中嶋一貴がル・マン24時間初制覇!過去の大事故や気になる年収は?

中嶋一貴の年収とは!?過去の経歴やプロフィールが気になる!

中嶋一貴の年収とは!?ル・マン24時間レースの優勝賞金は500万円!

中嶋一貴(なかじまかずき)は、今最も注目されているレーシングドライバー。2018年のル・マン24時間レースで優勝を果たし、知名度が一気に上がりました。

そんな中嶋一貴の年収が気になるところですが、レーサーの年収は優勝賞金によって変わってきます。ちなみに、ル・マン24時間レースの優勝賞金は500万円。その程度なの?と思った方もいるかもしれませんが、中嶋一貴はル・マン24時間レース以外にも出場しているので、年収は5000万円くらいではないかと言われています。

ただ、レースに参加する目的は優勝という名誉を得るためであり、お金のために走っているわけではありません。

中嶋一貴、過去の経歴やプロフィールが気になる!父はF1ドライバーの中嶋悟

中嶋一貴は1985年1月11日生まれ。愛知県岡崎市出身で、父はF1ドライバーの中嶋悟、弟はレーシングドライバーの中嶋大祐です。父の中嶋悟を知らない方はいないと思いますが、レーサーになったのは幼い頃から父の後姿を見て育ったからでしょうか。

中嶋一貴は1997年、12歳の時にカートレースデビューしました。1999年には鈴鹿選手権シリーズICAクラスでシリーズチャンピオンになり、2002年にフォーミュラトヨタレーシングスクールを受講。親の七光りと言われるのが嫌で、あえてホンダ系ドライバーの父とは違うトヨタを選んだと言います。

2004年に全日本F3選手権にデビューし、開幕ラウンドで2連勝という快挙を果たした中嶋一貴は、2007年にはGP2でルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。父のDNAは確実に受け継がれているということを見せつけてくれました。

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中嶋一貴は過去に大事故を起こしていた!事故後の状況と見事な復活劇とは!?

中嶋一貴は過去に大事故を起こしていた!フリー走行で雨の中のクラッシュ!

中嶋一貴は2015年、WEC世界耐久選手権に出場しました。ベルギーGPのフリー走行では、雨で前が見えなくなった他の車とクラッシュ。脊髄を損傷したことで、レース復帰は無理かもしれないと思われていました。

この負傷によって、中嶋一貴はスーパーフォーミュラ岡山を欠場。レースへの復帰は難しいのでは?と思われていましたが、なんと翌月には完全復帰を宣言しています。

中嶋一貴、事故後の状況と見事な復活劇とは!?手術を受けて翌日には退院!!

中嶋一貴がベルギーGPのクラッシュ事故で病院に運ばれた時、取材したリポーターは「完治するまで3ヵ月はかかるだろう」と報じていました。しかし、中嶋一貴は数日後、モナコで開催されていたフォーミュラEレースを見学するために姿を現し、関係者一同を驚かせました。

実は事故の後、中嶋一貴はフランス・ニースの病院に移り、脊髄の欠けた部分をセメントで補強するという手術を受けていたのです。手術は成功し、翌日には退院して歩けるようになっていました。モナコはニースから近いのでレースを見に行ったそうですが、その翌日からリハビリを兼ねたトレーニングも開始。見事な復活を果たしました。

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中嶋一貴、2018年ル・マン24時間耐久レースで優勝!日本車で日本人ドライバーは史上初の快挙!

中嶋一貴は、トヨタがFIA世界耐久選手権に参戦するために開発したトヨタ・TS030 HYBRIDが起用された2012年から、ル・マン24時間耐久レースに出場しています。初めての参戦は、エンジントラブルが原因でリタイヤ。2016年には、トップを走っていながら残り3分で動かなくなるなど、これまで様々な苦難がありました。

そんな不運を乗り越え、2018年のレースで中嶋一貴はようやく優勝を果たすことができました。車の独自設計が許されているLMP1のワークスはトヨタだけで、使われたのはトヨタTS050ハイブリッド。何が起こるかわからないという恐怖もある中、24時間良い状態で走ることができたと、中嶋一貴は語っています。運転テクニックだけではなく、車の状態をしっかりと把握していなければならないのが耐久レース。優勝の陰には、中嶋一貴の研ぎ澄まされた集中力があったのではないでしょうか。

中嶋一貴はこれまでル・マン24時間耐久レースに6回チャレンジし、2018年のレースで、ようやく優勝を手にすることができました。日本車で日本人のドライバーが優勝するのは、史上初の快挙。日本車のすごさと日本人ドライバーの運転技術があったからこそ、勝ち取ることができた栄光です。

優勝した時、中嶋一貴は肩に日の丸をかけていました。ル・マン24時間耐久レースに出場する時は毎回日の丸を持っていき、この日を待ち望んでいたといいます。日の丸を肩にかけることで、日本人としての誇り、喜びを表現したかったのでしょう。

チームメイトからは調和を重んじる典型的な日本人だと言われているようですが、そんな中嶋一貴は日本の誇りです。これからも世界で活躍し続ける生粋の日本人ドライバーとして、輝かしい栄光をつかむことを期待して応援したいものですね。

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