寺尾聰(あきら)元嫁・范文雀との結婚、離婚の真相は?「ルビーの指輪」ヒット秘話
寺尾聰の元嫁・女優の范文雀(故人)との結婚・離婚の真相は?
寺尾聰は、2014年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』に德川家康役で出演したとき、ドラマの中でいつも右目を半開きにしていました。そのため、「寺尾聰は右目が悪いのではないか?」とネット上でも話題を呼びましたが、実は全てが役作りの演出。「僕の中での家康は裏表のある曲者。それを自分で常に意識するために裏の顔の象徴として右目を少し閉じて何か企んでいるように見せるようにしました」と語っています。
良き父親のイメージの強い寺尾聰ですが、今の妻と結婚する前、26歳の時に女優の范文雀と結婚・離婚しています。元嫁・范文雀との結婚生活は一年と短いものでしたが、その結婚の前に何と!ジュディ・オングと交際していたという事実も発覚しています。寺尾聰がジュディ・オングに「結婚後は家庭に入って欲しい」と強く望んだことが破局の原因だったそうですが、奇しくもその後結婚相手に選んだのが同じ台湾出身の范文雀!こちらの離婚の原因も元嫁・范文雀が家庭よりも仕事を選んだからかも知れませんね。
寺尾聰は日本レコード大賞歌手だった!大賞曲「ルビーの指輪」の知られざるヒット秘話とは?
寺尾聰は、日本アカデミー賞の最優秀男優賞を二度受賞し、実力俳優として誰もが認めるところですが、大ヒット曲『ルビーの指輪』で、歌謡界の記録を次々と塗り替えた日本を代表するシンガーソングライターでもあります。今の寺尾聰からは想像できませんが、高校時代はエレキギターに心酔し、バンド活動が度を越して、停学や退学を繰り返す問題児だったのだとか。
その時に培った抜群の音楽センスが生かされて、1981年第23回日本レコード大賞を受賞した寺尾聰の『ルビーの指輪』ですが、その時代ならではの独特な制作で誕生しました。まずは、ラジカセに思いついたメロディを片っ端から吹き込み、それを流しながら、ギターを弾いて音を拾っていきます。歌詞ができて、ボーカルとギターが合ったところで、缶を叩きながらリズムを入れて曲を仕上げたのだとか。当時、曲のヒットに端を発して、全国でルビーの指輪がバカ売れ!宝石店からルビーの指輪が姿を消してしまったという仰天エピソードもありました。
寺尾聰の父、宇野重吉は劇団民芸創設者!現在の嫁・息子や娘は?
寺尾聰の父親である宇野重吉は劇団民芸創設者!親子で紫綬褒賞受賞!
寺尾聰の父親は、俳優座・文化座と並んで日本を代表する劇団『劇団民藝』の創立者である宇野重吉です。1981年には長年に渡る演劇界への貢献から紫綬褒賞を受賞している宇野重吉。そんな偉大な父を持つ寺尾聰は、俳優として活動を始めた頃に、周囲から「あの宇野重吉の息子か」という目で見られていました。よくある偉大な父を持った二世タレント的な見方をされたのだと思いますが、寺尾聰は「自分が道を踏み外さなかったのは、オヤジのおかげ」と後に語ったように、宇野重吉に対して反発するどころか相当のリスペクトがあったようです。
寺尾聰は、物静かなイメージとは裏腹に、今でも会った人が誰もが感じる「やんちゃな思考」の持ち主で、高校時代は警察のお世話になったことも。そんな時でも、宇野重吉は何も言わずに寺尾聰のことを見守り、当時不良の代名詞だったエレキバンド活動にも全く反対しなかったそうです。「周囲からどう見られようが、自分を信じてまっすぐに進め!」。寺尾聰は、父から託されたこの言葉通り、周囲の意見に惑わされることなく我が道を極め、2008年には紫綬褒賞を受賞!宇野重吉・寺尾聰親子二代での栄えある受賞となりました。
寺尾聰の現在の嫁・息子や娘は?
寺尾聰の現在の嫁は、1979年に資生堂のCM『微笑みの法則』に出演した元モデルの星野真弓です。ドラマ『西部警察』で共演したことがきっかけだったようですが、知り合った当時は19歳ぐらいでしたから、寺尾聰とは一回り以上年齢差があったのではないでしょうか。
寺尾聰は『ルビーの指輪』が大ヒットした後、ファンに対する感謝ツアーを全国で行った際に、コンサートチケットの件でマスコミとトラブルがあり、不信感があるのか、自らの私生活について余り公表していません。子供に関して、息子に関する発言はしたことのない寺尾聰ですが、三年前に出演したNHKのスペシャルドラマ『永遠の泉』の会見で「杏ちゃんはウチの娘とよく似ているんだ」とコメントしたことから、寺尾聰には、女優の鈴木杏さん似の娘さんがいるようです。
寺尾聰の俳優としての神髄は父・宇野重吉から遺された「自分の生き様に対する責任感」だった!
寺尾聰について、タレントでサックス奏者の武田真治が、上沼恵美子が司会を務める人気バラエティ番組『快傑えみちゃんねる「度肝を抜かれた芸能人」』というコーナーで、次のような内容の話をしていました。
武田真治が寺尾聰とドラマで共演した折に「武田くん、演出家と反りが合わなかったら自分の考えを曲げる必要はないんだよ。本当に自分らしく生きていたら、その生き様に共感してくれる演出家に必ず出会えるから」とアドバイスしてくれたそうなのですが、それがよりによってドラマの演出家との顔合わせの日!演出家を目の前にした余りに露骨な発言に、武田真治はどう答えてよいのか分からず困惑してしまったのだとか。
一見穏やかな雰囲気の寺尾聰ですが、心に秘めたる情熱は相当なものがあるようです。それは「自分の生き様に対しての責任感」という言葉に置き換えることができるかも知れません。一人息子だった寺尾聰は、若い頃からやんちゃを繰り返す相当な問題児でした。しかし、父親の宇野重吉は「息子の信じた道ならば」と黙って見守り続けました。親子の間には、語らずとも信頼という強い絆で結ばれていたのだと思います。宇野重吉が遺したこの言葉こそが、今の寺尾聰の俳優としての神髄となっているのではないでしょうか!