U2が奇跡のバンドと言われる理由は?ボノは国際的な慈善活動家としても有名だった!

U2が奇跡のバンドと言われる理由とは?30年の歴史を振り返る

U2は奇跡のロックンロールバンド!独特なバンド名の由来に迫る!!

グラミー賞の受賞数だけでも、ロックバンド史上最多22作品にも上るU2。1980年にメジャーデビューして以降、解散はもちろんのこと、メンバーの脱退や交代もなく活動している数少ないバンドです。それゆえに奇跡のバンドとも言われているU2は、功績が評価され、2005年にはロックの殿堂入りを果たしています。

ボーカルのボノ、ギターやピアノ、コーラスを担当するジ・エッジ、ベースのアダム・クレイトン、そしてドラムとパーカッション担当のラリー・マレン・ジュニアで構成されているU2は、アイルランドのダブリンで結成されました。U2のバンド名の由来は諸説あり、アメリカ空軍が所有する高度偵察機である「ロッキード U-2」であるとか、ドイツ海軍が第二次世界大戦中に使用した潜水艦「UボートⅡ型」が由来との噂も。

しかし、メンバーは、バンド名を決める際に、数ある候補の中から一番妥当だと思われるものを選んだだけだと語っています。

U2の30年を振り返れば世界情勢も分かっちゃう!?これまでの軌跡を徹底解剖!!

U2のドラムやパーカッションを担当するラリー・マレン・ジュニアが、1976年、アイルランドのダブリンにあるマウント・テンプル高校の掲示板に、バンドメンバー募集の張り紙を出したことがすべての始まりでした。最終的に現在のメンバーが集った1978年に、バンド名をU2とし、アイルランド国内で音楽活動を始めます。1983年にリリースした3rdアルバム「WAR(闘)」の1曲「New Year’s Day」は、ポーランド民主化運動の独立自主管理労働組合「連帯」について歌っており、U2初となる全英シングルチャート・トップ10入りを果たしました。

その後、アイルランドやイギリスのみならず、U2の人気は、ヨーロッパやアメリカ、そして日本にも広がります。1987年に発売された5thアルバム「The Joshua Tree」は、イギリス音楽史上最速で売れたアルバムと言われ、この快挙はいまだに破られていません。時代と共に変遷してきたU2の音楽をまとめると、1980年代は、ブルースなど古き時代の黒人音楽の影響が見られ、1990年代になると、積極的にテクノ音楽の要素を取り入れてロックバンドのイメージを一新します。

時を経て2000年代には、原点回帰してシンプルなロックサウンドに戻るとともに、コンサートが大規模となっていき、U2の存在を確固たるものとしていきました。U2は、世界の社会問題などを取り上げるメッセージ性の強い歌詞に加えて、ロックの枠に捉われない柔軟な音楽性により、国籍や年齢、宗教を問わず幅広いファンの支持を獲得していったと言えますね。

U2ボノの慈善活動が凄い!人気曲ランキング

U2ボノは国際的な慈善活動家としても有名だった!ノーベル平和賞の候補に3度もなったって本当?

U2のボーカルであり、フロントマンとしても知られるボノは、国際的な慈善活動家の一面も持ち合わせています。キリスト教の宗派の派閥争いが濃いアイルランドという国で、カトリックの父とプロテスタントの母との間に生まれたU2ボノ。楽曲のほとんどの歌詞を手掛けるボノの、国籍や宗教を超越した思想の原点は両親にあるのでしょう。

デビューから間もない初期の時代、U2ボノは、宗教色の濃い歌詞を書いていました。しかし、年月の経過と共に、社会問題に言及する歌を多数発表しています。意識の高まりからU2ボノが慈善活動を開始したのは1985年、エチオピア飢餓救援コンサート「ライブエイド」に参加してから。ボノの妻も慈善活動家として有名ですが、この企画に参加した後には、エチオピアの孤児院で、夫婦で6週間もボランティア活動をしました。

この経験をきっかけに、ボノは、自分の持っている知名度や影響力を使うべきだと決意したと語っています。やがて、慈善活動は、以前から強い関心を寄せていたアフリカの発展途上国支援プロジェクトを中心に本格化。当時アメリカ財務長官だったポール・オニールは、U2ボノの慈善活動を「セレブの売名行為だ」とまともに取り合いませんでしたが、実際に会ってみると、アフリカ問題に非常に精通していることに驚いたと言います。

