上原浩治の140キロ遅いストレートがメジャーで通用する理由とは?

上原浩治 140キロの遅いストレートがメジャーで通用する理由とは?

上原浩治 140キロの遅いストレートがメジャーで通用する理由とは?上原浩治の代名詞コントロールにあり!

上原浩治の持ち味でもある、140キロの遅いストレート。遅いのにメジャーで通用する理由は、ずばり上原浩治のコントロールの良さです。自身も「コントロールもひとつの球種」というほど自信を持っています。コントロールを維持するために、キャッチボールという基本中の基本の練習を重視しています。

しっかりと相手の胸元へ向かって投げる、という基本的な練習を毎日積み重ねて行った結果、現在の上原浩治は、メジャーの打者を切りきり舞いさせることができているのです。現ソフトバンクホークスの工藤公康監督も、キャッチボールとコントロールの重要性を多くの場で語っています。どうやら上原浩治がメジャーで活躍し続けられる秘訣は、一流選手が、一線で長く活躍するためにも欠かせない要素とも言えそうです。

上原浩治 140キロの遅いストレートがメジャーで通用する理由とは?キレとフォームも大事!

上原浩治の140キロの遅いストレートがメジャーで通用する理由には、他にもキレとフォームが挙げられます。上原浩治のストレートは、スピードはそれほどではないものの、キレが抜群に良いのです。このキレの定義は色々あるのですが、上原浩治自身は、キレの良さとは初速と終速の差がないことと考えています。

バッターボックスに立った時に、投手から球が投げられた瞬間からバッターの手元に届くまで速度が変わらないことは、バッターからすれば非常に打ちにくいのです。よく子供の練習で、大人がボールを投げると、打ちやすいように山なりに投げます。あれは、初速から段々と速度が落ちて目でとらえやすく、打ちやすいからです。これが150キロを超えるストレートであったとしても、バッターの所に来るまで速度が落ちている状態だと、打ち易く感じるので、結果、打てる確率が上がることになります。

上原浩治が持つ球種はストレートとフォークの2種類しかありません。しかし、対戦したことのある松井秀喜は、上原のフォークは「腕の振りがストレートと一緒で見分けがつかない」と語っています。同僚の外野手ダニエル・ナバも「見極める時間がない」、捕手のデビッド・ロスも「投げた瞬間、高めに外れた時以外、ボールかストライクか判断できない」と語っています。

そしてフォーム。これは、東海大学付属仰星高等学校時代にバッティングピッチャーを務め、数多く投げ込んでいくうちに、投げやすい形を日々模索し続けてきた蓄積によるもの。このフォームを模索する姿勢が、上原浩治の選手生命を長くしている理由でもあるのです。工藤公康との対談でも、フォームは生涯完成することはないと語っている上原浩治。アメリカに渡ってからもジェイク・ピービーを参考にしてフォームを改良しており、今も成長途中というスゴいピッチャーです。

上原浩治の日本やメジャーでの成績や年俸の推移は?

上原浩治 日本での成績や年俸の推移。その輝かしい受賞歴と高額年俸!

上原浩治の日本での成績は、巨人に10年間在籍し、276試合に登板し112勝62敗33セーブ防御率3.01で勝率はなんと.644と6割を超えています。1999年に入団した上原はその新人イヤーで新人王、最優秀投手賞、沢村賞、ベストナイン賞、ゴールデングラブ賞、最多勝に最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率と新人とは思えない成績を残しており、現在の上原浩治の凄さを語る上で、外せない一年となっています。

2002年には最多勝、最高勝率、最優秀投手、沢村賞、ベストナイン賞を獲得しており、2003年には最多奪三振とゴールデン賞を獲得。2004年には最高勝率とスピードアップ賞そして最優秀防御率賞を受賞しており、年月を重ねれば研究され、打たれることが多くなるのですが、先にご紹介したように基本をしっかりとこなし、模索し続けた事で維持できた記録と言えます。上原浩治の年俸の推移ですが、1998年に逆指名で巨人に入団し契約金1億円を得ています。

