2011年シーズンも続き、抑えとして前年度に引き続きリーグ2位の68試合に登板。リリーフながら奪三振も79を記録しています。しかしその一方で、同点の場面で起用され抑えきれずに失点するなどして6敗を喫し、課題も見られるシーズンに。それでも当時パ・リーグ首位の福岡ソフトバンクホークスには防御率2.00で2勝、2位の日本ハムにも防御率0.93と善戦を重ねています。

岸田護はこの年、監督推薦で念願だった自身初のオールスターゲームに出場しました。第1戦の9回に5番手で登板し、三者連続三振を記録。第3戦でも9回に登板し、無失点で抑えるなどの活躍ぶりでファンを沸かせました。オフには自身最高年棒となる1億1000万円で契約を更改し、翌年の活躍にも期待が寄せられました。

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岸田護が現役引退!会見で語った唯一の心残りとは?

現役続行宣言から一転、引退を決断

プロ14年目となった2019年シーズン、岸田護は古傷の腰痛の影響もあって一軍での登板機会を得られず、9月初旬には球団から翌シーズンの戦力構想から外れることを告げられました。2軍での登板も9試合に留まり、ファンの間で引退が危ぶまれる事態に。しかしこれに関しては若い選手に登板機会を譲ったという見方もあり、以前から若手に対し積極的に指導し、投手陣をまとめてきた岸田護の覚悟が伺えます。

同年9月16日時点では「まだ何も決めておらず、9月18日からの二軍の名古屋遠征に帯同するつもりがあり、そこでいい投球をすることしか考えていない」と明かしていた岸田護。しかし翌17日に「やり切った気持ちがある」と話し、このシーズン限りでの現役引退を発表します。

岸田護がコーチに就任!再びオリックスのユニフォームを着ることに

そして迎えた9月29日の大阪京セラドームでのソフトバンク戦が最後の試合に。9回表に登板した岸田護は高田知季を三振にとり、現役生活を終えました。試合後に行われた引退会見で「14年の現役生活は楽しかった」と笑顔で振り返った岸田護。しかし唯一の悔いとしてチームが優勝できなかったことを挙げています。

現役生活は終わりましたが、2020年シーズンからは二軍の投手コーチとして、後進の育成にあたる岸田護。オリックス一筋だった彼のプロ野球人生は、これからまだまだ続きます。

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