岸田森は文学座出身の超個性派俳だった!岸田今日子の従弟で樹木希林の最初の夫?!

岸田森は惜しむべき天才俳優だった!「太陽戦隊サンバルカン」とは?

岸田森は文学座出身の1970年代が誇る超個性派俳優

「呪いの館 血を吸う眼」「怪奇大作戦」「傷だらけの天使」と聞いて、1人の役者が思い浮かんだ人は、かなりカルトな芸能ウォッチャーと言えます。その役者とは、岸田森(きしだしん)。1939年生まれで、1970年代に活躍し、1982年、わずか43歳の若さでなくなった怪優です。

もっとも岸田森はキワモノ俳優ではなく、1960年、21歳で文学座附属演劇研究所に入った新劇の俳優で、同期には、寺田農や橋爪功、北村総一朗、草野大悟、樹木希林、小川真由美など錚々たるメンバーがいました。1966年に文学座を辞めて、草野大悟や樹木希林たちと「六月劇場」を結成。以後は、自分たちの芝居を行うため、映画やテレビドラマに精力的に出演します。今生きていれば78歳。「仮面ライダー」の死神博士役で有名だった故・天本英世のような超個性派俳優として活躍していたはずです。

岸田森は「怪奇大作戦」など特撮ものでカルトな人気!「太陽戦隊サンバルカン」衝撃の最終回

岸田森は死の直前、初期の戦隊もの「太陽戦隊サンバルカン」(1981年)で、太陽戦隊長官の嵐山大三郎長官を演じていました。普段はスナック「サファリ」の気さくなマスターですが、長官となるとサングラスをかけ、大仰な台詞回しでしゃべる姿は、子供たちに強烈な印象を残しています。

また、最終回では、岸田森演じる長官が、主役のサンバルカンたちを差し置いて、ラスボスを倒したというのも、当時の子供たちを驚愕させました。さかのぼること1968年、TBS「怪奇大作戦」で、SRI(科学捜査研究所)の頭脳的存在、牧史郎を演じた岸田森は、一部の特撮マニアの少年たちに圧倒的人気を誇ります。

さらに1971年、東宝映画「呪いの館 血を吸う眼」で、日本初の吸血鬼を演じたことから、カルト俳優として独自の地位を築くことに。1973年には、マイナーな特撮ヒーロー「ファイヤーマン」で、地球科学特捜隊SAFの隊長役も演じました。そして1974年の「傷だらけの天使」では、探偵社を経営する女主人(岸田今日子)に仕える、実はかつらの薄気味悪い下僕役を演じ、主人公であった萩原健一や水谷豊を圧倒する存在感を放ちます。

岸田森というと、得てしてこれら作品ばかりが取り上げられますが、1960年代後半から、亡くなる間際の1980年代初頭まで、テレビや映画に出演した数は膨大で、まちがいなく1970年代を代表する名バイプレーヤーの1人でした。唯一、岸田森がトップクレジットで遇された映画は、特撮ものに出演して以来の友人であった実相寺昭雄監督の問題作「歌麿夢と知りせば」です。

岸田森の死因となった病気とは?家系と樹木希林との関係!

岸田森、食道がんに死す!役者馬鹿の命を奪った酒、タバコ

岸田森は、40代をなったばかりの当時、多忙を極めていたものと思われます。ヘビースモーカーで、仕事が終われば、毎夜の痛飲。そんな彼はいつしか食道がんに侵され、43歳の若さで亡くなりました。岸田森を弟のように可愛がっていた若山富三郎は、「こんな事になるんだったら、お前を殴ってでも絶交してでも酒を辞めさせるべきだった」と後悔のコメントを残しています。

岸田森は岸田今日子の従弟で樹木希林の最初の夫?!

その家系もまたユニークな岸田森は、明治時代の劇作家・岸田国士の弟の岸田虎二の子として生まれました。「傷だらけの天使」で共演した女優の岸田今日子は、従姉にあたります。また、ともに劇団を立ち上げた樹木希林と、文学座の研究所時代の1964年に結婚し、1968年に離婚している岸田森。あの樹木希林が、内田裕也の前に岸田森と結婚していたとは、これも驚きです。岸田森はバーのママと再婚しますが、すぐに離婚。その後は、女優の三田和代と死ぬまで交際していたようで、岸田森の葬儀では、彼女が遺影を持って挨拶しています。カルトな役柄が多いことから、キワモノ的なイメージがある岸田森ですが、その才能と個性は、映画ファンだけでなく、多くの俳優から高く評価されていました。自らが主宰した俳優学校「勝アカデミー」の講師を岸田森に依頼したのは、多くの作品で共演した勝新太郎でした。この学校で学んだコメディアンの小堺一機は、後に、芝居論を熱く語る非常にユニークで素敵な先生であった、と語っています。

岸田森を役者人生の恩人と語る水谷豊が話した「傷だらけの天使」秘話

岸田森は、従姉の岸田今日子に言わせると、後輩俳優たちの面倒見がよく、教え上手であったそうです。実際、「傷だらけの天使」で共演した水谷豊は、2017年6月10日放送の日本テレビ「行列のできる法律相談所」に出演し、俳優人生で出会った恩人として、岸田森との思い出を語りました。

初対面は怖いイメージだったそうですが、岸田森は、「自分を変える必要はない」「大切なのは誰と何をするかであり、自分のやりたいようにやればいい」と諭し、親身になって、進むべき道を悩んでいた水谷豊の相談に乗ってくれました。「『演技を地でやっている』と言われるのが役者として最高のほめ言葉だ」とも教わったそうです。

また、「傷だらけの天使」で、下僕役の岸田森がかつらを取ってあやまる衝撃シーンは、監督と一部スタッフしか知らされていなかったことを暴露。水谷豊は、幸い足下しか映っていませんでしたが、これには本当にびっくりして大笑いしたと、当時を振り返っています。

番組が始まった時、岸田森は35歳で、水谷豊はまだ22歳でした。このように、スタッフや先輩、後輩タレントから慕われた役者馬鹿の岸田森は、日本一のカルト俳優であり、最高のバイプレーヤーでした。月日は流れ、俳優・役者たちの顔ぶれもほぼ入れ替わった今、岸田森のような無二の個性と才能、包容力を持った役者は居るでしょうか。岸田森のことをもっと知りたい方は、武井崇著「岸田森 夭逝の天才俳優・全記録」という労作が出版されていますので、ぜひどうぞ。

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