マギー審司のマジック実力は本物か?!現在、嫁の実家に移住していた
マギー審司のマジック実力は本物か?!「耳が大きくなっちゃった!」、ラッキー以外のネタは?
マギー審司は、1973年11月、宮城県気仙沼出身で、「耳が大きくなっちゃった!」のマジックでもお馴染みの手品師です。1994年に、茨城弁のおしゃべりマジックで人気を博したマギー司郎に弟子入りしました。マギー司郎のアシスタントとして出演していた時期もありましたが、2004年頃からはピンでの活動が増加。「お笑い芸人になりたかった」との言葉通り、テレビ朝日系「笑いの金メダル」などのお笑い番組にも多数出演し、手品と巧みな話術で人気を博していきました。
2004年には、NHK「爆笑オンエアバトル」で10戦全勝という、ピン芸人の中では陣内智則に続く記録を出し、翌2005年には浅草演芸大賞新人賞を受賞。マギー審司が全国的に人気となると同時に、持ちネタならぬ定番マジックネタも有名になりました。その内の1つが、挨拶代わりに披露される、折り畳み式の耳のおもちゃが一瞬で大きくなるジョークネタ、「耳が大きくなっちゃった!」です。
子供にも大人気なこのネタで、観客のつかみは十分。そしてもう一つ定番は、ぬいぐるみを使ったマジックネタです。フェレットに似た姿をしているぬいぐるみのラッキーが、まるで生きているかのように軽快に動きます。観客が「ラッキー」と名前を呼ぶと、絶妙のタイミングで振り向きます。
実はこのラッキーには、一回り小さい白いフェレット風の妹のアンラッキーがおり、兄妹一緒に登場することも。この他にも、両手の親指を重ねて動かすことで「親指が伸びる」ように見せるという、もはや手品とも言いがたいネタも多数。ハンカチの手品では、観客に「何色に変えてほしい?」と聞いておきながら、決まった色以外は、「残念!」などと断り続けるマギー審司。
待っているのは、結局観客が好きな色には変えることができないというオチです。緊迫感師匠譲りの軽快なトークで、観客を終始笑いに誘います。
マギー審司の現在が気になる!嫁の実家である名古屋に移住していた
マギー審司は、2005年に交際が報道された元モデルの吉田有希(よしだゆき)と、2006年8月25日に結婚しました。結婚報道の際には、一部スポーツ紙において、嫁の名前が同名のアイドルの吉田有希(よしだゆうき)と間違って報道されるという出来事も……。2人の間には、2008年1月に第一子、2011年1月に第二子が誕生しています。一家の大黒柱となったマギー審司は、2013年頃からは、妻の実家がある名古屋に移住し、芸能活動の拠点も名古屋に移した様子です。
移住するや、地元の中日新聞Webサイトにて、名古屋のおすすめ観光スポットなどを紹介する「マギー審司の中日審聞」の連載をスタートさせたマギー審司。往時に比べると全国ネットのテレビ番組で見る機会が減ったため、「消えた?」と思っている方もいるかもしれませんが、嫁の実家のある名古屋を中心に、ローカルテレビ局で精力的に活動しています。
マギー審司と師匠マギー司郎との仲は?!実はボウリングの腕前もすごかった!
マギー審司と師匠マギー司郎の仲は?!トーク番組で師匠が号泣
2017年11月に放送された「徹子の部屋」の「特別企画 恩人に感謝SP」に、マギー審司と師匠のマギー司郎が揃って出演しました。トークの中で明かされたのは、マギー審司が弟子入りした当時のエピソードでした。20歳の時に弟子入りしたマギー審司は、弟子入りのお願いに師匠の元を訪れた際、手土産として、地元・気仙沼のめかぶをビニールの買い物袋に入れたまま持ってきたと言います。
この行動に、「これは大物かもしれない」と感じたマギー司郎もなかなかの器と言えますね。また、昔から字を書くことが苦手なマギー審司に、「字が汚いのも魅力の一つ」と声をかけたマギー司郎。そんな魅力的な字で師匠マギー司郎へ、自分の夢を「師匠と僕と僕の弟子の3人で将来テレビに出ること」と手紙に綴りました。この手紙を読んだマギー司郎は、「ありがとう、ありがとう」と繰り返しながら号泣。弟子入りしてから早や20数年、マギー審司と師匠マギー司郎は、ますます絆が深まっています。
マギー審司のボウリングの腕前がすごかった!ベストスコアはプロ並み!
マギー審司は、ボウリングの腕前が凄いことでも有名です。本人曰くベストスコアは279。これは、8ゲームまで全てストライクを出し続け、残りの2ゲームをプレイする間に惜しくもストライクを外してしまうと出るような、プロ顔負けの高得点です。もちろん、時折ボウリングのテレビ番組に出演することも。
マギー審司が投稿したYouTubeの動画では、後ろ向きで投げたボールがストライクを取り、コース上に置いた障害物をうまく避けながら指定のピンを倒したりといったトリックショットも披露しています。しかし、動画の再生回数は、2018年現在で1000回ほど。
たしかにスゴい技ですが、YouTube上ではあまり人気が出なかったようです。そんなマギー審司は現在、得意のボウリングを生かして、2011年3月に起こった東日本大震災のチャリティボウリング大会を開催するなど復興支援にも力を入れています。その背景には、東日本大震災で、祖母と叔母、親類の女性を亡くしたという悲しい経験がありました。
マギー審司が見せる地方発の新しい仕事の形とは?
2018年3月14日に、マギー審司や俳優の村田雄浩が進行役を務めた「街コンボウリング」というイベントが開催されました。会場は、マギー審司の地元である宮城県気仙沼市のボウリング場。イベント名の通り、ボウリングで出会いの場をつくるという趣旨のイベントで、男女合わせて53人が参加し、最終的にはなんと6組のカップルが成立したそうです。
芸能人仲間で結成したボウリングチームでチャリティイベントを開催する傍ら、2017年からは、こうした地元を盛り上げるようなイベントにも力を注いでいるマギー審司。2018年が2回目となった「街コンボウリング」は、卓球やダーツゲームも準備し、さらにパワーアップさせて臨みました。マギー審司は「これからも気仙沼の人口を増やせるようにたくさんの人に集まってもらいたい」と語っています。
芸能界は浮き沈みの激しい世界です。名古屋に拠点を移したマギー審司は、全国区のテレビ番組で見る機会こそ減ったものの、地元にしっかり根付き、地に足を付けた活動をしています。東京での活躍がすべてでなく、時代が変化を遂げています。マギー審司には、地方を拠点とした働き方を貫いていくとともに、「徹子の部屋」で語った夢、弟子を取ることを実現し、思わずクスっと笑ってしまうマギー一門のおしゃべりマジックを継承し続けて欲しいですね。