日清食品新社長、安藤徳隆氏も頭を抱える冷凍食品の虫混入

2015年4月13日 更新

先日、日清食品の時期社長に創業者である安藤百福氏の孫である徳隆氏が就任することが発表になりました。
カップヌードルやどん兵衛を世に送り出した即席めん業界のトップである日清食品を、今度は若干37歳の若者が率いることになります。

日清食品新社長、安藤徳隆氏就任は、グループ会社の後継者を見据えた人事

安藤徳隆氏は現在、日清食品ホールディングス(HD)の専務を務めています。
創業者の安藤百福氏の孫で、日清食品HDの社長である安藤宏基氏の長男です。

今回子会社である日清食品の社長に据えることにより、後継者として育成していこうという意図が垣間見えます。

日清食品新社長、安藤徳隆氏もも頭を抱える冷凍食品の虫混入!!

安藤徳隆氏は2007年に日清食品HDに入社しました。
主に経営企画やマーケティングで手腕を発揮、テニスの錦織圭選手や、
英プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドとのスポンサー契約など特にスポーツマーケティングでの業績が大きいとされています。

横浜のカップヌードルミュージアムの立ち上げにも関わりましたが、開館以来非常に人気が高く、日本に数ある企業ミュージアムの中では有数といえます。

そんな安藤徳隆氏も今、頭を抱えているのが、「スパ王」などの冷凍パスタに虫が混入していた事件です。
その少し前に、「ペヤング」にゴキブリが混入してた写真がネット上で話題となりました。

ペヤングの販売元のまるか食品は、商品回収などの対応が遅れ、こちらもネットで炎上しました。
この事もあり、安藤徳隆氏は商品回収や消費者対応をいち早く指示したそうです。
新社長体制スタートは少々苦しいものとなりましたが、安藤徳隆氏の対応の早さであれば盛り返せるでしょう。

日清食品創業者である安藤百福氏は食の革命家

安藤百福氏はラーメンの魔法使い

日清食品創業者である安藤百福氏は台湾生まれ。生まれた街の近くには麺類で有名な場所があり、小さい頃から麺類には親しみがあったのかもしれません。
22歳のとき繊維商社を立ち上げ、翌年大阪にも進出しました。
空襲により全て失いましたが、数々の苦労を経て1958年現在の日清食品が誕生します。

戦後の食糧難に対応するため百福氏が発明したチキンラーメンは食生活に大きな変化をもたらし、革命とまで言われました。
今では当たり前のようになっていますが、発売当時は魔法のラーメンとまで言われていて、当時の人々がどれだけ衝撃を受けたのかが想像できます。

安藤百福氏の信念を受け継ぐ「百福士プロジェクト」は社会貢献事業

安藤百福氏は社会貢献活動にとても熱心な方でした。その志を引き継ごうと、日清食品では2008年に「百福士プロジェクト」を立ち上げ、ユニークなアプローチ
で様々な社会貢献を行ってきました。

創造・食・地球・健康・子どもたちの五本の柱のもとに、
例えば3年保存できるチキンラーメンやカップヌードルの缶詰、
イクメンによる麺レシピコンテスト、ケニアの学校給食にチキンラーメンを提供し事業化支援に繋げるという試みなど、
現在まで12のプロジェクトが実行されました。100まで続けるとのことですから、これからどんな面白い企画がでてくるのか注目したいですね。

日清食品創業者安藤一族の本拠地は大阪府池田市はインスタントラーメン記念博物館と落語の街

安藤百福氏は台湾生まれですが、日清食品が誕生したのは大阪でした。
チキンラーメンが誕生した池田市は大阪都心部からわずか20分圏内という便利な立地にあります。
安藤百福氏の業績を記念して建てられたインスタントラーメン記念博物館は池田市に来た際は必ず訪れたいスポットです。

また、上方落語のネタとして池田市がしばしば登場することもあり、落語の街としても知られています。
落語みゅーじあむでは実際に落語会も開かれることがあり、上方落語の伝承に一役買っています。

チキンラーメンやカップヌードルを作ってみよう

せっかく池田市に来たのなら、インスタントラーメン発明記念館でチキンラーメンを作ってみましょう。
小麦粉をこねるところから始まり、製麺、味付けからパッケージまで自分で手掛けます。

また、マイカップヌードルファクトリーでは4種類のスープ、12種類の具から自分だけのカップヌードルを作ることができます。
シーフードヌードル激辛、なんていうのも可能。世界にひとつのチキンラーメンとカップヌードルは思い出になること間違いなしです!

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