1999年は1300万円、2000年は6600万円、2001年は7600万円。2002年は1億円の大台に突入し1憶600万円ですが、2003年にはあっという間に2億に到達し2億1000万円、2004年には3億円、2005年は3億5000万円と順調にアップしました。

しかし2006年は3億4000万円とダウンし、2007年には3億1000万にダウンしてしまいます。そして日本球界最終年の2008年には4億円とアップしてメジャー・リーグへと移籍しています。

上原浩治 メジャーでの成績や年俸の推移。レッド・ソックスで上原浩治ここにありを証明!

上原浩治のメジャーでの成績ですが、7年間の在籍で336試合に登板し、17勝19敗86セーブ防御率2.42で、こちらでも勝率.472と5割近い成績を今も記録し続けています。2010年7月19日から2011年4月15日まで連続無四球試合数36試合という史上3位の成績を上げ、連続試合無失点も27試合、連続イニング無失点も30回1/3、連続打者アウト数37人とメジャー史上10位、救援史上は2位という記録を持っています。

メジャーでも上原浩治の代名詞である雑草魂を忘れず、地道に歩んだ結果の偉大な記録です。上原浩治のメジャーでの年俸ですが、2009年にボルチモアオリオールズと2年契約を結び、1年約5億円で移籍しています。2011年にボルチモアオリオールズから好成績を挙げたにも関わらず7月30日にテキサス・レンジャースへトレードに出され、年俸は約3億円とダウンしてしまいます。2012年は約4億円で、2013年にはボストン・レッドソックスへ移籍し約4億2500万円、2014年も同じ約4億2500万円でした。

当初レッドソックスのジェネラルマネージャーであるベン・チェリントンは必要ないと考えていましたが、セイバーメトリクスという野球のデータを統計学的見地から分析しているスタッフやアドバイザーのビル・ジェームズが強く獲得を進言し急遽獲得に動きました。

これがのちに「レッドソックスは奇跡を捕まえた」と言われる契約となり、上原浩治の大活躍でリーグ優勝し、上原浩治自身もリーグ決定シリーズMVPに選ばれ、6試合中5試合に登板し1勝3セーブ4安打9奪三振無四球無失点という驚異的数字を残し、メジャリーグ史上3人目の快挙を成し遂げることになりました。2015年は約9億円の年俸になっており、選手としての凄さを認められた形で年俸もアップしています。

上原浩治の今後は!? 50歳を超えても活躍して欲しい!

上原浩治は2014年にシリーズMVPを獲得した際、ヒーローインタビューでプレッシャーについて尋ねられ「正直、吐きそうでした」と答え、スタジアムを大いに沸き上がらせました。しかしこれは笑いごとではなかったのです。シーズン終盤は、負ければ終わりの綱渡り状態が続き、登板がなくても疲労し、毎日が精一杯。精神的な疲れは、これまでのどのシーズンにもないものだったと語った上原浩治。睡眠薬や胃薬、鎮痛剤を服用し、心身を酷使して歩み続けた末の優勝でありMVPだったのです。

上原浩治は、すでにメジャーでは一流の選手としての地位が確立されています。名誉を得たと言うことは、今後研究され、対策され、打たれることが増えるかもしれません。しかし、今もフォームの改良を続ける上原浩治の投球術は成長しています。基本をしっかりとこなし、雑草魂を忘れない上原浩治ならば、一度打ち込まれたとしても、それで終わるとは思えません。

また立ちあがり、見事な雄姿を見せてくれるでしょう。上原浩治には、ぜひ50歳を超えるまで、メジャーで選手として活躍して欲しいと思います。苦労は絶えないでしょうが、不屈の雑草魂があれば、それも可能に思わせてくれる上原浩治。それほど魅力に溢れたピッチャーです。現在41歳の上原浩治。40歳でシリーズMVPという快挙を成し遂げた偉人の足跡を、これからも注目したいですね。

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