元谷芙美子がアパホテル社長になるまで!夫や息子は?ゴージャスすぎる自宅!

元谷芙美子がアパホテル社長になるまで!夫や息子は?


元谷芙美子のプロフィール
◆生年月日:1947年7月8日
◆出身:福井県
◆アパホテル株式会社取締役社長
◆配偶者:元谷外志雄(1970年結婚)

元谷芙美子がアパホテル社長になるまで!お飾り社長ではない!すごい実力

元谷芙美子(もとやふみこ)とは、人目をひく帽子に派手なスーツがトレードマークのアパホテル社長。たびたびバラエティー番組にも出演し、そのキャラクターの濃さが話題を集めている元谷芙美子は、なんと自身が大ファンである、明石家さんま公認の弟子だというから驚きです。元谷芙美子が明石家さんまの番組に出演した際に「明石家かますにしてくれますか?」と直接お願いすると、「ええよ」と快諾されたのだとか。弟子をとらないことで知られる明石家さんまの心を動かすほどの、強烈なインパクトがあったのではないでしょうか。

アパホテルの看板に燦然と輝くあの笑顔を、誰もが1度は目にしたことがあるはず。セレブの奥様がお飾りで社長をしている、と思われがちな元谷芙美子ですが、実際は違います。

元谷芙美子は1971年に夫・元谷外志雄が立ち上げた信金開発株式会社(現在のアパグループ)で、営業として活躍。トップの成績をあげて同社を大きく成長させ、実力で取締役となります。その手腕を買われ、夫から「お前、社長やれ。ホテルでお客をもてなすのは女将や」と、1994年にアパホテル社長に指名されました。

元谷芙美子の驚きの広告戦略。黒幕は夫・元谷外志雄!息子は?

アパホテル社長に就任した元谷芙美子がまず取り掛かったのが、広告戦略でした。派手な衣装に身を包み、「私が社長です」のコピーをひっさげ、看板や新聞広告や中吊り広告に一斉に登場。あまりのインパクトに、本社には苦情が殺到したそうです。しかしそれは、元谷芙美子の目論見通りで、アパホテルの認知度は一気に上昇。実はその広告戦略を練った黒幕は、アパグループを一代で築きあげた夫の元谷外志雄でした。

アパグループが手掛けるのは、ホテル業務だけではありません。主な事業は、マンション開発を軸にしたディベロッパー。元谷芙美子との間にもうけた2人の息子も現在はアパグループを支えており、長男の元谷一志は、アパグループの代表取締役社長を、次男の元谷拓はアパホテル株式会社の代表取締役専務を務めています。

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元谷芙美子の自宅や年収・資産は?耐震偽装問題からの展開もすごかった

元谷芙美子のゴージャスすぎる自宅や驚きの年収・資産!社会貢献も桁違い

元谷芙美子は、巨大なホテルチェーンを取り仕切る女社長。年収はもちろん桁違いです。バラエティ特番「とんねるずのみなさんのおかげでした秋の爆笑2時間半スペシャル」に出演した際には、ホテルの年商が「800億ある」と高らかに宣言した元谷芙美子。年収も、2012年の時点で5億5000万円と言われていました。

元谷芙美子の自宅は、東京の西麻布にある総額15億は下らない3階建8LDKの豪邸で、東京タワーが一望できるジャグジーがあるそうです。2012年の「週刊現代」の調査によると夫の元谷外志雄の総資産は2200億円ほど。家族4人がオーナーとして資産を保有している元谷芙美子一家ですが、2017年時点での事業価値の評価は、1兆1000億円だったそう。

元谷芙美子によると、アパホテル創業の翌年から、個人・法人ともに、高額所得番付にランクインしていたと言います。これまでの納税額は実に1200億円超え。2018年に発生した西日本豪雨の被災地には、1億円の寄付をしたことを明かしています。まさに桁違いの社会貢献を行ってきた元谷芙美子。誰にでもできることではないのではないでしょうか。

元谷芙美子が涙ながらに謝罪会見した耐震偽装問題とは?その後の展開がすごかった

元谷芙美子は、年商800億のアパホテルのカリスマ社長ですが、涙ながらに謝罪したことがあります。それが2007年に発覚した耐震偽装問題です。京都市にある「アパヴィラホテル京都駅前」「アパホテル京都駅堀川通」の構造計算書が修正されていたというこの問題。国土交通省の決めた耐震基準の7割程度しか耐震性がなかったというのですから、大問題です。この時は、元谷芙美子もトレードマークの帽子を脱いで、夫の元谷外志雄ともに「このようなことになって申し訳ありませんでした」と深く頭を下げていました。

