ベイカー茉秋は父親がアメリカ人のハーフ!柔道世界ランク1位の強さとは?
ベイカー茉秋は日本人とアメリカ人のハーフ!
ベイカー茉秋は、1994年9月25日生まれの21歳です。父親がアメリカ人、母親が日本人のハーフで、現在は、東海大学柔道部に所属しています。ベイカー茉秋が柔道を始めたのは、6歳のころでした。そのまま、中学、高校と、柔道部で活躍してきたベイカー茉秋は、2016年リオオリンピックの柔道男子90キロ級日本代表選手としての出場が決まっています。
最近は、ディーン元気やケンブリッジ飛鳥など、ハーフのアスリートが日の丸をつけて出場している姿を見かけるようになりました。ベイカー茉秋もその一人といえます。体型や筋肉の質は、国や地域による違いがあるのは事実。ベイカー茉秋の驚くほど筋肉質な肉体は、本人の鍛錬はもちろんのこと、アメリカ人である父親からの血筋も影響しているといえるでしょう。
ベイカー茉秋の挑む90キロ級は、日本人がのし上がるのはなかなか難しいといわれて久しい階級です。しかし、ハーフであり、恵まれた肉体を持つベイカー茉秋ならば、その一角に風穴をあけることも夢ではないと、やや遅咲きの才能が、今、にわかに注目を集めています。
ベイカー茉秋は体重別で世界ランク1位!その強さは?
ベイカー茉秋は、2016年5月に行われた柔道のワールドマスターズに出場し、自身の憧れであった柔道界のカリスマ、ギリシャのイリアス・イリアディス選手と準決勝で対戦しました。イリアス・イリアディスといえば、世界選手権で3度も優勝している強者。
しかし、ベイカー茉秋は、技ありと有効を取り、イリアス・イリアディスに勝利しました。さらに決勝では、ロシアのフセン・ハルムルザエフと戦うことになったベイカー茉秋。指導3で追い込まれ劣勢が続き、誰もがベイカー茉秋もここまでかと思った終了間際、スコアで追いつき粘りを見せます。そして……ゴールデンスコア(延長戦)に入ってから、有効を取ったベイカー茉秋は、逆転勝利を収め、世界ランク1位となりました。
「下積みが長かったのでやっとです」と語ったベイカー茉秋の強さの秘密は、なんといっても強靭な肉体です。高校入学当時は、身長178cmに対し、たった66kgしか体重がなかったベイカー茉秋。ウェイトトレーニングや食事量を増やすことで肉体改造に励み、高校生活後半には、現在の90kg級にまで上げてきたといいます。当時の指導者であった竹内徹監督は、体重を増やすたびに強くなるベイカー茉秋に特別メニューを用意するなど、二人三脚で肉体改造に取り組んだそうです。
ベイカー茉秋が柔道を始めた意外なワケ!出身中学、高校は?
ベイカー茉秋が柔道を始めたのは○○のため?きっかけはピアノ?!
ベイカー茉秋が柔道を始めたのは6歳の時でしたが、柔道を始めた理由というのが少しユニーク。それは、「猫背」矯正のためでした。柔道を始める前には、ピアノを習っていたベイカー茉秋。あまりに姿勢が悪かったことから、ベイカー茉秋のピアノ教師は、姿勢矯正に正座が良いと考え、柔道を勧めたそうです。
住まいと同じ文京区で、自転車でも通える範囲に、柔道総本山の講道館があったことも運命の巡り合わせだったのかもしれません。ここから、ベイカー茉秋の柔道生活が始まりました。ピアノから柔道へとは、いかにも真逆な進み方ですし、もともと食が細く、それほど大きな体ではなかったというベイカー茉秋。当時のピアノ教師も、自身の勧めが、後の世界ランキング1位の柔道家、さらにはオリンピック選手を生むことになるとは、想像だにしなかったに違いありません。
ベイカー茉秋の出身校、中学高校は?
ベイカー茉秋の出身地は、東京都千代田区と公表されていますが、中学校は、文京区立第一中学校に通っていたようです。また柔道を始めた小学校の頃には、春日柔道クラブがある講道館まで、自電車ならば、自宅から10分で行ける距離だったとも伝えられていることから、文京区に住んでいた可能性もありそうです。高校は、東海大学付属浦安高校に通っていたベイカー茉秋。
電車を乗り継いで1時間弱かかり、勉強に練習にと、毎日通うのは大変だったのかも知れませんが、そこで竹内徹監督と出会い、2年生からは寮生活へ。そして現在は、東海大学4年生となり、柔道一色の毎日を送っているベイカー茉秋。3年生だった2015年には、世界選手権以外はすべて優勝するなど、ベイカー茉秋の強さは、現在、向かうところ敵なしです。
ベイカー茉秋がピンチ?!リオオリンピックまで秒読み!世界ランキング1位の猛者は金メダルを取れるのか?
ベイカー茉秋は、強靭な肉体を武器に、これまで日本人はメダルに縁のなかったといわれる90キロ級で、堂々の世界ランク1位となり、大きな期待をされています。2015年初頭から、ほとんどの出場大会で、優勝の2文字を飾ってきて、ますます上り調子に思われてきたベイカー茉秋ですが、リオオリンピック開催の2016年になって、「爆弾」を抱えてしまったという情報が。
ベイカー茉秋の「爆弾」とは、左肩の亜脱臼のことで、2016年に入ってから、3度も負傷しているといいます。さらには2016年5月に行われたワールドマスターズでは、反対側の右肩も亜脱臼したベイカー茉秋。欠場も致し方ない状況の中、リオオリンピック本番でも同じような場面があるかもしれないと想定し、強行策に出ますが、裏目に出て、負傷状況が悪化してしまいました。
6月に行われた全日本学生柔道優勝大会で、東海大学は優勝しましたが、ベイカー茉秋は、亜脱臼のため欠場。亜脱臼とは、関節の可動域を超えた動きをすることによって、骨がずれてしまう障害で、関節から骨が完全に外れてしまう「脱臼」とは違います。治療法としては、ずれた骨を元の位置にもどす整復と、炎症剤を使った処置となりますが、2週間~3週間は患部を固定し、安静にしなければならず、その間、柔道の稽古はできないことになります。
リオオリンピックまで秒読みとなった今、ピンチに陥っているベイカー茉秋ですが、焦る気持ちを抑えて、強靭な肉体と同様、驚異的な回復力に期待し、応援したいと思います。日本のお家芸である柔道ですが、前大会ロンドンオリンピックでは、金メダルのなかった男子。リオオリンピックでは必ず金メダルを獲得して欲しいという日本中の期待も、ベイカー茉秋の治癒を後押ししてくれることを願っています。