立川談春のエッセイ「赤めだか」から見える才能!もっとも独演会チケットが取れない落語家!

2016年5月24日 更新

立川談春のエッセイ「赤めだか」から見える才能!もっとも独演会チケットが取れない落語家!

立川談春、古典落語に定評あり!『赤めだか』でエッセイスト才能発揮!

立川談春(たてかわだんしゅん)は、人気・実力ともに図抜けた存在の落語家。プロフィールは、1966年6月27日生まれの49歳。東京都に生まれ、本名は、佐々木信行(ささきのぶゆき)。立川談春は古典落語に定評があり、師匠である立川談志をして「俺よりうめぇな」と言わしめるほどの実力派。時には、オリジナルとも言える切り口の噺も見せます。

立川談志の高座に出会ったのがきっかけで、落語そのものよりも、談志の人物に大きな魅力を感じ、談志一門への入門を決意した立川談春。その前は、競艇選手を目指したものの、身長が競艇学校の規定を超えていたため断念しています。しかし、落語家となってからも、「競艇ナビゲーター」で競艇中継へも出演しているほか、競艇雑誌・新聞のコラムへの執筆もしています。

立川談春といえば、本業の落語家としての実力はもちろんですが、ドラマ「下町ロケット」などで俳優として存在感を見せつけたかと思えば、エッセイストとしても才能を発揮中。第24回講談社エッセイ賞を受賞したエッセイ『赤めだか』から見える才能は、非凡なものがあります。

もともとは扶桑社の季刊文芸誌『en-taxi』に、『談春のセイシュン』というタイトルで連載していたのですが、2008年4月に『赤めだか』へ改題され、同社より単行本として刊行されました。『赤めだか』のあらすじは、1984年に高校を中退、立川談志に入門してから、1997年の国立演芸場で開かれた第6回真打トライアル、そして真打昇進に至るまでの立川談春自身の苦難と葛藤を描いています。2015年12月28日には、TBSで年末ドラマ特別企画「赤めだか」として、二宮和也主演でテレビドラマ化までされています。

立川談春、独演会チケット即日完売連発の人気ぶり!弟子へ課す条件はシビア!

立川談春は、いまや「最もチケットが取れない落語家」と呼ばれるほどの人気と実力。実際に、立川談春の独演会などのチケットは、即日完売を連発する人気ぶりで、チケット購入は困難を極めるようです。最近では「ルーズベルトゲーム」や「下町ロケット」などのドラマ出演や、エッセイ『赤めだか』のドラマ化で、さらに注目も集めたこともあり、今後もチケットの入手はさらに難しくなりそう。

そんな立川談春は、自らも実力派なだけあってか、弟子に与える条件はかなりシビア。談春門下の場合、前座でいられる期間は入門してから5年間で、それまでに二つ目に上がれなければ破門。しかも、二つ目昇進の試験は1度限りという条件まで付いています。なかなかシビアな条件ですが、これらの条件をクリアしないと、将来、落語家として生計を立てられないという考えがみられます。立川流の落語家は、寄席に上がることができないため、自ら全国各地をまわって歩かないと、おまんまの食い上げという事情もあるのでしょう。

談春門下の弟子は、「弟子の会」という落語会を開いて腕試しをするのがしきたりですが、ある時、弟子の言動に目に余るものがあり、全員謹慎処分に。その時予定されていた「弟子の会」では、立川談春自身が「弟子の不始末は師匠の責任」とばかりに高座に上がったとのことです。弟子に課する条件もシビアですが、その分、自らの姿勢も律しているわけですね。もっとも、そのときの「弟子の会」は、普段なかなかチケットを取れないお客さんにとっては、立川談春の高座に行き当たってうれしいサプライズだったことでしょう。

立川談春が情熱大陸で語った師匠・立川談志師「愛」に泣かされる!

立川談春、『情熱大陸』に出演!大阪での独演会で『芝浜』を演じる!

「情熱大陸」とは、毎日放送(MBS)制作の人間密着ドキュメンタリー番組。毎回、各ジャンルの第一線で活躍する人物に密着し、その魅力・素顔を独自の切り口で掘り下げていくことで定評があります。2009年1月4日放送分では、立川談春が登場し、師匠である立川談志への思いを包み隠さず語っています。放送前年の2008年、立川談春は、師匠・立川談志との親子会、大阪での独演会、著書『赤めだか』の講談社エッセイ賞受賞と大活躍。立川談春が、落語家として大きく成長した姿を見せました。

番組は、2008年12月25日の大阪での独演会に向けての立川談春の姿に焦点を当てます。6月に実現した歌舞伎座での親子会で、師匠の十八番『芝浜』を演じたものの、立川談春自身は忸怩たる思いにとらわれ続けていました。そんな中、独演会の話が舞い込みます。舞台は、老朽化により50年の歴史に幕を下ろそうとしていた大阪・フェスティバルホール(初代)。

