南沙織の息子・篠山輝信は俳優、レポーターとして活躍!現在も人気は衰えず!

南沙織の旦那は写真家・篠山紀信!息子の篠山輝信は俳優、レポーターとして活躍

南沙織の旦那は写真家・篠山紀信!南沙織との馴れ初めは?

1971年に「17才」で歌手デビューし国民的アイドルだった南沙織。旦那は、日本を代表する写真家の篠山紀信です。時代を撮り続ける写真家・篠山紀信は、喜寿を迎え、大御所と呼ばれる存在になっても、常に新しいことやタブーに挑戦し、物議を醸す途方もないエネルギーの持ち主と言えます。

撮った女性は星の数。美空ひばりから山口百恵、後藤久美子からAKB48まで、多くの女性を撮影してきました。南沙織のこともデビュー当時から知っていて、「純潔」「哀愁のページ」「早春の港」「ひとかけらの純情」「哀しい妖精」「街角のラブソング」のレコードジャケットは、篠山紀信が撮影しています。カメラマンと撮られる女性は撮影時にかなり密着するので、親しい間柄になっても不思議ではありません。

南沙織が大学進学を機に引退する時、お世話になった人ということで篠山紀信に挨拶に行きました。それがきっかけで交際を始めた2人は1979年に結婚しますが、当時では珍しい14歳差のカップル。年の差婚の先駆けといえます。

南沙織の息子は3人!次男・篠山輝信は「あさイチ」MC達の卒業に思わず感涙

南沙織には3人の息子がいますが、皆、写真家になろうとしませんでした。その中で、唯一芸能界に進んだのは、次男の篠山輝信(しのやまあきのぶ)です。篠山輝信は、1983年12月10日生まれ。「かずら」などの映画に出演し、舞台にも立っています。「まれ」や「とと姉ちゃん」などNHK朝ドラにも出演しています。現在はリポーターとして、NHKの「あさイチ」などレギュラー番組も持っており、街では愛称の「アッキー」と声をかけられるほどの人気者です。

「あさイチ」で8年間MCを務めた井ノ原快彦、有働由美子アナ、柳澤秀夫トリオが揃って卒業することを発表した際、去り行く3人は爽やかな笑顔で話しているのに、篠山輝信は思わず感涙。感激屋の優しい一面を見せて話題になりました。南沙織の「17才」は「10万回聴いた」と語る篠山輝信。10万回は大袈裟だと思いますが、数え切れないほど聴いたことは確かでしょう。

南沙織のヒット曲とえいえば「17才」「色づく街」!現在も人気は衰えず

南沙織は国民的アイドル!ヒット曲は「17才」や「色づく街」

デビューから50年近く経った今でも、ファンが忘れられない永遠のアイドルです。有名人の中にも南沙織ファンは多く、吉田拓郎や泉谷しげる、やくみつる、さくらももこ、岩崎宏美と凄い顔ぶれが並びます。

南沙織は、1954年7月2日生まれで、沖縄県出身。芸能界入りのきっかけは劇的で、1970年頃、東京のCBS・ソニーが新しい人材を探していた時に、南沙織の写真が関係者の目にとまったことから東京に呼ばれます。1971年の春に母親と上京するや、すぐに歌手デビューの話が進んだ南沙織。周囲の関係者は、これほど速やかにプロデビューが決まった歌手は珍しいと驚いていました。

そんな南沙織のヒット曲といえば、やはり52万枚を超える大ヒットとなったデビュー曲の「17才」でしょう。南沙織はこの曲で日本レコード大賞の新人賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも初出場しました。その他にも、南沙織のヒット曲には、35万枚を売り上げた「純潔」や、1975年に日本レコード大賞・歌唱賞を受賞した「恋しくて」があります。

また、29万枚の大ヒットを記録し、紅白歌合戦でも2回歌ったのが「色づく街」。秋になると流れる機会が増えると言われる詩的な「色づく街」は、世代を超えて愛されている曲です。「17才」と「色づく街」は、両方とも有馬三恵子作詞、筒美京平作曲。「17才」は1989年に森高千里が、「色づく街」は、麻丘めぐみ、川島なお美、三田寛子など多くの歌手がカバーしたことからも、まさに南沙織の代表曲といえるでしょう。

南沙織は引退後も「家庭第一」で芸能活動!現在も人気は衰えず

南沙織は、「テレビよりもファンと直接触れ合えるコンサートが好き」と語っています。その言葉通り、映画には出演せず、「ミラーマン」(1971年)や「おれは男だ!」(1972年)などドラマには出演したものの、その活動の中心はずっと音楽でした。

1978年、南沙織は、上智大学入学を機に、学業に専念するため芸能界を引退します。しかし、1979年に写真家の篠山紀信と電撃結婚した後も、家庭第一のポリシーを守りながら、レコーディングなどの音楽活動は続けていました。1983年には、Cynthiaの名義で「ウ・フ・フ」を作詞。作曲は森山良子で、楽曲は、アグネス・チャンのアルバム「小さな質問」に収録されています。

1991年には、14年ぶりに紅白歌合戦にも出場。その他にも、新聞広告で浴衣姿を披露したり、「沖縄タイムス」のインタビューに答えるなど、南沙織の場合は、山口百恵のように引退後全く姿を見せないということはありません。
南沙織の現在も気になるところですが、2014年7月には「ゴールデン・アイドル南沙織」、2015年7月には22枚組ボックスセット「Cynthia Premium」が再販されるなど、今なおCDが売れ続けています。購入する人は1970年代のファンだけでなく、

親の影響で南沙織の曲を聴くようになったという若いファンもいるとか。これもまた、彼女が永遠のアイドルと言われるゆえんでしょう。ファンにとっては、引退後も南沙織に触れられることは嬉しいことです。現在50代60代になっているファンたちは、「心は10代にトリップ」「懐かしの青春ミュージック」などの曲を聴きながら、若き日に燃やした情熱を蘇らせています。

南沙織は永遠のアイドル!青春蘇る「17才」

南沙織は、戦後歌謡シーンのアイドル第1号と言われています。「アイドル」という言葉が、1980年代ほど頻繁には使われていなかった1960年代。紅白出場歌手やレコード大賞の顔ぶれを振り返ると、美空ひばりや吉永小百合のようなスーパースターはいました。しかし、アイドルと呼ばれる女性歌手は、やはり南沙織が初めてだったでしょう。

南沙織が「17才」でデビューしたのが1971年で、翌年に、キャンディーズがデビュー。1973年以降に山口百恵やピンク・レディーが登場したことを考えると、やはり南沙織がアイドルの先駆け的存在と言えます。

南沙織のデビュー曲「17才」の歌詞とメロディに不思議な魅力を感じるという人は少なくありません。同世代には共感を、そして年配者には青春を蘇らせる響きがあるようです。南沙織が17才の頃、年配者は「17才」を聴いて自身の青春時代を思い起こしました。

今は、南沙織と同世代が年配者と言われる年齢になっています。その世代の人々は、南沙織の「17才」を聴いて、きっと1971年当時の青春時代を蘇らせていることでしょう。南沙織を知らない世代も、あの小麦色の肌と輝く笑顔を見れば、なるほど元祖アイドルと納得できるのではないでしょうか。やはり南沙織は、時が経過しても永遠のアイドルです。

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