渥美清のプロフィールと謎多き私生活!その死因は?

渥美清のプロフィールと謎多き私生活!その死因は?

渥美清の演技に見られる日本的諦観と、喜劇役者としての生き様

渥美清は1928年生まれで、1996年に68歳の若さで亡くなっています。死因は肺がんと言われていますが、手術の4日後に亡くなったのは、長年の無理が祟り、もう手の施しようもなかったのかもしれません。ちなみに高倉健は、1931年生まれでほぼ同世代。二人は日本映画界において、硬貨の裏表のような存在でした。

高倉健と同じように、後年はほぼ「男はつらいよ」の映画出演だけで、その私生活を明かすことは全くなかった渥美清。1つ1つの仕事の評価を気にする、非情に細やかな性格であったらしく、仕事に関わらず、私生活まであれこれ書きたてる芸能マスコミに対しては、生涯強い不信感があったようです。自分が演じること以外、私生活についていっさいの寡黙を貫いた渥美清は、ある意味、高倉健よりもずっとストイックで孤独な性格だったかもしれません。

渥美清は、戦争が終わるとすぐ大学に入学したともいわれていますが、戦後の混乱期の中、大学を辞め船乗りを目指したり、テキヤのまねごとをしたりと、鬱屈した危うい青春期を過ごしていたようです。そしてたどり着いたのが、浅草のストリップ劇場。渥美清は、コメディアンとして生きていくことになります。しかし、やっと役者として芽が出始めた頃、肺結核になり右肺を全摘した渥美清は、2年間の療養生活を強いられることに。

渥美清特有の、笑いを誘った後の、どこか寂しげで仏教の諦観にも似た風情は、病魔による死との対峙が影響していると言われています。「男はつらいよ」シリーズに出会うまでの渥美清のキャリアは、テレビの創成期とともにありました。NHKの「夢であいましょう」や「若い季節」などでは、渥美清は、フーテンの寅のイメージとは全く異なり、都会的センスに溢れたコメディを軽やかに演じていました。

渥美清は、若い頃、自らの喜劇人としての可能性をテレビという新しいメディアの中でいろいろ試していた節があります。そして「フーテンの寅」という、日本男子のアーキタイプともいうべき役柄を、年に1本だけ演じることで、渥美清は喜劇役者として普遍的な存在となり、レジェントとなったのです。

渥美清と高倉健、昭和のスーパースターの相関性

渥美清扮する「男はつらいよ・フーテンの寅」シリーズの車寅次郎、そして、高倉健扮する「昭和残侠伝・唐獅子牡丹」シリーズの花田秀次郎。昭和を代表する映画の二大キャラクターといえば、この二人。ともに決してヒーローではなく、日陰の身でありながら、男としての筋目を通すため忍従我慢し、最後はその秘めた怒りを爆発させるというカタストロフィーは、戦後民主主義を謳歌する昭和の時代にあっても、日本の男たちの心を深く揺さぶるメンタリティーであったといえます。

唐獅子牡丹の第一作目は1966年。フーテンの寅の第一作目が1969年と、世は学園紛争で騒然した時代。時の若者たちは、デモに出かける前「唐獅子牡丹」で我が身を鼓舞し、「男はつらいよ」で、その傷ついた心を癒したものです。

渥美清「寅さん」名言集!「渥美清の伝言」とは

渥美清が演じる車寅次郎「名言集」

寅さんシリーズでは、「それを言っちゃ、おしまいよ」という台詞にみられるように、社会や会社、家族関係において、建て前やしがらみに悩む人々に、寅さんが発する小気味よい本音と正論が醍醐味です。「人間、額に汗して、油にまみれて、地道に暮らさなきゃいけねえ。

そこに早く気が付かなきゃいけねえんだ」、「たった一度の人生をどうしてそう粗末にしちまったんだ。お前は何の為に生きてきたんだ。なに?てめえのことを棚に上げてる?当たり前じゃねえか。そうしなきゃこんなこと言えるか?」。まさに反面教師、今で言うならしくじり先生としての寅次郎が語るからこそ、効く台詞です。

それは女性関係においても全く同様で、「思っているだけで何もしないんじゃな、愛してないのと同じなんだよ。愛してるんだったら、態度で示せよ」。こうして寅次郎が啖呵を切った台詞は、全てが自分自身に向けられた批判となり、寅次郎はまた旅に出ざるを得なくなるのです。

渥美清の「車寅次郎」的生き方に秘められた苦悩

渥美清の晩年については、彼の死後出版された「渥美清の伝言」や、いくつかの追悼番組で知ることができます。その中で印象的なのは、「渥美清の伝言」で渥美清が語ったこんな言葉です。「スーパーマンは、撮影の合間でも、子供たちに飛べ、飛べと言われる。でも実際は飛べるわけがない。寅さんも24時間、みんなに手を振ってなくっちゃいけない。これはたいへんなことですよ」。まさに「男はつらいよ」の渥美清であったといえます。

渥美清の「男はつらいよ」シリーズは、民俗学的考察までされている!

渥美清演じる寅さんの「男はつらいよ」シリーズは、テキヤの車寅次郎が、故郷である東京葛飾の柴又に戻ってくるたびに巻き起こす騒動と、毎回華を添えるマドンナたちとの儚い恋がストーリーの全て。寅さんがマドンナとの恋に破れ、また旅立って行くところで、映画は終わります。

学習院大学教授赤塚憲雄は、かつての評論集「排除の現象学」において、「さらば、寅次郎」という一篇を添え、車寅次郎に対して民族学的アプローチを試みています。彼はここで、車寅次郎を「永遠にパンツを脱がない植物的異人」と定義しています。やっと故郷に帰還しても、やがて死にいたるまで流浪の旅へ出なければならない異人は、恋愛、そして子をなすこともできない宿命を自ら甘受することで、故郷の人々にも、つかの間迎え入れらえる存在と説いています。

確かに日本の村社会では、そういう異人たちの訪れを楽しみとし、また、日常においては排除してきました。時は移り、今の映画やテレビ、そして演芸界を包括した芸能界もまた、未だにその現実は失われていません。だからこそ、一夜にして人気者になることができ、また、メディアによるリンチとも言えるパッシングが起こるのです。

昭和の映画スターや役者が偉大である所以は、そんな自分たちの存在意義を理解し、一私人としての自分とスターとしての生き様を、明確に分離して生きたからでしょう。そういう意味で、渥美清と高倉健のストイックな生き様は、たいへんよく似ていると言わざるを得ません。

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