坂田利夫 身長、体重、本名、性格、出身地は?坂田利夫伝説、芸歴!「アホ」と呼ばれるとキレるってホント?!結婚、妻や子供、家族は?

坂田利夫 身長、体重、本名、性格、出身地は?坂田利夫伝説、芸歴!

坂田利夫 アホの坂田は、まるで子泣きじじぃのリアルフィギア

大阪人の誰もが知っている、最強最年長のアホ芸人、坂田利夫は1942年生まれ。いよいよ御年73歳になります。ゆで卵のような顔に皺が刻まれた坂田利夫の身長は160cm足らず、体重は59kg。貧弱な体に細い手足がついたその容姿は、まさにゲゲゲの鬼太郎に登場する子泣きじじぃのリアルフィギアのようです。

おまけに坂田利夫は、その本名まで、地神利夫という変わった苗字で、妖怪じみているのもご愛嬌。そんな坂田利夫の素の性格は、気のいいお調子者のオッサン。どこか軽んじられながらも愛される存在として、多くの後輩芸人たちからリスペクトされています。

周りに大阪人がいたら、「アホの坂田のテーマ」を知っているか聞いてみてください。ほとんどの大阪人は、間髪入れず歌い出すことでしょう。「アホっ♪アホっ♪アホの坂田♪アホっ♪アホっ♪アホの坂田♪アホのさーかーたー♪」。

続けて、この曲は誰が作ったのか聞いてください。彼らはこう答えるでしょう。「知らんのかいな。浪花のモーツァルト、キダタロー先生やんか。大阪では常識やで。」

坂田利夫 50年以上の芸歴を飾る、伝説のアホ芸の由来とは?

坂田利夫の出身地は、大阪湾に面した港区。実家は下請けの町工場をやっていたそうですが、幼い頃に来襲した台風で、工場もろとも流されたとか。そんな坂田利夫の芸歴は、すでに50年以上。

地元の商業高校を卒業して、いくつかの職業を転々とした後、大阪人特有の選択基準である、「あんたオモロイから、吉本でも入ったら」の調子で、吉本新喜劇に入ります。

そこで、まだ漫才コンビを組む前の西川きよしと、後にきよしと結婚するヘレン杉本と出会います。当時の芸能界ではまだめずらしいハーフのヘレンは、すでに新喜劇の看板女優で、坂田利夫ら三人は、下積み時代を共に過ごします。

やがて西川きよしは横山やすしと漫才コンビを組んで大ブレイク。坂田利夫もまた後を追うように、前田五郎とコメディNo1を結成します。時代はまだ1970年代初め。大阪は後の漫才ブームに先駆けお笑いが大ブームで、コメディNo1も、やすきよと肩を並べる人気漫才コンビとなります。

坂田利夫は、最初から今のようなアホを強調するボケではありませんでした。しかし、漫才の掛け合いの中で、前田五郎の「お前はアホか!」というツッコミに「そうや、アホやっ!」と強めにボケを返したとき、客にどっとウケたのが、アホの坂田誕生のきっかけになりました。

この一瞬を逃さず、坂田利夫は、正統派漫才のかけあいに、アホというキャラを強調した、独自のボケスタイルを確立。ここに坂田利夫のアホ伝説の芸歴が始まるのです。

坂田利夫 「アホ」と呼ばれるとキレるってホント?!結婚、妻や子供、家族は?

坂田利夫 本人は超二枚目志向で、素では「アホ」と言われてキレまくり

つまり、坂田利夫本人は、機転が利くおもろい人ではあっても、決して真正のアホではなく、芸人としてアホを演じているだけなのです。このギャップが、新たなアホ伝説を彩ります。坂田利夫は仕事を離れると極めて二の線でいるらしく、それがまた「アホのくせにかっこつけとる」と、大阪のほんまもんのアホたちにからかわれると、キレまくっていた若い頃の坂田利夫。

キレた結果の酒場でのトラブルなど、日常茶飯事であったそうです。しかし、笑えないのは坂田利夫の家族です。弟や妹はもちろんのこと、ある時、母親と二人で食事をしていたとき、心ない若者が、「坂田のアホや、アホ。」と言ったらしく、母親は泣きながら、息子はアホやないと抗議をしたそうです。

さすがに坂田利夫も、これには参ったらしく、アホ芸を止めようとまで悩みました。しかし、アホを演じきった、もうひとりの天才喜劇役者、故藤山寛美師匠が、「アホは心の優しい者しかできんのやで」と諭したことで、坂田利夫は、今や唯一無二のアホ芸人となったのです。

坂田利夫 おもろうてやがて悲しきアホ芸人の今

しかし、例えそのアホぶりが芸とはいえ、坂田利夫が、その容姿を含めて人並外れたけったいなオッサンであることに変わりはありません。おまけに本人の二枚目志向が、ますます女性を遠ざけてしまって、73歳になるまで坂田利夫は妻も子供もおらず、未だ独身のまま。

かつて一度だけ、先日亡くなられた、漫才コンビいくよくるよの、いくよとの結婚説が、大阪の夕刊紙を騒がせたことがあったぐらいで、これまで浮いた話はひとつもありません。

大きな自宅マンションには、ペットのイグアナが待っているだけとか。おもろうてやがて悲しき芸人を地で行くような、坂田利夫師匠ではあります。

坂田利夫 高校野球で母校が甲子園出場の影に、もう1つの隠されたエピソード

坂田利夫は、なんと、今年4月の終わりから右大腿部骨折で入院していて、7月半ばにやっと退院したばかりです。入院中は下のこともままならず、若い看護婦さんに世話をしてもらわねばならず、二枚目の坂田利夫としては、うれし恥ずかしで、たまらなかったとか。

そんな坂田利夫に、最近たいへんうれしいことがありました。坂田利夫は、かつての此花商業高等学校出身なのですが、今年の高校野球の大阪代表に、その此花商業が前身の、大阪偕星学園が決まったのです。学校出身者には他にも、河内音頭の河内屋菊水丸がいますが、坂田利夫はさっそくOBとして、「おめでとさ~ん!まさか甲子園に出場するとは!まいっちゃったね、たまんないね!」と持ちギャグで祝福。アホマンの衣裳で応援することを宣言しました。

実は坂田利夫には、高校野球にまつわる、もう1つ有名なエピソードがあります。かつて「アホの坂田のテーマ」が大ヒットしたとき、春のセンバツ大会入場行進曲に内定しながら、諸般の事情!で取り消されたという噂。

これもまた、坂田利夫アホ伝説の真骨頂と言えます。今年の入場行進曲は、昨年大ヒットしたディズニー映画「アナと雪の女王」のテーマ曲「Let It Go〜ありのままで〜」ですが、できれば大阪偕星学園の応援曲には、坂田利夫師匠の「アホの坂田のテーマ」を、演奏してやってほしいものです。

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