2022年9月15日 更新
孫正義が東日本大震災義援金100億円!寄付の行き先は?!
孫正義の、東日本大震災100億円の義援金に対する毀誉褒貶
孫正義は、世界の長者番付に名前が載るほど金持ちで、IT業界の巨人、ソフトバンクの創業者であり代表取締役社長と、もはや一般人には手の届かない雲の上の人のようです。今日に至るまで、孫正義の成功譚は伝説と化し、彼自身、実在の人物かと思われるほどの存在となっています。
日本の大企業とは異なり、ソフトバンクは、今も即断即決のオーナー企業。孫正義がやるといったことは、かならず実現されています。中でも話題となったのは、東日本大震災に対する100億円もの義援金です。相も変わらず、孫正義は毀誉褒貶にまみれましたが、それでは他の大企業が、いったいどれだけのことを実践できたかを考えれば、孫正義の行為は、賞賛こそされ、批判される筋合いのものでは決してありません。それら批判に対して、孫正義は、ソフトバンクを通じて、岩手県に10億円、宮城県に10億円……と、東日本大震災義援金の使途明細を、公的にオープンにしています。
孫正義は、意外に若い昭和30年代の鉄腕アトム世代
孫正義は、1957年生まれで、まだ58歳です。日本の大企業の幹部も、かなり若返りが進んでいますが、それでも孫正義は若い!世代的には、団塊世代後の昭和30年世代、鉄腕アトムの世代に属します。
孫正義は、在日韓国人2世として、佐賀県鳥栖市に生まれました。在日韓国人の多くが、まだ貧しい暮らしを強いられていた中、持ち前のバイタリティで、飲食やパチンコ、金融などで成功する人たちが、少しずつ増えていったこの時代。孫の家族も、パチンコで成功したため、孫正義は、幼年期には考えられないほど、裕福な少年期を過ごします。
しかし、依然として差別や偏見は色濃かった日本。孫正義は、ここではないどこか、もっと自由に生きることができる場所を求め、地元の進学校を高校2年で中退して、単身アメリカに留学しました。またたく間に英語を習得した孫正義は、飛び級で高校卒業資格を得て、1977年、名門カリフォルニア大学バークレー校経済学部の3年生に編入します。まだ在学中の1979年に、シャープに自動翻訳機を売り込んで得た資金1億円を元手に、ソフトウェア開発会社を設立した孫正義。
さらにはインベーダーゲーム機を日本から輸入するなど、孫正義は、二十歳そこそこで、もうりっぱな実業家となっていました。そして1980年、大学を卒業した孫正義は、福岡県博多に会社を設立します。坂本竜馬に憧れたアトム世代の青年が、同世代の凡百の日本人と違っていたのは、誰よりも早く、たった一人で、グローバリズムの競争社会に飛び込み、コンピュータ、インターネットという宝の山を見つけ出したということでしょう。
孫正義の結婚相手、子供、国籍は?心に染みいるツイッターつぶやき集!
孫正義は、アメリカで学生結婚していて大きな娘が2人
孫正義の私生活は、今や伝説と謎に包まれています。孫正義は、アメリカに渡ってすぐに、通っていた英語学校で知り合った日本人女性と、大学在学中に結婚。孫正義の結婚相手は、東京で大きな病院を経営する一族のお嬢さんでした。孫正義には、すでに娘も二人いるそうです。しかし、早くに結婚し、娘も大きくなっているからか、これまで孫正義の子供たちが、芸能マスコミなどにさらされることはありませんでした。
孫正義は、「大きな志を明確なビジョンにして、命がけで実行する」
孫正義は、日本の大企業のオーナーのように、ともすれば、陰に隠れて権力を操るようなタイプではありません。よくも悪しくも、常に自分の意見やビジョンを、明確にメッセージする、欧米企業のオーナーのようです。孫正義は、ツイッターなどでも積極的に発言しています。孫正義がまず掲げているのは、志です。「人生の全てを、事をなすために捧げたい」、「知恵や知識は、道具に過ぎない。明確な志なき時は道具の持ち腐れである」。そして次に掲げるものが明確なビジョンです。「ビジョンがあれば、少々の嵐にもへこたれません。苦しいときこそ、船と仲間を命がけで守れる人でなければ、大将になってはいかんのです。試練なんて黙っていてもやってくるものなんです」。そして、ビジョンを現実に実現することです。
「20代で名乗りを上げ、30代で軍資金を最低でも1000億円貯め、40代でひと勝負し、50代で事業を完成させ、60代で事業を後継者に引き継ぐ」。孫正義も、いよいよ60歳になります。いったい誰が、孫正義の巨大な志と事業を継承するのか。また新たな伝説が生まれることでしょう。
孫正義が、福岡ソフトバンクホークスの成功の次に挑む、新プロバスケットリーグ
孫正義は、2005年、プロ野球パ・リーグ、福岡ソフトバンクホークスのオーナーとなって、球団本拠地を福岡に置き、王貞治を監督に招聘しました。以後、福岡ソフトバンクホークスは、秋山幸二、工藤公康監督の元、セパ交流戦5度の優勝を果たし、パ・リーグきっての人気球団となりました。
そして今度は、ソフトバンクが、新プロバスケットリーグのB.LEAGUのトップパートナーになることが決定しています。孫正義は、発表会見の中で福岡ソフトバンクホークスがソフトバンクの金を使って選手を獲得しているという金満経営批判に対して、痛烈な反論を行いました。
いわく、パ・リーグは、始まって以来ずっとすべての球団が赤字だった。しかし福岡ソフトバンクホークスは、当初は赤字だったものの、ここ数年は毎年、数十億円の利益が出ている。他球団は、所有企業の広告代で、赤字を補填しているが、福岡ソフトバンクホークスは、球団自体の経営が黒字。
その黒字を選手、監督、スタッフに還元し、さらに強いチームにして、お客様に喜んでもらうのは当然だ、と。孫正義は、日本のプロ野球が、これまでスポーツビジネスとしてちゃんとした経営ができていなかった、と主張したかったのでしょう。今回の、新プロバスケットリーグB.LEAGUのトップパートナーの就任に関しても、世の批判などおかまいなし。ここでもまた、孫正義独自の志と戦略の全貌が、すぐに現実となって姿を現すことに違いありません。