実際には、アパホテルが行った不正ではなかったものの、この1件でアパホテルは、世間からの信頼を大きく損なう結果となりました。大ピンチのように見えますが、実はその後、現在の飛躍にもつながる大チャンスを掴んでいます。

耐震性問題の際に銀行から求められて、借りていた約300億円の借金を半年かけて返済したのだそう。その後リーマンショックで地価が暴落。すでに借金を返済し切っていたため、都内の土地を一気に購入することができました。これらの土地にはもちろん、現在アパホテルが建っています。たとえ窮地に陥ったとしても、チャンスを逃さない勘の鋭さは、さすがとしか言いようがありません。

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元谷芙美子の生い立ちに結婚、コロナ禍神対応!アパグループ細腕繁盛記

元谷芙美子の生い立ち!強運の持ち主

元谷芙美子は、1947年に福井県福井市に生まれました。戦後の食糧難で、食べるものにも事欠く時代でした。未熟児で生まれたという元谷芙美子は「親は育つ見込みはないと思って、棺桶を用意していたとか」と明かし「それがここまで生き延びられただけでもラッキーですよ」と語っています。

しかも、1歳にして自らが強運の持ち主であると信じるに足る出来事が起こったという元谷芙美子。福井大地震で自宅が倒壊するも、観音開きになった仏壇の間にすっぽり収まって守られ、助かったというのです。

奇跡的に生き延びることができた元谷芙美子は、その後は順調に成長し、福井県でも進学校で有名な福井県立藤島高等学校に入学。生徒会長も2度務め、放送部、陸上部、弁論部にも所属するという八面六臂の活躍ぶりだったとか。将来は、お茶の水女子大学に進学し、教師になるのを夢見たといいます。

しかし、父親が亡くなったことで元谷芙美子は、進学を断念。地元の福井信用金庫への就職を決意します。元谷芙美子は3人兄妹の長女だったこともあり、「自分が妹たちを守らなければ」との思いもあったそう。そして就職した福井信用金庫では「働くからには一番に」と目標を掲げ、女性初の支店長を目指していたといいます。

元谷芙美子は元谷外志雄と結婚後もパワフルに営業

進学を断念し、福井信用金庫で勤めていた元谷芙美子。そこで、生涯をともにするベストパートナーと出会うことになるのですから、やはり元谷芙美子は強運の持ち主であるといえるでしょう。

元谷芙美子は、地元の小松信用金庫に勤めていた元谷外志雄と、組合活動の場で知り合いました。1970年に2人は結婚。元谷外志雄が26歳、元谷芙美子が22歳の時でした。翌年には元谷外志雄は金開発株式会社(現在のアパグループ)を立ち上げます。

起業当初、元谷芙美子は第一子を妊娠中でしたが、積極的に仕事をしていきます。出産後は営業に出始め、成績はトップ。子育てと家事を両立させるハードなスケジュールをこなしていたそうです。

元谷芙美子は53歳で大学進学!コロナのピンチもチャンス?

1度は進学の夢を諦めた元谷芙美子ですが、53歳で法政大学人間環境学部へ進学しています。この時はすでにアパホテルの社長ですから、社長業をこなす一方で、勉強もしていたということになります。さらに卒業後は早稲田大学大学院公共経営研究科に進学。ここでの学びはホテル経営にも活かされていると語っていました。

そして国内の観光業が軒並み大打撃を受けているコロナ禍においても、その手腕は大いに発揮されています。新型コロナウイルス感染者の受け入れ先として、真っ先に名乗り出たのがアパホテルでした。

元谷芙美子は「ホテル業界のリーディングカンパニー」として受け入れを決めたそうですが、相手は未知のウイルス。当初は患者の受け入れに反対する周辺住民もいたそうです。しかし都にも協力を仰ぎ、情報を周知した結果、反対していた住民から「患者さんが早く回復するように」と、千羽鶴をもらうこともあったのだとか。

さらに一般向けには、公式サイト・アプリからの予約で、破格の2500円で宿泊できるキャンペーンも実施。直接予約限定にしたことでアパホテル会員も激増したそう。2020年6月時点では、50億円の黒字を見込んでいるとのことです。

誰にとっても初めての経験であるコロナ禍において、これほど臨機応変に、スピーディーに対応できたホテルが、一体どれだけあったのでしょうか。元谷芙美子の運の良さだけではなく、経営者としての確かな手腕が、アパホテルをここまで成長させてきたのだということが一連の動きに表れています。日本を代表するホテルとして、アパホテルはこれからどうなるのか、元谷芙美子の次なる一手が楽しみです。

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