ポール・ゴーガン(ゴーギャン)は流浪の生涯だった!?家族は?代表作は?ゴッホの同居人だった!?

ポール・ゴーガンは青年実業家だった?

フランスの画家ポール・ゴーガンは、1848年6月7日にパリで生まれました。姓は「ゴーギャン」「ゴギャン」とも呼ばれます。父親はクローヴィス・ゴーガン、母親はアリーヌ・マリア・シャザル。両親と姉の4人家族でした。

父親は共和主義者のジャーナリストでしたが、1851年のナポレオンのクーデターで職を失います。フランスから逃げなくてはならなくなった一家はパリからペルーへと渡りますが、その航海中に父親が心臓発作で急死してしまいます。この時、ポール・ゴーガンはまだ1歳半で、姉は2歳半でした。

まだ幼い二人の子供を連れて突然未亡人となった母親は、親戚を頼りペルーで暮らします。叔父の娘婿が大統領を務めていたこともあり、ポール・ゴーガンは使用人が働く裕福な家庭で6歳まで過ごす事となりました。

その後一家はフランスに戻り、父方の祖父を頼りオルレアンで生活を始めます。その際に通った地元の神学校ラ・シャペル=サン=メマンで得た教えが、のちにポール・ゴーガンの絵画に影響しているといわれています。

1871年、23歳でパリ証券取引所に就職したポール・ゴーガンは実業家として成功し、このころの収入は3万フラン(約6億円)とも言われます。1873年にはデンマーク人のメット・ソフィー・ガッドと結婚。趣味程度に絵を描き始めたポール・ゴーガンは、1876年に作品がサロンに入選。翌1877年にアトリエを構えます。

しかし、1882年にパリの株式市場が大暴落したことで収入が激減、絵画を本業とすることを検討し始めます。そしてカミーユ・ピサロやポール・セザンヌ等と共に絵を描いて過ごす中で、ポール・ゴーガンは画家になることを決意します。

ポール・ゴーガンはコペンハーゲンに移り、防水布の販売も始めますがこれもうまくいかず、妻のメットがフランス語教師をして得た収入で生活します。苦しい生活が続き、ポール・ゴーガンは1885年に、家族を残したままパリへ戻ります。

その後、ポール・ゴーガンは二度のタヒチでの滞在を経て、1901年に南太平洋のマルキーズ諸島へ渡ります。しかし、最初のタヒチでの生活で健康を害していた彼は次第に全身が衰弱していき、1903年5月8日に54歳でこの世を去りました。死因は、アヘンの過剰摂取とする説や心臓発作だったとする説があり、明確にはなっていないようです。

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ポール・ゴーガンの家族は?

ポール・ゴーガンは1873年にメットと結婚し、エミール、アリーヌ、クローヴィス、ジャン・ルネ、ポール・ロロンの5人の子供をもうけました。

絵で食べていくと決めたあたりから生活が苦しくなっていったポール・ゴーガンは息子のクローヴィスを連れてパリへ戻り、あとの4人の子供たちは妻に預けて別居します。

画家としての成功を目指したポール・ゴーガンでしたが思うようにいかず、病気になったクローヴィスは、姉の支援を受けて寄宿学校へ入ります。別居していた妻とはポール・ゴーガンの叔父の遺産相続など金銭問題で揉め、会うことはおろか連絡も知人を介して取るなど、冷え切った関係となっていました。

一人になったポール・ゴーガンは生活費を切り詰めるため、フランス北西部のポン=タヴァンにある画家コミュニティへ移り住みます。ここで絵を学ぶ若い画家たちと出会い、気の合う画学生とパナマやマルティーク島を一緒に旅しながら絵を描くなど、その後の彼の画風に大きな影響を与えています。

ポール・ゴーガンはゴッホの同居人だった?

パナマで破産し、法の定めによりフランスへ戻ることになったポール・ゴーガンは、途中で立ち寄ったマルティニーク島でフィンセント・ファン・ゴッホに出会います。ゴーガンの絵が展示された店に、美術商をしていたゴッホの弟が出入りしていたことが縁となりました。

ポール・ゴーガンは自分の絵を気に入ってくれたゴッホと親しくなり、1888年にはアルルにゴッホが借りた家で、2ヶ月余り生活を共にすることになります。2人が暮らした家を描いたゴッホの作品「黄色い家」は、現在もオランダのアムステルダムにあるゴッホ美術館に収蔵されています。

一緒に生活する中で2人の仲は次第に悪化していき、同年12月23日の夜にはゴッホがカミソリで自身の左耳を切るという事件も起きました。翌日にゴッホは病院へ送られ、ポール・ゴーガンはアルルを後にします。その後2人が会うことは二度となかったようですが、手紙のやりとりは続けていたそうです。

ポール・ゴーガンは見た物を写真のように丁寧に描写する印象派からの脱却を図り、純色を使った象徴的な画風を確立。彼の作品は、反印象派ともいえる綜合主義へとつながっていきました。

印象派の画家たちの作品を、目で見た通りに描くだけでは思想がないと批判したポール・ゴーガンの代表作には「説教の後の幻影」「黄色いキリスト」「マハナ・ノ・アトゥア(神の日)」「光輪のある自画像」「浜辺の騎手たち」「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」等があり、現実をそのままに捉えない大胆な色使いの作品を多く遺しています。

2015年2月にはポール・ゴーガンが1892年にタヒチで描いた「Nafea Faa Ipoipo(いつ結婚するの)」が、絵画の取引額としては史上最高の3億ドル(日本円で約360億円)で落札され、大きなニュースになりました。原色の対比が見事なポール・ゴーガンの作品には、見る者を惹きつける不思議な魅力を感じます。

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