大野将平がかわいそう!?天理大学柔道部時代の不祥事とは?

大野将平がかわいそう!?天理大学柔道部時代の不祥事とは?

大野将平がかわいそう!?その理由とは!

大野将平がかわいそう!と話題になっています。リオオリンピック柔道男子73kg級で見事に金メダルを獲得した大野将平ですが、なぜ「かわいそう」なのでしょうか?どうやら大野将平がかわいそうといわれる理由の1つは、報道のタイミングのようです。

柔道73kg級で金メダルを獲得した大野将平でしたが、直後に、内村航平率いる体操団体の金メダル獲得が放送されたために、その存在はすっかり霞んでしまいました。さらに、大野将平がかわいそうといわれる2つ目の理由は、日本柔道界の重圧。監督の井上康生が、選手に対して「我々は金しか目指さない」などとコメントしたことにもあるように、大野将平は、かなりの重圧を感じていたようです。そもそも銅メダル獲っても謝罪するのですから、日本の柔道代表はかわいそうですね。

大野将平が関わった天理大学柔道部時代の不祥事とは?

大野将平の天理大学柔道部時代の不祥事とはなんでしょうか。大野将平が天理大学で主将をしていた当時、4年生の部員が下級生へ暴力を振るったとして大きな問題になりました。大野将平も手を出してしまったようで、このことにより、停学及び主将の解任、3カ月の登録停止と、強化指定選手取り消しの処分を受けることになります。

しかし停学中に改めて人生について考えさせられたという大野将平は、処分明けに、ボランティア活動に積極的に従事するなどしています。大野将平が関わった天理大学柔道部時代の不祥事は、これを糧に成長する機会となったと捉えることもできるかもしれません。

大野将平は兄の影響で柔道家に!柔道世界選手権、グランドスラムの戦績は?

大野将平は兄の影響で始めた柔道家で金メダル!

大野将平は、兄の影響で柔道家を目指すようになりました。大野将平の兄は、元強化指定選手になったこともある柔道家であり、大野将平は、この兄の影響で、7才の時に柔道を始めました。階級も同じ73kg級で、得意技も同じ内股と、大野将平と兄は、柔道のスタイルも似ています。

ちなみに大野将平の兄は2つ年上で、現在は警察官。地元の大会にも出場する現役の柔道家のようです。大野将平は、兄の影響で柔道家になり、遂にオリンピックで金メダルを獲得しました。次は、大野将平自身が、後輩や子供たちに影響を与えることで新たな世代が育っていくことでしょう。大野将平は、兄の影響で柔道家になりましたが、今度は自身が影響を与える番です。

大野将平の柔道世界選手権、グランドスラムの戦績は?

大野将平は、グランドスラムでどのような戦績を残しているのでしょうか。柔道のグランドスラムは、国際柔道連盟によって主催される大会で、現在では「パリ・バクー・チュメニ・東京・アブダビ」の5大会を指します。大野将平は、2010年のグランドスラム東京大会で5位に入賞したのを皮切りに、2012年東京大会で金メダル、2013年パリ大会で銅メダル、2014年の東京大会で銀メダルという戦績を残してきました。

つまり、グランドスラムの3大会では、全ての色のメダルを獲得しています。大野将平は、グランドスラムで見事な戦績を残した後、その勢いに続けとばかり、2015年に世界柔道で個人・団体とも優勝を収めるという快挙も成し遂げました。その先に待っていたのが、2016年リオオリンピックでの金メダルを獲得です。

大野将平は不祥事を糧にリオオリンピック柔道代表に!そして金メダル!

大野将平は、初出場のリオオリンピックで、見事に金メダルを獲得しました。柔道は日本のお家芸ともいわれ、銅メダルを獲得していながらも謝罪会見をしなければならないほどの強烈なプレッシャーがあります。大野将平はこの重圧を跳ね除けて、見事に金メダルを獲得しました。決して順風満帆ではなかった大野将平の柔道人生。大きなターニングポイントといえば、やはり天理大学で主将を務めていたときに起こった暴力事件という不祥事でしょう。

大野将平は、柔道を辞めたいと思うほど悩んだようです。しかしこのときに悩んだ結果、「最高の柔道と最高の人間」になるという結論を導き出し、その後の柔道人生を全うしていくことになります。もともとは兄の影響で始めた柔道で、遂にオリンピックの金メダルを獲得するまでに至った大野将平。いまだ柔道を続けている兄としても、さぞかし誇り高い弟といえるでしょう。

そしてまだ24才ということですので、もちろん次の東京オリンピックにも期待がかかるところです。これからは次世代を担う若手も台頭してくることでしょうが、大野将平には、そんな若手選手たちの憧れの選手となり、日本の柔道を牽引していって欲しいと願います。

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