山村和也はプロサッカー選手!トップ下で機能する理由はプレースタイルにあった?気になる年棒まで大公開!

山村和也がトップ下で機能する理由とは?その秘密はプレースタイルにあった!?

山村和也のトップ下へのコンバートで天皇杯優勝へ!

山村和也は1989年生まれのプロサッカー選手で、大学生ながら日本代表に選出されたことで話題になりました。

2012年に大型センターバックとして鹿島アントラーズへ入団し、2016年にはセレッソ大阪へ移籍。2017年に監督が大熊清からユン・ジョンファンになると、センターバックとしての出番は減少した一方で、トップ下として攻撃の起点になるポジションにコンバートされ、天皇杯優勝に大きく貢献しました。

山村和也のセンターバックでの長所はトップ下でも長所になった?

山村和也は身長186cmの長身を活かし、センターバックとして相手のボールを跳ね返してきましたが、トップ下となっても長身を活かし、味方のボールを収めることができます。

また、ドリブルやスピードを活かして得点を演出することは難しいながら、フィジカルを活かしてボールを収め、攻撃の起点となってパスでアシストしたり、高いシュート精度でゴールを決めるトップ下として活躍しました。

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山村和也の気になる年棒は!?経歴やプロフィールも紹介!

山村和也、現在所属する川崎フロンターレで自己最高の年俸を更新! 

山村和也は2012年に鹿島アントラーズに年俸700万円で入団。最終的には、2015年に2000万円まで上がりました。

2016年にセレッソ大阪へ移籍。現状維持の2000万円でスタートすると、天皇杯優勝に貢献したことで、年俸は3200万円にアップ。

2019年に川崎フロンターレへ移籍した際には、自己最高年俸の5000万円となりました。

山村和也、大学からプロの世界へ!

長崎県長崎市で生まれた山村和也は小学校からサッカーを始め、全国大会に出場するなど早くから頭角を現し、地元の国見中学校に進学。さらに、サッカーの強豪高校で知られる国見高等学校に進学すると、センターバックにコンバートされて才能が開花。U-18日本代表候補に選出されました。

その後はプロの世界には入らず流通経済大学へ進み、2012年に鹿島アントラーズへ入団。プロサッカー選手となりました。

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山村和也が絶対王者川崎フロンターレに移籍へ!

鹿島アントラーズ時代は大きな期待を背負って入団した山村和也でしたが、中心選手と呼べるほどの活躍はできませんでした。しかし、2016年にセレッソ大阪へ移籍すると、ユン・ジョンファン監督にトップ下へコンバート。これが見事にハマり、2017年には自己最高記録となる9ゴールを決め、チームも天皇杯でタイトルを獲得する大きな年となりました。

山村和也は守備堅めのために後半からセンターバックに移動するなど、チームに欠かせない存在となっていましたが、ユン・ジョンファン監督が退任したことも影響し、2018年12月に川崎フロンターレへの移籍が発表されました。

川崎フロンターレは大学時代から山村和也にラブコールを送っており、その後も一度獲得オファーをしながら獲得に至らず、3度目の正直での入団となりました。

川崎フロンターレはJリーグを2017・2018年と連覇中の絶対的王者で、山村和也にはリーグ戦だけでなく、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)での活躍も期待されていました。しかし今シーズンは出番に恵まれず、苦しい状況となっています。

今シーズンリーグ戦で、山村和也の先発出場は1試合のみ。途中出場が多く、出番のないまま試合を終えることも多くなっています。しかし、様々なポジションができるユーティリティ性は日本でも屈指のものを持っているので、再びピッチ上で活躍する姿を見たいですね。

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