また、国連を敵視していた元アメリカ合衆国上院議員のジェシー・ヘルムズを説き伏せ、最終的にアフリカ支援の意思を表明させるなど、効力を発揮してきたU2ボノの慈善活動。この活動が高く評価され、受賞は叶わなかったものの、2003年、2005年、2006年と、3度もノーベル平和賞の候補に挙げられました。

U2のこれだけは聴いておきたい人気曲をチェック!「血の日曜日事件」をモデルにした楽曲って?

U2には名曲と呼ばれる楽曲が多数あり、その好みは個人の趣向で分かれますが、新旧のファンを問わずよく聴かれるのが「Sunday Bloody Sunday」です。1972年1月30日に北アイルランドのロンドンデリーで起こった「血の日曜日事件」と呼ばれる、イギリス軍が非武装の市民を銃撃した事件をモデルに作曲されています。

現代アイルランド史において重要な事件とされているため、U2の政治的な意図に注目が集まりましたが、U2のボノは、あくまでもモデルにしただけであり、事件について歌っているわけではないとコメント。楽曲のスタイルはU2の原点であるロックサウンドで、ボノの声量のあるストレートな歌い方が清々しい一曲です。

2000年にリリースされたアルバム「All That You Can’t Leave Behind」は、音楽界からも評価が高く、グラミー賞では多数の受賞を果たしました。中でも、最優秀楽曲賞などを受賞した収録曲「Beautiful Day」は、長年に渡ってさまざまなジャンルの音楽の影響下で挑戦的な作曲をしてきたU2が原点回帰した曲として、広く認知されています。また、ミュージックビデオが、フランスのシャルル・ド・ゴール国際空港の滑走路で撮影されたことも話題を集めました。

U2のアダム・クレイトンがパパに!?ボノが伝えたいメッセージと越えられない壁!

2017年、コンサートツアー「The Joshua Tree 2017」が行われている最中に、ベース担当のアダム・クレイトンの妻が妊娠中であることを暴露してしまったU2ボノ。その時は、否定するわけでも肯定するでもなく首を振るだけだったアダム・クレイトンでしたが、7月25日、アイルランドの新聞「Irish Times」に女の子が誕生したことを伝える個人広告を掲載しました。

アダム・クレイトンにとっては2人目の実子ですが、2013年に結婚した夫婦にとっては初めての子供となるので、喜びもひとしおでしょう。ツアー初日となった2017年7月8日には、ロンドン公演にてオープニングアクトを務めたノエル・ギャラガーとU2が共演したことでも話題を集めました。彼らは、公演の最後に、「Don’t Look Back In Anger」をパフォーマンスし、マンチェスター・アリーナ爆破事件や、グレンフェル・タワーの火災事故、ロンドン・ブリッジで起きたテロ事件の犠牲者を追悼しています。

デビューから長い年月を経ても愛され続けているU2ボノの生み出す歌詞の世界。そのインスピレーションの源は、多岐に渡るそうです。たとえば、1984年にリリースしたアルバム「The Unforgettable Fire(焔)」は、広島と長崎の被爆者が描いた絵画のタイトルに由来しています。

「社会問題や政治問題に積極的に関わるロックバンド」というイメージが定着していることは否定しないものの、特定の問題に限定して歌っているわけではないことを強調してきたU2ボノ。社会問題に伴う事件からインスピレーションは受けつつ、その歌詞のテーマは、別の場所で起きている紛争にも当てはまります。

そこに込められているメッセージは、どちらが正しいかと言う前に、「日々辛苦と憎悪にまみれて人々が命を落としている事実に疑問を持とう」「お互いに撃ち合うのはやめて話し合いの椅子につこう」。影響力のあるU2ボノをもってしても、なかなか直接的には解決できない社会問題ばかりですが、慈善活動家でもある彼は声を上げることを諦めません。奇跡のバンドU2の作り出す音楽が、この先どのように世界中に響いていくのか注目です。

関連記事

ページ上部へ戻る