2015年4月13日 更新
黒田博樹。男気伝説は日本人のノスタルジアか
黒田博樹男気伝説2015、いよいよ開幕
3月29日、広島の町は異様な熱気に包まれていました。黒田博樹投手の広島復帰第一戦、広島VSヤクルト。
3万5千人の広島カープ愛ファンに埋め尽くされたマツダスタジアムは真っ赤に染まり、彼の一投一投に球場がどよめきました。
息詰まる投手戦、しかし黒田博樹は、その球速球種とも衰えることなく、7回を5安打無失点、5奪三振、1四球と投げ抜いて、2-1で見事チームを勝利に導きました。
球場をゆるがす大歓声の中、お立ち台に立った黒田博樹は、「今までスタンドが真っ赤になった球場で投げた経験はああまりなかった。嬉しかったし、あらためて考えることがたくさんあった」と、
あふれる感動を押さえながら淡々と語りました。
その言葉にまたあらためて、広島中のファンたちが目頭を熱くしたことは言うまでもありません。
黒田博樹、本人自身が戸惑う男気伝説
黒田博樹が、年棒20億円ともいわれるメジャーのオファーを断って広島復帰を表明して以来、
マスコミはこぞって、彼の行動を男気ある美談として取り上げ、それは広島のファンだけでなく、
日本中を巻き込んだ社会現象となって、ヒートアップしていきました。
確かに彼は男気のある男かもしれませんが、あまりにブームのその中で、
一番戸惑っているのは本人自身かもしれません。
黒田博樹伝説は、いかにして生まれたか
黒田博樹、男気伝説序章
黒田博樹。1975年生まれの40歳。1966年、広島東洋カープに入団以来、エースとして広島一筋。
連続2ケタ勝利やリーグ最多勝利など押しも押されもせぬ大投手として評価されながら、チーム成績にはあまり恵まれませんでした。
そして2006年、彼がFA権を獲得し移籍が取り沙汰されるようになったある日、男気伝説の序章ともいえる出来事が起こります。
「我々は共に闘って来た。今までもこれからも…未来へ輝くその日まで。君が涙を流すなら、君の涙になってやる。
Carpのエース黒田博樹」と記された巨大な横断幕が広島球場に掲げられました。
更にシーズン最後の彼の登板日には、球場のファン全員が黒田の背番号15の赤いプラカードを掲げ球場を赤色に染め上げたのです。
これで彼は1年FAを見送りました。そしてきっぱりと国内球団への移籍を否定した上、2008年ドジャースへと移籍したのです。
その後のドジャーズ、ヤンキースでの活躍と今回の復帰は、誰もが知るところです。
黒田博樹のカープ愛は、日本人のノスタルジア
このような黒田博樹伝説があってこそ、今のカープ女子ブームがやってきたのではないでしょうか。
ともあれ黒田博樹伝説は、日本的美徳に対する、私たちのノスタルジーのようなもの。
努力、忍耐、不屈、男気、恩返し。判官びいきに郷土愛。
控えめなお嫁さんにつつましい家族愛など、美しく懐かしいキーワードに満ち溢れているのです。
できればこれからは、生身の黒田博樹が、決して贔屓の引き倒しに合わないよう祈るばかりです。
黒田博樹の出身地、広島県広島市はどんなとこ
黒田博樹の出身地広島県広島市の世界文化遺産 原爆ドームと平和記念公園、広島平和記念資料館
広島県と言えば、ユネスコの世界文化遺産となった原爆ドームと平和記念公園、
そして広島平和記念資料館を決して見逃すわけにはいきません。
また、この惨禍があってこそ今の広島があり、町自体が他の都市と比べ美しく整備されたイメージがあるのです。
その1つの象徴が、赤の聖地、マツダスタジアムの近代的な雄姿なのかもしれません。
市内には広島城天守閣や浅野家別邸の縮景園など歴史的名勝もあり、瀬戸内の海に目を向ければ、
心は一挙に平安時代へ。厳島神社の美しい趣きをご堪能いただけます
黒田博樹の出身地、広島県広島市の広島焼きと牡蠣
広島で食べるといったら、やっぱり広島焼き。地元の隠れた名店を探すのもいいでしょうが、
どうせなら、中区新開地にある26店ビルごと広島焼きのお好み村で、広島焼きの食べ比べといきましょう。
この他にも、お好み共和国ひろしま村、ひろしまお好み物語駅前ひろばなどのお好みビルがあります。
お急ぎでも、駅ビル、周辺ビルの中にもたくさんお店がありますので、かならず食べることができます。
でもこちらは急がないと。お好みを食べたらやっぱり牡蠣は食べておきたい。
でもシーズンは4月いっぱいが限界。広島港近くのかき小屋宇品店ならまだ食べることができます。