田原成貴は、日本中央競馬会に所属した元騎手・調教師!騎手時代の勝利数や獲得賞金が気になる!
◆出身:島根県
◆身長・体重:169cm・51kg
◆所属:栗東トレーニングセンター
◆所属厩舎:フリー(1998年引退)
田原成貴は競馬界の玉三郎!
田原成貴(たばらせいき)は日本中央競馬会に所属していた元騎手・調教師です。1983年、1984年にはリーディングジョッキー(年間最多勝利騎手)となり、騎手時代は天才騎手、あるいはその甘いマスクから競馬界の玉三郎とも呼ばれていました。
田原成貴は1998年に騎手を引退し、1999年から厩舎を開業して調教師として活動を始めました。公式ファンクラブを結成やオリジナルグッズを販売するなど、当時は独自の運営方法が話題になったことも。調教師を辞めた後は、競馬評論家として活躍しました。
田原成貴、騎手時代の勝利数や獲得賞金が気になる!
田原成貴は騎手時代、通算8649戦のうち1112勝しています。そのうち重賞が65勝、GI級が15勝。通算1000勝を達成したのは1994年9月でした。
田原成貴は騎手デビューしたその年に28勝するという快挙を果たし、中央競馬関西放棄者クラブ賞を受賞。デビュー2年目には関西リーディングジョッキーを獲得しました。そんな田原成貴の獲得賞金が気になるところですが、引退するまでの通算獲得賞金は174億5397万円というものすごい金額になっています。
松山弘平騎手の年収や成績、嫁まで深堀り!桜花賞で起きた衝撃の事故とは!?
田原成貴のプロフィールや経歴を紹介!
田原成貴は歌手になるのが夢だった?
田原成貴は1959年1月15日生まれ。出身は島根県です。競馬とは全く関係のない家庭で育ち、子供の頃はザ・テンプターズの萩原健一が好きで、夢は歌手になることでした。騎手になりたいと思ったのは、当時国民的アイドルとして話題になっていたハイセイコーが、1973年の日本ダービーで嶋田功が騎乗しているタケホープに敗れたシーンを見たから。ガッツポーズをしていた嶋田功にすごく感動したそうです。
田原成貴は、中学在学中に日本中央競馬会の馬事公苑騎手養成長期課程に合格。中学を卒業すると第25期生として馬場学校に入学しました。2年目に滋賀県栗東トレーニングセンターの谷八郎厩舎の研修生になり乗馬技術を習得。1978年に騎手免許試験に合格し、谷八郎厩舎の騎手としてデビューしたのです。
田原成貴の経歴を紹介!
田原成貴が騎手デビューしたのは1978年3月4日、阪神競馬第3競走でした。テンシンニシキに騎乗して初勝利を挙げ、同じ年の10月にはリョクシュに騎乗してタマツバキ記念で重賞初勝利。翌年には64勝をあげて、関西リーディングジョッキーを獲得。天才騎手として注目を集めました。
1983年12月、田原成貴は有馬記念でリードホーユーに騎乗して優勝して八大競走初制覇。その年の中京競馬開催で20勝あげ、開催最多勝利記録を更新。年間でも104勝したことから、初の全国リーディングジョッキーを獲得しました。1984年にも年間101勝をあげ、2年連続全国リーディングジョッキーになりました。その後、落馬による怪我のため騎乗数の制限を余儀なくされ、1998年2月21日京都競馬第9競走を最後に引退しました。
柴田善臣が最年長ながら「愛知杯」でV!レジェンドの凄さや代表的な試合を紹介!
田原成貴、執筆や音楽活動でも活躍していた!
田原成貴の現在が意外すぎる…!
騎手を引退した田原成貴は、調教師として有力馬主の支援を行うなど競馬界に貢献していましたが、銃刀法違反や覚醒剤取締法違反などで逮捕されたため、調教師免許を剥奪されてしまいました。その後は競馬雑誌「競馬最強の法則」のコラムの執筆や対談を行うなど、競馬評論家として活動しました。
実は田原成貴、引退する少し前から漫画やエッセイなどの執筆活動も行っていて、1993年から土田世紀のマンガ「ありゃ馬こりゃ馬」の原作を担当。全17巻の単行本累計売り上げが200万部を突破しました。「勝算」や「法の庭」などの漫画原作も田原成貴が手がけています。「法の庭」はフジテレビで2007年にドラマ化されています。1996年に書いたエッセイ・対談集「競馬場の風来坊」は100万部を超えるヒット作になるなど、作家としても活躍していたのです。
田原成貴がミュージシャンに転向!?
田原成貴は競馬評論家、作家としても活躍しましたが、なんと音楽活動も行っていたのです。1984年に「自由にさせてほしいのさ」というシングルを、1996年には全5曲のミニアルバムを発売。東京公演などライブ活動も行っていました。
そんな田原成貴は現在何をしているのか気になったので調べてみると、海保ロックンロールバンドのボーカルをしているという情報がありました。このバンドのTwitterを見ると2017年2月8日を最後に情報発信はされていませんが、アップされている画像には田原成貴の姿がありました。現在もバンドのボーカルとして活動しているのかどうかは不明ですが、競馬ファンの間では今もなお田原成貴を懐かしく思う人が多いようです。
2019年11月5日に田原成貴が主戦騎手として騎乗していたマヤノトップガンが亡くなりましたが、Twitter上では田原成貴抜きでマヤノトップのことは語れないというコメントもたくさんありました。もう競馬の世界に戻ることはないと思いますが、作家や音楽活動を通じてこれからも才能を発揮してほしいと思います。
木下彩音の祖父、父も競馬騎手!「シグナル長期未解決事件捜査班」でドラマデビュー
東馬場ななは兵庫県出身のリポーター・声優・ナレーター|気になる出演番組は!?
松尾翠アナは旦那・福永祐一と結婚式を2回挙げていた!ブログで綴る京都での生活にほっこり