ハリルホジッチ 監督歴、指導歴!歴代日本代表監督との監督戦術徹底比較!家族、プロフィールは?

ハリルホジッチ 監督歴、指導歴!ココがスゴかった!

ハリルホジッチ 監督歴12チームを渡り歩き、日本代表監督へ!

サッカー日本代表の監督、ハリルホジッチ。1993年から1994年までフランスのボーヴェに本拠地を置く、フランスの2部リーグに所属するASボーヴェ・オワ―ズで、ハリルホジッチは監督歴をスタートしています。

それから間が3年ほど空き、1997年から1998年までをモロッコのカサブランカを本拠地とする、ラジャ・カサブランカで指揮を執り、1998年から2002年には、フランスのリールに本拠地を置くLOSCリール・メトロポールの監督に就任、同クラブの復調に貢献。2002年から2003年には、フランスのレンヌに本拠地を置くスタッド・レンヌで、2003年から2005年には世界的にも有名なフランスのパリに本拠地を置くパリ・サンジェルマンFCで指揮を執っています。
その後、2005年から2006年までは、トルコのトラブゾンに本拠地を置くトラブゾンスポル・クラブ、2006年は、サウジアラビアのジッダに本拠地を置くアル・イテハド、2008年から2010年まで、コートジボワール代表の監督に就任。2010年からはクロアチアリーグのディナモ・ザグレブの監督に就任し、クロアチアリーグで優勝に導いています。2011年にはアルジェリア代表監督に就任し、2014年のワールドカップでアルジェリア史上初のベスト16にまでアルジェリア代表を成長させ退任しました。
その後は、トルコのトラブゾンスポルに復帰するも、日本代表監督への就任に向けて、クラブと合意の上、契約を解除。2015年3月12日より、日本代表監督に就任しています。

ハリルホジッチ 指導歴 ココがスゴかった!地道にしっかり仕事をこなした監督!

12チームの監督に就任し、築き上げてきた指導歴を誇るハリルホジッチ。指導者として、1997年にラジャ・カサブランカをCAFチャンピオンズリーグで優勝させ、かつ同クラブでは1997年1998年と二年連続でタイトルを獲得しています。
また、1999年には、フランス2部リーグ年間最優秀監督に選出。2001年には、LOSEリール・メトロポールを一部リーグに昇格させた功績などにより、年間最優秀監督に選ばれています。さらに、パリ・サンジェルマン時代の2004年には、クープ・ドゥ・フランスというフランスのサッカーカップ戦で優勝。ハリルホジッチの指導歴には、タイトルもあり、リーグ復権もさせ、何よりアルジェリアをベスト16まで押し上げた実績があります。
これらは、やはりハリルホジッチが、長年監督として築き上げた経験が大きく影響しているからでしょう。ハリルホジッチは、ココがスゴかったというより、地道にしっかり仕事をこなしてきた印象の強い監督です。

ハリルホジッチ 歴代日本代表監督との監督戦術徹底比較!家族、プロフィールは?

ハリルホジッチ 歴代日本代表監督との監督戦術徹底比較!システムは4-2-3-1のままがベスト!?

ハリルホジッチは監督歴と指導歴で紹介したように、日本代表を入れ13チームを渡り歩いてきた監督です。ただ惜しむらくは、有名な強豪を率いていた経験がほとんどありません。唯一、強豪を率いていたパリSGにおいては、リーグ優勝を逃しています。
歴代日本代表監督との監督戦術徹底比較としては、分かりやすい、ハリルホジッチのモットーがあります。それは「ルール、規律、練習」の徹底。その熱の入れようで、アルジェリア代表が、強豪ドイツ代表を延長戦まで追いつめて敗退した時には、選手たちと抱き合って号泣したことが感動を呼び、話題になりました。
歴代日本代表監督における感情の面では、ジーコに近い“熱い監督”。しかし、采配の面は大きく違います。それは、ハリルホジッチが、対戦相手によってフォーメーションを変えるという難しい戦略をとるのです。アルジェリア代表での成功は、アルジェリア代表が発展しかけているチームで、吸収力が良かったことが、ハリルホジッチの戦術とマッチしたからこそだったのです。
かたや日本代表は、発展しかけているというよりは、成熟途中。岡田監督や、イビチャ・オシム監督が使っていた4-2-3-1(フォワードがワントップで中盤が3人ボランチ2人に最終ラインが4人)の基本フォーメーションを使っています。ハリルホジッチは、4-2-3-1以外に、4-3-3や5-4-1などのシステムも使います。4-3-3のフォーメーションで有名なのは、FCバルセロナの攻撃的なサッカーシステム。中盤を厚くすることで、相手にプレスを掛け、パスを通しやすくするというシステムです。また、5-4-1というシステムは、フォワードの得点力とトップ下のキープ力がカギ。アルジェリア代表は、身体能力が高いので中盤を薄くしてもキープ力やカット力が高く、身長の高さもあるので、これでも何とかしてしまえるのです。
しかし、日本代表となるとどうでしょうか?先日の北朝鮮戦を見た方なら分かると思いますが、今の日本代表は、パスワークもおぼつかなく、味方を識別できない上、身体能力も低く背の高さもありません。以前いた中田英寿、中村俊輔のようなキープ力の高い選手も今の代表には存在しません。そうなると、相手に合わせて戦術を変えていくハリルホジッチの戦術は、日本代表には合わないという結論に。
数々のチームで指導し、同じようにアフリカのチームを成長させたフィリップ・トルシエ元・日本代表監督に学んで、固定のフォーメーションで基礎を上げるのが良いと考えます。

