輪島功一はカエルパンチ、よそ見パンチの伝説的ボクサー!現在は団子屋!?
輪島功一は25歳でボクサーデビュー!「カエル跳びパンチ」や「よそ見パンチ」などトリッキーな技で伝説に!
輪島功一は、元プロボクサーです。といっても、若い方には、バラエティ番組で見せるおとぼけキャラや、団子屋経営者としての顔、あるいは関根勤によるものまねで知られているかも知れません。しかし、元は、世界スーパーウェルター王座を3度も獲得した輝かしい経歴とともに、「カエル跳びパンチ」や「よそ見パンチ」など、多彩な変則技を持つ伝説のボクサー。
輪島功一は、1943年4月21日生まれの73歳。出身は樺太で、北海道士別市育ちです。幼少時は、日々の食事に事欠くだけでなく、冬には凍死と隣り合わせの中で辛酸をなめます。養子に出された先でも、生計を立てるためのイカ釣り漁に従事して、ろくに睡眠する時間もない日々。高校を中退し上京した輪島功一は、トラックの運転手など職を転々とした後、住み込みの土木作業員として働くかたわら、三迫ボクシングジムに入門。
25歳という遅いプロデビューながらも、世界スーパーウェルター級王座を3回獲得し、「炎の男」として知られるなど、全国的な人気を博しました。輪島功一は、「カエル跳びパンチ」や「よそ見パンチ」など、トリッキーな技が特徴として知られます。「カエル跳びパンチ」とは、瞬時に、跳び上がるようにパンチを繰り出す技で、その名の通り、カエルが飛び跳ねるように見えたことからのネーミングです。
パンチのヒットよ、相手を撹乱することを狙いとしていたようで、実戦では1回しか使っていませんが、輪島功一の代名詞とされるくらいのインパクトを誇っています。また、「よそ見パンチ」は、試合中意図的に視線をそらし、それに釣られた相手の隙を突くフェイント戦法。別名「あっち向いてホイ」といわれ、タクシーのバックミラー越しの運転手の視線がヒントとなったとのこと。
「ダメ元で、やるだけやってみようと使ったら、見事に的中した」という技です。どちらの技も、使用した試合で効果を挙げていますが、「あんなのはボクシングではない」とこき下ろされてしまったのも事実。しかし、瞬時の突進力と、正確な強打があってこそ、このプレーが光るのです。熱い試合の最中のコミカルな仕草ということもあり、今もなお伝説として語りつがれています。
輪島功一「初心に戻って」と団子屋経営へ転身!現在は店を譲りスポーツジム経営へ!
輪島功一は、現役引退後に、団子屋を経営し、大成功を収めたことで話題となりました。そもそも、輪島功一は、どうして団子屋へ転身しようと考えたのでしょうか?
それは、「時間と金があると欲に負けて、悪いことへ走る」と考えていたところ、団子職人ならば、忙しすぎて悪事に走る暇もないといわれ、即団子職人修業、団子屋経営となったとか。団子屋に決めた理由もまたユニークで、「酔っぱらって絡んでくる人が苦手だったので、酒のない商売をやろうと考えていた。そんなときに知り合いから団子屋さんを紹介してもらったというわけ」なのだそうです。
修業当時は、午前2時に起床し、夫婦で団子作りにいそしむ毎日の連続でした。「せっかく世界チャンピオンを取ったのに団子屋を始めるなど考えられないって言われた」そうですが、「初心に戻って、一から始めることの大事さは忘れちゃいけないよね」と、苦労をいとわない人柄をのぞかせる輪島功一。
その団子屋とは、東京の国分寺市本町にある「だんごの輪島」です。焼きたてのお団子の柔らかさと醤油のこげた香りが絶品で、その味を求めて行列が絶えないほどの人気を誇り、世界チャンピオン級の評判を守り続けています。約10年間の団子屋経営後、店自体を義弟に譲った輪島功一は、現在は、西荻窪の「輪島功一スポーツジム」会長として、生徒の指導に専念する日々です。
輪島功一のボクシング生涯戦績がスゴイ!孫はジャニーズタレント!?
輪島功一の生涯戦績がスゴイ!2度KO負けも2度とも雪辱で社会的影響大!
