佐々木収の現在の活動とMOON CHILDの解散理由は?

佐々木収の現在は何してる?MOON CHILDの解散理由は?

佐々木収はササキオサム名義でバラエティ出演!MOON CHILD解散後の音楽活動は?

佐々木収は、ロックバンドMOON CHILDのボーカルとして活躍していたミュージシャンです。現在は、主に他のアーティストに楽曲提供を行う際に使用していた”ササキオサム”名義で、バラエティ番組に出演することもあります。

MOON CHILDは、1997年に唯一の大ヒット曲「ESCAPE」を残し、1999年に解散してしまいました。それから現在にかけて、佐々木収が、ミュージシャンとして大きく注目を集めるような出来事はなかった気がします。しかし、MOON CHILD解散以降もインディーズバンドで活動するなど、佐々木収は、音楽業界から一度も離れることはありませんでした。

2005年、”ササキオサム”として作詞を手掛けた、人気音楽グループAAAの楽曲「BLOOD on FIRE」が、同年の日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞したことは特筆すべきでしょう。しかし、現在に至るまでソロやバンド活動を続けてはいるものの、その内容は、MOON CHILD時代の楽曲がほとんどを占めています。そこまで執着するMOON CHILDが、なぜ解散に至ったかは気になるところです。

佐々木収が明らかにしたMOON CHILD解散理由、16年目の真相!

佐々木収は、大学卒業後、雑誌のメンバー募集で、ドラムの樫山圭と出会いました。その後、ベース渡邊崇尉を加えて「タンバリンズ」を結成。名をMOON CHILDに改めてメジャーデビューを果たした翌年には、「ESCAPE」がヒットして人気バンドの仲間入りを果たしますが、それから2年足らずで解散してしまいました。

佐々木収らは当時、「全てやり切ったため」と解散理由を説明していましたが、そこまで濃厚な活動内容だったかというと、いささか疑問が残ります。誰もがそう感じていたところで、2015年9月、バラエティ番組に出演して、解散理由の真相を激白した佐々木収。実際は、死に物狂いで作詞作曲を手掛けていた佐々木収が、他のメンバーとのギャラ配分が均等であったことに不満を抱いたことが原因でした。

しかし、佐々木収は、作曲は均等割り、作詞に関しては半分の取り分を要求しただけ。それよりも、他のメンバーに、「お前らもストイックになれよ」といった空気を強要していたことが亀裂を生んでしまったようです。

佐々木収の結婚や病気の噂!出身校やプロフィールは?

佐々木収は既婚者だった!病気の原因はMOON CHILD解散後のストレスなのか!?

佐々木収は2010年、大学時代から18年間交際していた同級生との結婚を発表しています。嫁や子供についての詳しい情報はありませんが、ファンから寄せられた祝福の中には、「MOON CHILD時代なら立ち直れなかった!」という声もあり、かつての人気ぶりが伺えます。そんな熱いファンの支えもあって、音楽活動を続けてきた佐々木収ですが、2013年には、酷いめまいで歩くことさえままならない症状に襲われました。

ファンの間ではメニエール病などと噂されていましたが、診断結果は、良性発作性頭位めまい症、もしくは前庭神経炎とのこと。MRI検査で脳に異常が見られなかったという報告に、ファンは安堵したものです。原因として可能性が高いとされたのは、過度のストレス。やはり、MOON CHILDとしての栄光を捨てて歩んできた音楽活動の道には、計り知れない苦悩があったのでしょう。

佐々木収は岩手県トップの名門高校出身!二松學舎大学進学は音楽活動のため?

佐々木収は1971年10月26日生まれで、岩手県盛岡市出身です。早くから音楽の才能を開花させ、中学時代には、「ソニーディスク&テープ大賞」の作詞作曲部門賞を受賞したこともあるそうです。その後、進学した岩手県立盛岡第一高校は、偏差値67を誇る県内トップの進学校。東京大学をはじめとする難関国立大学合格者を輩出してきた名門中の名門です。

それにもかかわらず、一浪を経て偏差値50前後の私立大学・二松學舎大学とは、少々物足りない気がしますが、高校時代から軽音部と演劇部に所属し、創作活動に明け暮れていたのですから致し方ありません。その頃、同級生と結成したバンドでは、テレビ番組のコンテストで審査員特別賞も受賞したこともあり、ますます音楽にのめり込んでいった佐々木収。全国津々浦々の大学の中で千代田区にある二松學舎大学を選んだのも、音楽活動を目的に上京したかったからなのかもしれません。

佐々木収がMOON CHILD時代の栄光から一変!「有吉反省会」でムッツリキャラ確立!?

佐々木収が作詞作曲を手掛けたMOON CHILD最大のヒット曲「ESCAPE」は、ロックサウンドながら、気だるげなボーカルと妖艶なメロディが、1990年代の音楽史に鮮烈な印象を残しました。ともさかりえ主演ドラマ「FiVE」の主題歌にも起用され、バンドは、”ポストMr.Children”と言われるまでの注目株に。

2013年にMOON CHILDが再結成ライブを行った際、解散からすでに14年が過ぎていたにもかかわらず、チケットが即日完売したという事実は、その爪痕の深さを物語っています。しかし、2017年3月には、他のバンドとの対バン出演があったものの、とりたてて大きな話題にはなりませんでした。旬の時代に解散せず、活動を続けていればと思うと、やや悔やまれる現状です。

そんな中、佐々木収自身のキャラクターが、バラエティでジワリと異彩を放ちつつあります。そのはしりは、いつも眠そうな顔をしていることを反省するために出演した2016年末の「有吉反省会」でした。この日、芸名からしてお下品なアイドル・ぱいぱいでか美に会うために出演を決めたと告白した佐々木収。かねてから、ぱいぱいでか美を寵愛し、愛人扱いしてきた博多大吉の”恋敵”の地位を獲得したことで、一躍注目を集めることとなりました。

2017年3月25日は、ぱいぱいでか美とのオールナイトライブが禊VTRとして放送されましたが、またしてもMOON CHILD時代の「ESCAPE」ありきとは、この風潮も、すっかりネタ化しているようです。再びMOON CHILDが脚光を浴びることがあったとしたら、新たな角度から楽しませてもらえそうです。

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