2021年1月8日 更新
野田聖子議員が卵子提供、体外受精で出産した息子との現在は?「私は産みたい」その後の歩み
◆出身:福岡県
◆血液型:A型
◆出身大学:上智大学外国語学部
野田聖子議員は子供を卵子提供、体外受精で出産!
自民党の野田聖子(のだせいこ)議員は、結婚せずに事実婚関係を続けながら不妊治療と向き合っている議員として長く注目を受けていました。2004年12月に出版した「私は産みたい」と題した書籍では、自身が直面した不妊治療のリアルな体験を告白しています。
そして2011年、50歳の時に子供を出産しました。卵子提供を受けての体外受精で、ようやく我が子に出会うことができたのです。「私にはこれしかなかった」、野田聖子議員のこの言葉には、大きな重みがあります。
意外にも、野田聖子議員は「出産」に執着心はありませんでした。しかし、乳児院で親に育児放棄された子供を「養子に迎えたい」と希望しても、年齢制限や事実婚を理由に断られてしまうという現実があったのです。
子供と出会うために考え抜いて出した答えが不妊治療で、最後にたどりついた手段が「卵子提供による体外受精」でした。
産まれた子供に様々な障がいがあり、エールもあれば辛辣な批判も受けましたが、「産んだことに後悔はない」ときっぱり言い切っています。
野田聖子議員が子供との密着取材を受けた思いは?
野田聖子議員の出産に対しては、様々な意見が寄せられました。その発端は、野田聖子議員がフジテレビ系番組「金曜プレステージ・私は母になりました。野田聖子・我が子との愛と闘い871日」に自ら出演し、難病の息子と共に闘う姿が出産ドキュメントとしてテレビ放映されたことです。
小さな体で難病に立ち向かう息子の姿には、多くの感動とエールが寄せられました。一方で強いインパクトがあったことで、議論が生じたのも事実です。
「ありのままの自分を取材してほしい」と語る野田聖子議員に、出産前から1年以上にわたり、密着取材を行った岡康治プロデューサーは、卵子提供を選ぶ他なかった野田聖子議員の出産を「ひとつの現実」としています。
そのうえで、「野田聖子議員は不妊という事実にもがき苦しんでいる女性たちへの何かのヒントになれば、との思いから出演を決めてくれた」と振り返りました。
野田聖子議員と息子の現在は?生命の危機からたくましく成長
野田聖子議員の息子は、生まれる前から臍帯ヘルニアや心臓疾患などの病気があり、誕生直後から新生児集中治療室に入ることを余儀なくされました。
その後も食道閉鎖症など様々な疾患が見つかり、自力呼吸が出来ないために気管切開し、人工呼吸器を付けたことで一時は声を失っていたそうです。
脳梗塞による右半身麻痺など、一時は生命も危ぶまれましたが、2年3ヶ月の入院を経て、2013年からは家族と一緒に生活できるまでに回復し、歩くこともできるようになりました。
野田聖子議員によると、息子は必要な医療ケアを受けながら「十二分の看護体制のもと」生活できているそうです。
看護師を雇って保育園に通い、小学校に入学。気管切開のための発語のしづらさや、知的障がいがあるそうですが、2018年頃から単語が文章に、そして2019年頃には会話のキャッチボールが成立するようになっていったといいます。
2020年2月に投稿された野田聖子議員のブログによると、進級を祝う会のステージで息子が「じぶんのなまえをかけるようにがんばりました」など、スピーチしたそう。涙で姿が見えなくなったことが綴られています。
生きるために医療機器と医療ケアが必須な「医療的ケア児」であることに変わりはありませんが、自転車にも乗ることができ、コンビニで買い物もできるそう。これからも母である野田聖子議員を驚かせるようなたくましい成長ぶりを見せてくれそうです。
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野田聖子議員の経歴・生い立ちと本名は?夫は?
