にしのあきひろの絵本「えんとつ町のプペル」が話題!Twitter炎上芸人はやめた!?
にしのあきひろことキングコング西野の絵本「えんとつ町のプペル」が異例の売り上げ!
にしのあきひろが、絵本作家として活動するお笑いコンビ・キングコング西野亮廣のペンネームであることは、すでに広く知られています。そんなにしのあきひろが、4年半の制作期間を経て、2016年10月21日に発売した絵本「えんとつ町のプペル」が、近年の絵本業界史上稀に見る話題です。
2009年の「Dr.インクの星空キネマ」で絵本作家デビューを果たして以来、すでに3冊の絵本を出版しているにしのあきひろ。今回の「えんとつ町のプペル」は、自身の絵コンテを元に、総勢33名のチームで制作に臨んだ、極めて美麗なオールカラー作品です。チームによる分業制作は、映画やドラマでは一般的ですが、絵本では世界初の試み。加えて、製作費用をクラウドファンディグで募ったことの話題性もあいまって、これまで出版した絵本以上に多くのTV番組で取り上げられました。
その結果、「えんとつ町のプペル」は、予約売り上げだけで1万部を達成。クラウドファンディグ支援者数の日本最高記録を叩きだし、発売1カ月後には、Amazon絵本・児童書売れ筋ランキングの1位に躍り出ました。
にしのあきひろの絵本「えんとつ町のプペル」あらすじ!Twitter炎上被害がテーマだった?
にしのあきひろの絵本「えんとつ町のプペル」は、夜空を駆ける配達屋さんが配達中に落とした”心臓”と、”ゴミ”から生まれたプペルと、主人公の少年との物語。そこには、人と違うことをすると叩かれるネット社会への風刺の意が込められているといいます。
かつてのキングコング西野亮廣は、「絵本業界を変える」「テレビのひな壇芸人はやめる」などとTwitterで発言し、大炎上を招くことが頻繁にありました。「芸人のくせに、傲慢じゃない?」と、アンチ西野が増殖する中、炎上商法の汚名まで着せられています。これが原因となり、西野亮廣は、2015年10月をもって、個人のTwitterをやめてしまいました。
しかし、西野亮廣には炎上目的の意志はなく、あくまでTwitter終了は、「呟くより、創作しろ!」と自分を顧みた結果だったそうです。「えんとつ町のプペル」の冒頭にある、「信じぬくんだ。たとえひとりになっても。」という言葉は、そんな自分を激励したものだったのでしょう。
にしのあきひろ絵本原画展の評判は?才能開花のきっかけはタモリだった!
にしのあきひろ絵本原画展が感動レベル!ペン1本とは思えないモノクロ原画で世界をも圧倒!
にしのあきひろ絵本原画展は、これまでに全国各所で開催されてきました。そこには、ビッグマウスで嫌われ者色の強いキングコング西野亮廣とは思えない、独創的かつ壮大な世界が広がっており、訪れた人からは、「絵本が売れるのが分かる!」と感動の声が上がっています。
にしのあきひろは、クラウドファンディングで出資を募り、2013年には、ニューヨークで初の海外個展を開催しています。もちろん、無名の絵本作家の個展ですから、初日は閑散としたもので、西野亮廣が自ら街で呼び込んだ客が、わずかに来場するにとどまりました。しかし、この時に撮られた写真がネットニュースで紹介されると、「スゴイ個展がある」と評判を呼び、2日目、3日目と、客足は爆発的に伸びています。
ペン1本で描かれたものとは思えないモノクロの原画は、製版された絵本から想像するよりも、はるかに美麗で迫力満点。アンチ西野たちは、「芸人が絵本なんか描いてんじゃねぇよ!」と言いますが、知名度という好条件のない海外で認められたにしのあきひろは、間違いなく天才と言っていいレベルです。
にしのあきひろに絵本を勧めた恩人タモリがいなければ芸能界を去っていたかも!?
にしのあきひろことキングコング西野亮廣は、幼い頃から絵が得意で、美術教師から美術大学への進学を勧められたほどでした。そんな西野亮廣が夢見ていたのは、絵描きではなくお笑い芸人。吉本興業のお笑い芸人養成所NSCを経て、1999年に相方の梶原雄太とキングコングを結成すると、2001年の「はねるのトびら」で早くもブレイクを果たします。
しかし、番組の人気が上昇する中で、西野亮廣は、「それに見合う地位を築けないのは、才能がないからでは?」と悩むようになり、芸人引退を考えるまで思い詰めていたそうです。そこに転機の光をもたらしてくれたのは、当時レギュラーを務めていた「笑っていいとも!」の司会者タモリでした。
この頃の西野亮廣は、番組の打ち合わせ資料に落書をする程度だったにもかかわらず、タモリは「絵本をやってみれば?」と、その才能を見逃さなかったようです。西野亮廣が独学で絵を学び、デビュー作「Dr.インクの星空キネマ」を制作する5年の間、タモリは何度も食事に誘い出し、西野亮廣を励まし続けています。
3作目となった2012年の絵本「オルゴールワールド」は、実はタモリ原案による作品。タモリがいなければ、西野亮廣は芸能界を去っていたかもしれず、絵本作家にしのあきひろが躍進を遂げることもなかったでしょう。
にしのあきひろの絵本「えんとつ町のプペル」は駄作!?ヒットを懐疑する声も
にしのあきひろの絵本「えんとつ町のプペル」は、2017年1月に、販売部数が25万部を突破しました。しかし、緻密な絵が評価されるも、肝心の物語に「何で売れているのか分からない」との声もあり、賛否両論となっているのが現状です。西野亮廣は、「えんとつ町のプペル」で、絵コンテの他にも脚本・監督を務めています。
その西野亮廣の文章が拙いのか、練り不足なのか、ゴミ人間プペルと関わる少年のキャラ立ちが薄く、展開が唐突に感じるという意見も挙がっています。「信じぬくんだ。たとえひとりになっても。」は、理不尽な目に遭った少年が、プペルと仲良くなることによって手に入れた心のテーマです。
奇抜な言動で忌み嫌われてきた自分を重ねるがあまり、西野亮廣は、物語の全体像を伝える文章を書くに至らなかったのかもしれません。説的ではありますが、チーム分業と聞いたアンチ西野が抱いた「ゴーストライターがいたってこと!?」という疑念は、この文章の拙さによって否定されたとも言えそうです。たしかに、「えんとつ町のプペル」がベストセラーとなった勝因は、チーム分業の試みなど、話題性を呼ぶ戦略ありきと言えば、そんな気もしてしまいます。
しかし、あえて赤字覚悟のチーム分業を提案したのは、他でもない西野亮廣でした。彼は、これまでにもハロウィン翌日の渋谷ゴミ問題の娯楽化を提案し、広告賞を受賞するなど、ありそうでなかったアイディアを発信してきました。その才能と、確かな画力があってこその、「えんとつ町のプペル」のヒット。西野亮廣が絵本としての物語構成力に磨きをかければ、今後のにしのあきひろ作品は、名作に数えられるようになるに違いありません。