山本陽子を愛した田宮二郎や沖田浩之とは?若い頃の出演ドラマは?現在の自宅は熱海!

2020年12月19日 更新

山本陽子は元祖お嫁さんにしたい美人女優!彼女を愛した田宮二郎や沖田浩之とは?


山本陽子のプロフィール
◆生年月日:1942年3月17日
◆出身:東京都
◆身長:155cm
◆血液型:A型
◆所属事務所:株式会社三陽企画

山本陽子は、元祖お嫁さんにしたい美人女優!性格は豪快?

女優の山本陽子(やまもとようこ)は、1942年3月17日生まれ。山本海苔のTVCMを長年務め、今では和服姿の毅然とした老女、といったイメージの山本陽子ですが、特に1960年代後半から80年代にかけて、昭和を代表する美人女優として活躍していました。

1963年に全盛期の日活に入社した山本陽子。すでに吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子という人気者がいて、山本陽子は正統派の美人女優でしたがあまり個性が出せず、人気もいまいちでした。しかしその後、テレビドラマに進出してから、急激に山本陽子の人気がアップします。



はじめは和服の似合う楚々とした美女の役が多く、お嫁さんにしたい女優として人気を博し、やがて、影のある女性や、芯の強い女性、稀代の悪女まで演じわけできる女優となりました。山本陽子本人は至って男前な性格で、ポルシェも乗りこなすスピード狂。酒はもちろん、自宅で麻雀卓を囲むという豪快ぶりです。

山本陽子を愛した田宮二郎、沖田浩之とは

山本陽子は男性関係でも、恋多き女性として有名です。中でも1978年12月、壮絶な猟銃自殺を遂げた田宮二郎とは、不倫関係にあったのではと報じられていました。後に田宮二郎の妻が1978年6月から1979年1月まで放送されたドラマ「白い巨塔」の撮影中から彼が躁うつ状態であったことを語っています。

山本陽子は、80年代に入ってから数年間、竹の子族出身で「3年B組金八先生」で人気者となった沖田浩之とも交際していました。一時は結婚も考えていたようですが、20歳も違う年齢差が原因だったのか、やがて破局を迎えます。そして沖田浩之もまた、一般女性と結婚した後に1999年に自殺してしまいました。父の残した借金が原因とも言われていますが、真相は明らかになっていません。

2人の元交際相手が亡くなったことで、山本陽子が受けたショックはどれほど大きかったのでしょうか。それが本人の人生観に影響したかどうかはわかりかねますが、山本陽子はその後、誰とも結婚しない道を選んでいます。

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山本陽子を代表するドラマ「白い影」「黒革の手帖」

山本陽子は、TBSドラマ「白い影」で田宮二郎と共演していた!

山本陽子は、テレビドラマで数多くの代表作を持っています。1972年10月より放送されたフジテレビの「眠り狂四郎」では、当時大人気だった田村正和と、また1973年7月より放送されたTBSドラマ「白い影」では、田宮二郎と共演し、いずれも主人公に一途な愛を捧げる儚げな美女を演じました。

1976年1月より放送されたNHK「隣の芝生」では一転して、リアルな嫁姑戦争を戦う妻の役を演じ、1982年1月より放送されたテレビ朝日「黒革の手帖」では、ついに稀代の悪女役に挑みました。

1973年放送の「白い影」で山本陽子が演じたのは、田宮二郎演じる、病に侵された外科医・直江庸介と同じ病院で働く看護師・志村倫子役。恋愛関係にあったといわれている2人は、作中でも惹かれあっていく関係でした。

「白い影」は、2001年1月より放送された、中居正広と竹内結子のリメーク版も話題になりました。良き理解者として直江庸介を支える、志村倫子を演じた姿が印象的な竹内結子。2020年9月27日に、40歳で亡くなりました。「白い影」のほかにも、生と死を扱う作品への出演が多かった竹内結子は生前、自身の死生観について語っていました。「誰かに何かを遺したい」「自分のことを憶えていてもらいたい」という気持ちは、ものではない何かを遺せる。そう考えていたようです。

