村尾信尚は元財務官僚だった!三重県知事選挙落選を経て関西学院大学教授へ
村尾信尚の華麗なる経歴!若い頃は財務官僚だった
日本テレビ系のニュース報道番組「NEWS ZERO」で、2006年10月よりメインキャスターであるアンカーマンを務めている村尾信尚(むらおのぶたか)。穏やかな顔に似合わぬ鋭いコメントで人気の村尾信尚は、岐阜県高山市出身で、1955年10月1日生まれです。
実家は高山で製材業を営んでおり、裕福な家庭に育ちました。岐阜県立斐太高校を卒業した村尾信尚は、一橋大学経営学部に進学し、スキー部に所属。郵政省技官だった父親の影響もあったのか、卒業後は大蔵省に入省し、大蔵省理財局国庫課課長補佐、大蔵省主計局総務課長補佐、財務省理財局計画官、環境省総合環境政策局総務課長等を歴任しました。若い頃の村尾信尚は、財務官僚としての華麗な経歴の持ち主だったと言えます。
村尾信尚は三重県知事選挙落選を経て関西学院大学教授へ
村尾信尚は、大蔵省のキャリア官僚だった1995~1998年までの3年間、総務部長として三重県に出向しました。その時の手腕が買われ、環境総合環境政策総務課長だった2002年に退官し、翌2003年に行われた第15回統一選挙三重県知事選挙に出馬します。
しかし、「既成政党からの推薦は一切受けない」との信念で臨んだ結果、既成政党からの反発をモロに受けて惜しくも落選。一時は無職になってしまった村尾信尚でしたが、大蔵省時代の同僚からの紹介で、2003年に新設された関西学院大学の教授に1年の有期雇用契約で就任しました。
その時にテレビでコメンテーターを務めたことがテレビ局の目に留まり、2006年に、現在の職である「NEWS ZERO」のキャスターに就任。2011年10月からは関西学院大学経営戦略研究科会計専門職の教授も務めており、主たる拠点を関西学院大学東京丸の内キャンパスに置いています。
村尾信尚と安倍晋三が「Zero×選挙」で公開バトル!家族などプライベートは?
村尾信尚と安倍晋三が「Zero×選挙」で公開バトル!
自民党の圧勝で終わった2014年の衆議院選挙で、結果に満面の笑みを浮かべるかと思われた安倍晋三首相が、村尾信尚とまさかのバトルを繰り広げたことを覚えていらっしゃるでしょうか?バトルの舞台となったのは、日テレ系で放映された選挙特番の「Zero×選挙」でした。
事の発端は、村尾信尚の「アベノミクスに関連した女性雇用の具体的数字を出して欲しい」という質問です。この「具体的数字」に過敏に反応した安倍晋三は急に不機嫌になり、突如民主党への批判を始めます。村尾信尚が矢継ぎ早に「実質賃金の低下」を畳み掛けると、その問いかけに怒りを露わにした安倍晋三はイヤホンを外してしまい、「安倍さん、安倍さん!」と叫ぶ村尾信尚を完全に無視。
少し落ち着いた後にイヤホンを付け直した安倍晋三でしたが、再び中小企業に関する質問を投げかけた村尾信尚に完全にブチ切れます。そして、「村尾さんのように批判ばかりしていても変わらない!」と言い捨てると、村尾信尚も「私は批判などしていません!」と珍しく感情を露わにしました。
村尾信尚の病気や髪にまつわる疑惑とは?家族などプライベートは?
「NEWS ZERO」の人気キャスター村尾信尚について、ネット上では、病気や髪の毛にまつわる疑惑や家族など、プライベートに関することが話題になっているようです。まずは病気について。村尾信尚はアナウンサー出身でないため滑舌があまりよくありません。そのため、「もしかして脳梗塞?」などの噂につながっていまったようです。
また、カツラ疑惑も囁かれていますが、これは、「NEWS ZERO」の同僚である櫻井翔もMCの1人である「嵐にしやがれ」に出演したことが原因。この時に披露した派手なカツラ姿の映像が勝手に独り歩きしている様子で、こちらもガセネタと言えるでしょう。
そんな村尾信尚は、スキーや水泳が趣味のスポーツマンとしても知られていますが、プライベートな休日の過ごし方は意外にも散歩が中心とか。歩きながら物事を考えることがストレス発散になると語っています。すでに還暦を過ぎており、孫がいてもおかしくない村尾信尚ですが、家族や結婚にまつわる情報は出てきません。既婚者である可能性が高いと思われますが、真実はどうなのでしょう?
村尾信尚が「人生の道標を失った」と死を悼んだ名匠とは?
2018年1月4日、村尾信尚と深い親交があることでも知られた、プロ野球界のスーパースターで、中日、阪神、楽天で監督を務めた星野仙一が、すい臓がんで亡くなりました。村尾信尚がメインキャスターを務める「NEWS ZERO」に、スペシャルコメンテーターとして出演していたことがあった星野仙一。
村尾信尚は番組の中で「あまりに突然のことで本当に驚いている」とのコメントを発表し、「星野さんは『NEWS ZERO』にとって、とても大きな存在でした」と名匠の死を悼みました。村尾信尚には、楽天の監督時代に東日本大震災を経験した星野仙一が発した忘れられない言葉があると言います。
それは「天はその人が超えられない試練を与えない」。その言葉は、東日本大震災の被災地をたびたび訪れ、復興への思いを人一倍抱いていた村尾信尚の心にとりわけ強く響いたようです。「北極星を失った気持ちです」と、絞り出すようにコメントを発した村尾信尚の胸には、人生の道標を失ったかのような痛恨の思いがあったことでしょう。
かつて「自分の目を社会に向けさせてくれたのは父の存在だった」と語った村尾信尚は、父親と同じ背中を星野仙一に感じていたのかも知れません。星野仙一の訃報に際しては沈痛の面持ちだった村尾信尚ですが、その後も彼が伝えなければならないニュースは次々に舞い込んできています。村尾信尚には、世界中で起こっているニュースを、これからも血肉の通った言葉で伝え続けてほしいです。