野田聖子議員の経歴・生い立ちと本名は?議員としての政策活動とは
野田聖子議員は1960年9月3日生まれ。福岡県北九州市出身です。本名は島聖子ですが、名字が変わったのは結婚したからではありません。
祖母である野田光が亡くなった1984年に衆参議員であり、大蔵事務官・経済企画庁長官・建設大臣を歴任した祖父、野田卯一の養子となって野田姓を継いだからなのです。
野田聖子議員が養子になった背景には、実父である島稔氏が幼少時に野田卯一の岳父である島徳蔵氏の養子になっていたという、歌舞伎の世襲のような家庭事情が存在していました。
野田聖子議員は、田園調布雙葉学園を中途退学後、ミシガン州ジョーンズヴィル・ハイスクールを卒業。上智大学外国語学部比較文化学科を卒業し、帝国ホテルに入社し、帝国ホテルでは女性従業員初の国際セールス部員に大抜擢されました。
しかし、1987年に政界入り。岐阜県議会議員に自民党公認で史上最年少当選を果たしました。2005年には郵政民営化法案に反対票を投じて自民党を離脱しますが、翌年に安倍総理から郵政造反組の復党案が出され、12月に復党しました。
野田聖子本人が事実婚をしていたこともあり、選択的夫婦別姓制度導入や、自らの不妊治療経験を生かした生殖医療に議員として力を注いでいます。
野田聖子議員の元夫や、結婚した現在の夫は?
野田聖子議員は2001年、鶴保庸介参院議員との事実婚を発表しました。元夫・鶴保庸介議員は1967年生まれで東大法学部卒。2014年に、自由民主党参議院政策審議会長に起用されました。
2人は帝国ホテルで結婚式を上げましたが、2007年に離別。別れの原因は不妊治療における意見の相違が大きかったようです。
その後パートナーとなったのは、飲食店経営者の一般男性でした。野田聖子議員は子供に強くこだわり、結婚していない女性として10年に渡る不妊治療を行ったことでも話題を呼びました。
自らの卵子を凍結保存していたそうですが、2010年に米国で卵子提供を受け、体外受精で妊娠。翌年、野田聖子議員は長男を出産しています。
息子を出産後、精子の提供者だった現在の夫とは事実婚を解消して正式に入籍しました。事実婚の形をとっていたのは、野田姓を維持するためだったと後に明かしています。
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野田聖子議員の師匠は息子?総裁を目指す理由は?
野田聖子議員の唯一の師匠は息子!
「師匠はいない」としており、政治家としては”一匹狼”を自称している野田聖子議員。唯一の師匠は、息子なのだとか。出産を経て、「(自分は)政治家として花が咲いた」と語っています。
政治は「弱者のためにあるもの」であるはずなのに、自身はその弱者に当てはまらない。これにより、長らく政治と自分との間に矛盾を感じていたといいます。
しかし野田聖子議員曰く、息子は「社会的弱者のトップ」。息子を出産したことで、それまでは外野にいる感覚だったのが、当事者として「何の迷いもなく」政治に向き合うことができるようになったと語っていました。
「法律は自分の作品」と語る野田聖子議員。これまでいくつもの法律に関わっており、なかでも”代表作”としている発達障害者支援法は、発達障がいを持つ子供を抱えるママからの依頼を受けて作られた法律だそうです。
野田聖子議員が総裁を目指す理由
2020年9月15日に、菅義偉新内閣の役員人事が発表されました。野田聖子議員は、幹事長代行に就任。本人はこの人事を「フェミニストな人事」と表現しており、菅義偉総理は、性別は関係なく「仕事のできる現実主義者」として、自分を任命したのではないかと語っていました。
かねてより、”女性初の首相”を目指すことを公言している野田聖子議員。女性であるがゆえに、自身の能力は過小評価されていると分析しており、今後の目標は、それを打破することだと語っています。
また日本が抱える諸問題の原因は”少子化”にあるとしており、自身が首相になった暁には、少子化対策を実現させたいと意気込んでいます。
「世の女性には私のようになって欲しくない。子供を望む人には早く生んでほしい。産めるようにしてあげるべきだ」と語る野田聖子議員。政治家として、母親として、さまざまな経験を積んできたからこそ、必要な人に届く政治が実現できるのではないでしょうか。今後の野田聖子議員の動向に注目です。
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