谷繁元信の結婚した嫁、息子は?落合博満から学んだリードの秘密とは?
谷繁元信の結婚した嫁、息子は?嫁に関しては全て謎!息子達は野球をしている!
谷繁元信の結婚した嫁は一般の方のようで、出会いや結婚した年月日など公表されていませんでした。2013年の年末に谷繁元信が離婚したという情報が出回りましたが、こちらも公言されてはおらず、真相は闇の中です。
離婚しているのではという噂の出所は、家族は横浜に住み、谷繁元信自身は名古屋に移籍してからはずっと単身赴任をし続けていることからささやかれるようになりました。そんな谷繁元信には、長男で國學院大學の硬式野球部に所属している谷繁快さん、横浜の桐蔭学園で軟式野球部に所属する次男の谷繁凛さん、三男の三人の息子がいます。今後ドラフトをにぎわせる選手になるかどうか、注目したいですね。
谷繁元信 落合博満から学んだリードの秘密とは?リードでは無く姿勢!
谷繁元信が落合博満から学んだリードの秘密とは、プロとしての姿勢についてでしょう。中日に移籍した時、谷繁元信は横浜で優勝を経験し名捕手としての名声を得ていました。その源流は、横浜大洋ホエールズの監督をしていた大矢明彦の「セリーグ1のキャッチャーと呼ばれていたヤクルトの古田敦也のクラスまで成長させたい」と言う決意の元、谷繁元信が基礎からしっかりしこまれてすくすくと育ったことにあります。
その名捕手・谷繁元信が他球団に移籍すれば、当然のように正捕手の座は用意されているでしょう。しかし落合博満は谷繁元信に対し、今までのことは関係ない、若手もベテランも横一線でのスタートだと伝えたのです。対する谷繁元信も、そのコメントに対して新たな気持ちで挑戦したと言うコメントをしています。
谷繁元信が落合博満から学んだのはリードの秘術ではなく、プロ選手ならいつだって崖っぷちのつもりで危機感を持って望むべきという姿勢。落合博満自身が著書で、守りで攻撃する野球を目指すと書いており、監督はグラウンドに出ることはできないのだから、グラウンドではキャッチャーが監督の代わりになると考え、しっかり手綱をしめたと述べています。この考え方を、来年の専任監督就任として、ぜひ谷繁元信に生かしてほしいですね。
谷繁 年度別年俸、成績推移、盗塁阻止率は?
谷繁 年度別年俸!名捕手の年俸は妥当か!?
谷繁元信の年度別年俸ですが、1988年にドラフト1位で当時の大洋ホエールズに指名され契約金6000万円で入団。1989年は480万円、1990年720万円、1991年は1080万円で、1992年には1430万円と順調に年俸を上げて行きます。1993年は1330万円とダウンしますが、1994年は2600万円と2倍増、1995年は3500万円にアップしますが、1996年は3250万円と少しダウンしてしまいます。
しかし1997年と1998年は6600万円と約2倍にアップ。そして1999年は前年の38年振りの横浜優勝に貢献した為、1億3000万円と大台突破を果たします。2000年、2001年は1億4000万円で横浜での選手生活に終わりをつげ、2002年より中日ドラゴンズへと移籍します。
年俸は横浜時代と同じ1億4000万円でしたが、翌年2003年から2005年まではついに2億5000万円までアップしました。しかし2006年から年俸ダウンが始まり2億2500万円、2007年2億1000万円、2008年2億円。そして2009年には1億7500万円とついに1億円台に突入します。
2010年は1億6000万円、2011年は1億7000万円、2012年1億8000万円、2013年1億9000万円と、2億円に届かない年が続きます。そして2014年からは監督兼任として選手年俸1億3000万円+監督料1億円で2億3000万円になりました。監督としての契約は4年となり、2015年現在の年俸は合わせて1億9000万円となっています。
谷繁元信 成績推移、盗塁阻止率は?27年間の現役生活の記録!
谷繁元信の成績推移、盗塁阻止率は、現役通算27年で3021試合に出場し、NPBにおける歴代最高記録を持っています。2108安打を放ち、本塁打229そして打点は1040と4桁を記録。打率は.240と3割を割っていますが、谷繁元信の盗塁阻止率は.368と3割を超えています。
守備率も.996、失策83捕逸118と守備力の高さを物語っています。横浜優勝時にベストナインとゴールデングラブ賞、最優秀バッテリー賞を受賞。中日に移籍してからも2006年、2007年そして2009年と2011年、2012年の6回ゴールデングラブ賞を受賞しています。2004年と2006年は川上憲伸と、2011年は吉見一起と最優秀バッテリー賞を受賞しています。
谷繁の今後は!? 専任監督として、手腕を問われる!
2015年9月14日に、選手として今季限りで引退することを表明した谷繁元信ですが、来季は専任監督として続投することが決まりました。谷繁元信は、横浜に愛着はあったものの、当時監督を務めていた森祇晶とそりが合わず、球団も森監督に味方したため、中日へと移籍を決めたとも言われています。
もし仮に森監督のお気に入りであったとすれば、谷繁は今も横浜で正捕手を務め来季の監督にすんなり決まったことでしょう。そして球界の歴史も変わっていたかもしれません。しかし谷繁元信の移籍により、落合政権は評価と結果を得ることができ、落合GMは、中日の白井オーナーから熱い信頼を得るにいたりました。
その信頼の厚さは、一度は球団首脳陣から追い出されたにもかかわらず、オーナー直々の願いで落合博満はGMとして戻ってきたほどです。谷繁元信という名捕手がどちらいたかで球界の歴史が変わっていたと思うと、改めて凄い選手だったと思い知ります。そんな谷繁の今後ですが、来季2016年からは専任監督として、勝負の年になります。
兼任とはいえ3年目を迎え、結果を残さなければいけない苦しい展開。今季は山本昌の引退や、他にも引退する選手がいるのではという情報もあり、チームの主力が入れ替わる可能性も高く、チームはさらに微妙な状態です。こうなってくると、いまだに愛着があるという横浜への監督としての就任も今後の展開次第ではあるのではないかと思います。
以前虐げられた経験から、谷繁元信は選手思いの良い監督になることでしょう。もちろん専任監督としての経験をしっかりと積んでいけば、星野監督、落合監督に次ぐ、中日の伝説の監督にもなれるはず。谷繁元信は、選手としては引退してしまいますが、来季以降の監督業も楽しみにしたいですね。
谷繁元信は古田敦也と並び、一つの時代を築いた名捕手です。監督としてはどちらが上か?興味が尽きません。