ハリルホジッチ 家族、プロフィールは?FWとして優秀な選手だった!

1952年5月15日生まれの63歳のハリルホジッチ。身長は182cmもあり、選手時代は、フォワードを務めていました。選手プロフィールとしては、1975年から1978年までを、ユーゴスラビアU-21、1976年から1985年までをユーゴスラビアトップ代表として合計27試合出場し、20得点あげています。選手としての絶頂期は、フランス1部リーグのFCナントに1981年から1986年に所属していた時。ハリルホジッチは、2度も得点王に輝いています。
ハリルホジッチの家族は、奥さんがいることが分かっているのみ。優秀なサッカー遺伝子を持つ子供はいるのか、気になるところではありますね。ただ、ハリルホジッチは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で、家族も友人も亡くしたと語っています。それが誰なのか……それ以上聞ける人は誰もいません。

ハリルホジッチの今後は!?日本に合ったスタイルを固定した方が無難な成績を望める!

8月2日に行われた、対北朝鮮戦にて1-2で敗北したサッカー日本代表。ハリルホジッチは、準備期間がないのが日本サッカー界の問題だ、と苦しい事情を繰り返し訴えていました。前々回のザックジャパンに続き、アギ―レジャパンの退任騒動など、代表チームだけでなく、日本のサッカーをめちゃくちゃにしてきた日本サッカー協会は誰に罰せられるのでしょう。無駄に高給を取り、誰にも罰せられることなく失敗を繰り返すサッカー協会。関わって良いことはない、というのが世界の通説になっています。
有名な監督が日本代表監督を引き受けないのも、日本サッカー協会のお役所的対応や、サッカー後進国にも関わらず、自国の低レベルなリーグを優先する勘違いをし続けているからです。大切な国際大会で、FIFAランキングで日本より大分格下の北朝鮮に負け、世界に報道されてしまえば、誰も日本のリーグに来たいと思いません。ましてや、代表監督になりたいと思うわけがありません。
ハリルホジッチも、国際大会の記録に、格下相手に負けた監督という汚名を確実に残してしまいました。これは、恥以外の何ものでもないはずです。とはいえ、日本代表監督を一度引き受けたからには、ハリルホジッチは、日本に合ったスタイルを模索し、それを固定して無難に戦い、良い成績を残す道しかありません。
Jリーグを見たことがある方なら分かるかもしれませんが、パスが遅い、ディフェンスも緩い、相手へのチェックも遅いと、国際的な基準に比べると、スピード感が遅いサッカーをしている日本リーグ。そんな環境で育っている選手を、国際大会で勝たせるのは至難の技で、フィリップ・トルシエや岡田武史が評価されているのは、そんな環境で日本代表を勝たせたという奇跡を起こしたからこそ。岡田武史が、日本を敵視してやまない中国から監督要請を受けたのも、そうした評価があるからです。ハリルホジッチにも、ぜひ環境を克服してほしいものです。
北朝鮮戦後のコメントに対して「言い訳がましい」という意見もあり、客観的にみればお気の毒ですが、要請を請けたのだから言い訳をするなと言われればそれまでかもしれません。結果が全ての世界ですので、次こそは勝利を!紛争を生き抜いたハリルホジッチの底力に期待しましょう。

関連記事

ページ上部へ戻る