輪島功一の生涯戦績は、38戦31勝(25KO)6敗1分を記録し、具志堅用高やガッツ石松とともに、ボクシング界の重鎮として活動しています。輪島功一は、世界スーパーウェルター級チャンピオン当時、2度のKO負けを喫しながらも、2度ともリベンジマッチで王座返り咲きを果たしたというスゴイ快挙で、当時のファンの心を大きく揺さぶりました。
2度ともリベンジマッチを演じてのけたのは、世界でも非常にまれで、生涯戦績の数字以上に重みがあります。しかも、25歳でデビューした遅咲きの輪島功一であるだけに、その根性は、大きな称賛と共感をもって迎えられました。1974年6月には、オスカー・アルバラード(アメリカ)と7度目の防衛戦で対戦するも、最終15回まででKO負けし、王座から陥落。
しかも、その試合で受けたダメージは大きく、試合後には入院せざるを得なくなります。一時は医師から引退勧告されるほどでしたが、退院後間もなく再起目指してトレーニングを重ねた輪島功一。王座陥落から7カ月後の1975年1月に、リベンジマッチに臨むと、15回判定勝ちで勝利、オスカー・アルバラードに雪辱を果たしました。
さらに、1975年6月に、柳済斗(韓国)と対戦し、7回KO負けを喫しWBA王座から陥落するも、翌1976年2月に再戦。見事に15回KO勝ちで、2度目の世界王座返り咲きを果たしています。その再戦の翌日に起きた銀行強盗事件で、警察官が「早く自首しろ。あの輪島の試合を見ただろう。逆境から這い上がったあの根性を見習って人生をやり直せ」と犯人を説得したというエピソードが伝えられているほど、社会的な影響も大きいものでした。
輪島功一の孫はジャニーズタレントとしてシャドーボクシング披露!現在はジャニーズ退所か?
輪島功一は、「孫はジャニーズタレント?」と噂になっています。しかし、輪島功一のイメージとはまったくかけ離れたジャニーズタレントとは、とても信じられない話です。しかし意外なことに、その話は事実でした。
輪島功一の子供といえば、次男は、同じくプロボクサーの輪島大千です。ジャニーズ入りした孫とは、輪島大千の子供かと思いきや、輪島功一の長男の子供だそうで、名前は輪島大生(ひろき)。2011年8月、9歳にして、ジャニーズJr.として芸能界デビューを果たしていることが分かっています。
画像を見ると、血は争えないもので、目元が輪島功一にも似ている感じです。Hey!Say!JUMPのショーでのメンバー紹介のコーナーでは、赤いボクサーパンツ姿で、祖父譲りのシャドーボクシングを披露しています。オーディションで、2011年6月にジャニーズJr.にメンバー加入した輪島大生は、物怖じせず、度胸もいいと評判でした。しかし、その後はこれといった活動情報がないことから、輪島功一の孫の輪島大生は、すでにジャニーズJr.から退所しているのではないかといわれています。
輪島功一が有吉反省会で暴走?経営するスポーツジムのコース名が理解不能?
輪島功一は、9月24日放送の「有吉反省会」(日本テレビ系)に、反省人としてゲスト出演しました。そのテーマは、「経営するスポーツジムのトレーニングコースが複雑すぎて分かりにくい」。ところが、反省するはずが、いきなり出だしから、MC有吉弘行の股間を触ってニヤニヤする暴走ぶり。これに乗っかって、有吉弘行も下ネタ系の話題を振ってみたものの、輪島功一のコメントは珍妙なものばかりで、トークが展開しないありさまに。
これには、さすがの有吉弘行も「まるで志村さんのコント!?」と志村けんのコントを引き合いに苦笑するしかない状態となりました。ところで、経営しているスポーツジムのトレーニングコースが分かりにくいとはいったいどういうことだったのでしょうか?「輪島功一スポーツジム」公式サイトを一見したところ、「ボクサーになるぞコース」「ストレス解消☆体力づくりコース」とここからすでに、理解不能なコース名が並びます。
さらに、「ストレス発散しながらナイスバディー」「おやじファイト(健康一番)コース」「おやじ体型になるのは嫌だコース」ときたら、もはや理解することを通り越して、爆笑必至です。トレーニング内容は、柔軟体操やミット打ちなど、名前とは裏腹に、普通のメニューが組まれていますが、どのコースも特に大きな違いはなく、コース名や内容からでは区別がつきません。
これでは分かりにくいというもの当然です。とはいえ、「本来ならば、子供の教育は親がするのが当然なんだけど、親が子供を甘やかしていることが多いよね。このジムでは、社会に出てからも負けない人になれるように生徒を育てているよ」という信念で、スポーツジムを経営する輪島功一。もう少し分かりやすいコース名に変えれば、成功間違いなしでしょうか?