小川眞由美が毒親だったと言われる理由とは!

小川眞由美が毒親だったと言われる理由とは!「女ねずみ小僧シリーズ」「八つ墓村」ほか代表作!

小川眞由美が毒親だったと言われる理由とは!

文学座出身で、かつては「杉村春子の後継者」とまで称され、日本アカデミー賞も受賞している実力派女優・小川眞由美は、一方で、怪しい宗教や霊能力者に傾倒するなど、何とも不可思議な実生活を送っていました。

そんな小川眞由美を母親に持ったがゆえに最大の犠牲者となったのが、パンクロックバンドのギター&ボーカルとして活躍する娘・小川雅代です。小川雅代は、2012年に、40年に渡る母娘の闇の闘いを赤裸々に語った告白本「ポイズンママ 母・小川真由美との40年戦争」を出版しました。

両親が2歳のときに別居し、母に言われるがままモデルや女優の仕事を続けていた小川雅代。「全部銀色に塗り替えろ」「48日以上家に居ると不幸になるから出ていけ」など、小川眞由美から数々の精神的虐待を受けたことによって、鬱病とパニック障害の果てに自殺未遂まで引き起こします。

「このままでは母を殺しかねない」とまで追い詰められた小川雅代は、母の女優生命をも奪う決死の覚悟で、「これが母との関係を修復する最後のチャンス」と出版を決意したそうです。

小川眞由美の出演作「女ねずみ小僧シリーズ」「八つ墓村」他の代表作!

若き日のショーケンこと萩原健一も出演し、老女がろうそくを頭に巻いた白装束で「八つ墓村の祟りじゃ~」と走り回るシーンが印象的だった1977年の映画「八つ墓村」には、小川眞由美も未亡人役で出演していました。1961年に文学座に入った小川眞由美でしたが、1971年に、「女優には向いていない」との理由で文学座を退団。

しかし、類まれなる美貌と妖艶さを持った小川眞由美にはオファーが殺到します。同年に出演した「女ねずみ小僧シリーズ」お京役で人気を博した小川眞由美は、大人気ドラマ「キイハンター」(1971)に続いて、「アイフル大作戦」(1973)では主演。エンディングテーマ「Viva!アイフル」を歌って話題となり、レコード化されて大ヒットとなります。

また、妖しい色気が代名詞だった小川眞由美を良い意味で裏切る名演技で社会現象にもなったのが、ドラマ「積み木くずし~親と子の200日戦争」(1983)です。娘役の高部知子に、「私とあなたは憎しみ合う親子を演じるのだから、今後は一切挨拶をしなくていい」と言い放ち、大物女優としての器の大きさを世に知らしめました。

小川眞由美の華麗なる恋愛、結婚遍歴!映画「シン・ゴジラ」出演の真相とは?

小川眞由美の華麗なる恋愛、結婚遍歴!橋爪功とは”実験的”婚約をしていた?!

日本人離れした美貌と妖艶な色気で人気を博した小川眞由美には、離婚歴のほか、数々の華麗なる恋愛歴がありました。1967年、小川眞由美は、同じく文学座に在籍していた細川俊之と結婚。一女をもうけますが2年後に別居に至ります。1973年に細川俊之と正式に離婚した小川眞由美は、その後、近藤正臣をはじめとする数名の男優と噂になりました。1981年6月には、舞台「ドリスとジョージ」で共演した同期の橋爪功に急接近!その年の9月に婚約を発表します。

しかし、2人にとってこの婚約は「実験的なもの」だった様子。小川眞由美は「結婚はしてもいいけれど、いつでもいい」と語り、橋爪功も「もしかしたら婚約破棄するかもしれない」とコメントしていました。新しい愛の形だと世間を賑わせましたが、2人の婚約関係は、1985年に解消されています。

小川眞由美が映画「シン・ゴジラ」に出演していた?

「エヴァンゲリオンシリーズ」で一世を風靡した庵野秀明が総監督となって大ヒットを飛ばした映画「シン・ゴジラ」(2016)は、内容もさることながら総人数328人という豪華なキャストでも話題となりました。その中に何と、実力派大女優である「小川眞由美」の名前があるではありませんか!何しろこの映画の中には、主演が張れるほどの大物俳優がほんのチョイ役で出演しているとあって、「どこの場面に出ているのだろう?」とネット上でも注目を集めていました。

しかし、「どう捜しても小川眞由美だけは見つからない」との声が続出。一体、小川眞由美はどこに出演していたのでしょう。その答えは「ノー」でした。実は、出演していたのは「小川眞由美」と同姓同名のラジオ福島出身のフリーアナウンサー「小川真由美」。文化放送やナレーションでも活躍中で、映画の中でもアナウンサー役で出演したようです。

小川眞由美は憑依女優だった!共演した岩下志麻も卒倒した都市伝説とは

業界では有名な話とも言われていますが、小川眞由美には「憑依女優」とも言える都市伝説的なエピソードや、数々の奇怪な性癖があるようです。娘である小川雅代が、自著「ポイズンママ 母・小川真由美との40年戦争」でも語っているように、「緑と紫は絶対に禁止」。何でも撮影現場では、「視界に入るところに緑を置いてはならない」なる「小川眞由美シフト」が徹底されていたと言います。

かつてあるインタビュアーがそれを知らずに緑の服を着てやって来た際には、現場が凍りつき、取材が立ち消えになったそうです。また、精神を病んだ母親役で「食卓のない家」(1985)に出演した折には、「本当に生の金魚をバリバリと食べた」という仰天エピソードも。

共演した岩下志麻は、「あまりの女優根性に卒倒しそうになった」と語っていました。女優としての葛藤や激しいストレスからなのか、30代後半から、宗教や霊能者に依存するようになっていった小川眞由美。残念なことに、2014年にバラエティに出演して以降、姿を見ることはありません。

真言宗の尼僧に得度したそうですが、女優を辞めたわけではなく、今は体調を崩して自宅療養中とのこと。2017年現在で77歳という年齢を考えても本当に心配ですが、立っているだけで独特の存在感を醸し出す数少ない女優の1人なので、体調が許すならば、今後も活躍してほしいものです。

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