あらゆるジャンルのアーティストたちから愛される存在になっていた芸能の舞台。芸に目の肥えた上方の大勢の観客をたった1人で魅了するにふさわしい題目は?……熟慮の末、『芝浜』を選んだ立川談春。一世一代の舞台で、観客の心をとらえ、そして自らを納得させるにふさわしい高座を務め上げられるのか?番組は、立川談春が、苦悩、葛藤しつつ、高座を演じ切る渾身の姿に迫ります。

立川談春、師匠・立川談志への「師匠愛」!「尊敬はしているんだけどあえて立ち向かう」

立川談春の師匠・立川談志との絆。「情熱大陸」のメインテーマは、そう言い切っていいでしょう。「考え方まで似せたい。こういう発想とか、ものの捉え方をしたい。あの歳になっても師匠は闘っているでしょ」と語った、立川談春の「師匠愛」には泣かされます。その一方、「僕が父親を尊敬崇拝しきっている子供だとすると、尊敬はしているんだけど、あえて立ち向かうという子供がいて……。誰でもできるからね、死んだ後は。もっと言えば弟子だという一点で」と、「師匠越え」を清々しく言い切ります。

偉大な師匠に生涯ついていくという自分の決意を「師匠選びも芸の内」とまで言い切る勝気さ。「怒りがないと前に進めない」と言う攻めの姿勢、そして「怒られるより、誉められるほうが怖い」と自分の芸に冷静な判断をするシビアさこそ、立川談春の真骨頂。のちのドラマ出演でも発揮された、滑舌の良さとメリハリのある演技力も忘れてはいけません。番組中で紹介されていた立川談志の『芝浜』は、まさに感動もの。自堕落な亭主を改心させようとする妻をかわいらしい女性ととらえているところも、演目の持つ味わいをさらに深める効果があったと言えます。

印象的だったのは、独演会をスタンディング・オベーションで終えた立川談春を見た柳家花禄の一言。「落語がこんな力を持っているとは思わなかった」と、涙しながら語っており、立川談春の姿勢に大きな感銘を受けたのでしょうか。『芝浜』の締め台詞「よそう、また夢になるといけねえ」を引用した、「写真に撮らねば、夢になるといけねぇ」という粋なナレーションも絶品でした。

立川談春、「徹子の部屋」初出演を師匠予言?師匠の人となりに黒柳徹子も「あ、私、泣いちゃう」

立川談春は、2016年1月26日放送の「徹子の部屋」に初出演を果たしました。「赤めだかがドラマになって」「17歳で高校を中退して、立川談志さんのお弟子さんになって」と、のっけから、黒柳徹子による経歴の流暢な説明が入りました。高校を中退し、立川談志門下に飛び込んだ立川談春。駆け出しのころは、修業の合間に新聞配達をしながらの日々を送ったこともありました。しかし、師匠・立川談志は「こういう苦労をすると、数年後に、黒柳さんの番組に出て『あなた、苦労をしたのねえ』と涙ぐんでくれるかもしれないぞ」と予言(?)していたといいます。

この言葉が本当になるとは夢にも思わず、「まさか現実にこの日がくるとは」と感慨深そうに語る立川談春。しかし、そんな感慨も、黒柳徹子にかかると「あら、じゃあ私は涙ぐまなきゃいけないのかしら」とあっさりバッサリ。そんな中、在りし日の立川談志がゲスト出演した1990年のライブラリー映像が挿入されたのは、ファンにはうれしい限りでした。

自由奔放な立川談志と黒柳徹子のやりとりは、やはり楽しいもの。立川談春自身のトークからも、親孝行ぶりや、亡くなる前の様子など、立川談志の人となりが聞かれたのは貴重でした。声を失う手術の直前に呟いていたのは、落語。しかも、破門された師匠・柳家小さんの十八番ネタ。ここではさすがの黒柳徹子も「あ、私、泣いちゃう…」。最後は、小さん師匠に教わった噺の数々を口ずさみ続けていたというエピソードに、黒柳徹子は「いい人だったんですね」としんみり。それと同時に、立川談春の師匠との絆もかいま見えて興味深い回でした。

立川談春と師匠との関係は「情熱大陸」でもうかがえるものですが、一方では、『赤めだか』に嫉妬していたことも示唆される立川談志。天才肌の立川談志をもってしても、自らの着想を小説にまとめることができませんでした。裏を返せば、小説では師匠を越えたといえる立川談春。落語のみならずドラマなどで話題の人となっており、今後もチケットが入手困難な状況は続きそうです。

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