演じる役柄を通じて、生死に向き合わざるを得ないのが役者という仕事。彼らが全身全霊をかけて臨んだいくつもの作品は、多くの人の心で生き続けるでしょう。山本陽子と田宮二郎の1973年版、2001年版ともに記憶に刻んでおきたい作品となっています。

山本陽子の代表作「黒革の手帖」は演技派女優の登竜門

山本陽子の代表作と名高い「黒革の手帖」は、松本清張原作の社会派サスペンスで、元女子行員が、手に入れた架空名義の口座預金者リストを記した手帖で、銀座のママにのし上がっていくというピカレスクロマンです。

この小説は過去に何度もドラマ化され、演技派女優の登竜門としても知られています。その栄えある第1回目のヒロインが山本陽子です。ちなみに2回目以降は、大谷直子、浅野ゆう子と続き、2004年・2005年には米倉涼子が2回続けて演じています。昭和から平成に至る、まさに悪女の系譜といったものが感じられるキャスティングです。2020年冬にも「黒革の手帖」の放送が決定しており、主役の原口元子は2017年版に続き武井咲が演じます。

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山本陽子が上沼恵美子を一喝!?現在の自宅は熱海!移住のきっかけは?

山本陽子が「快傑えみちゃんねる」に出演

山本陽子は、もはや怖いものなしといった貫禄ぶりを醸し出しています。2014年7月4日、関西ローカルのトークバラエティ「快傑えみちゃんねる」にゲスト出演した際には上沼恵美子に対して、きっぱりと説教をして喝采を浴びていました。

この番組はキー局では絶対オンエアできない上沼恵美子の毒舌が売りで、嫌いな大物歌手やタレントなど、実名でバッサリと切り捨てています。そんな辛口トークの遡上にときおり乗るのが、関西テレビを退職して悠々自適に過ごす夫のことでした。

何かと喧嘩のタネが尽きない2人ですが、夫のU氏はさすが元テレビ局勤務で、頭がよく口も立つそう。上沼恵美子はそんな夫が、自分より先に優雅なリタイア生活に入ったので、余計に腹が立つのだとか。夫の愚痴ともノロケともつかない話を延々と続けていると、山本陽子が「でも、素敵な旦那さんだと思います!すごい素敵な旦那さんだと思います」と、ぴしゃり。上沼恵美子は、一瞬虚をつかれながらも「じゃ、差し上げます」と返して、スタジオは大爆笑に包まれました。

大抵のゲストは、上沼恵美子のおべっかや毒舌に閉口して、笑っているしかないのですが、さすがは大女優・山本陽子。上沼恵美子相手に堂々の貫禄勝ちでした。

山本陽子の現在の自宅は熱海!移住のきっかけは?

山本陽子は、2012年頃から住まいをもともとは別荘だった熱海の家に移しています。それまでは30年間、東京で暮らしてきた山本陽子。50代頃から、この熱海のマンションを自身の”終の棲家”にしようと決めていたといいます。引っ越しのきっかけになったのは、”自宅にものが増えすぎてしまったこと”でした。

ものを捨てるのは苦手だったそうですが、かねてより収納や整理は好きだったこともあり、引っ越した後は、家具の配置を自身で考えたり、棚を自作したりと、部屋づくりをかなり工夫したのだとか。移住の目的は「第二の人生を謳歌するため」でもあったと明かしている通り、熱海ではフラダンスや日本画など、好きなことに打ち込んでいる様子。家事も自分でなんでもこなすそうで、熱海の家での暮らしを存分に楽しんでいるのが伝わってきます。

「今がすべて」と語る山本陽子は、過去や未来にあれこれと思いを馳せることはないそうです。心をとらわれると重くなりそうな過去があっても、背筋を伸ばして女優を続けられた考え方に納得できるのではないでしょうか。大女優としてさまざまな経験を積んできた一方で、自身の生き方についてもしっかりと考え、確固たる信念を貫いている山本陽子。仕事もプライベートも充実させて、いつまでもその素敵な笑顔を絶やさずにいてほしいものです。

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