市川右團次(市川右近)の独立騒動!香川照之との確執が浮き彫りに!?

市川右團次(市川右近)の独立騒動!香川照之との確執が浮き彫りに!?出典:http://www.theaterguide.co.jp

市川右團次(市川右近)の独立騒動!香川照之との確執が浮き彫りに!?

市川右團次(市川右近)が80年振りの名跡を復活させるも屋号を変更した襲名披露に「独立騒動?」との声が!

「市川右團次」は、歌舞伎界の上方の名跡です。2016年5月26日、人気歌舞伎俳優の市川右近が、この市川右團次を80年ぶりに復活させ、「三代目市川右團次」を襲名することを発表しました。

突然の襲名発表には、歌舞伎界も大いに揺れましたが、それにも増して皆を驚愕させたのが、市川右近がそれまでの屋号である「澤瀉屋」から「高島屋」に変更して襲名披露を行うことです。発表会見で、市川右近は、「屋号は変えても、澤瀉屋を離れるわけではありません」と答えましたが、周囲の関係者たちは、「これは澤瀉屋からの独立騒動ではないか」との困惑を隠せません。

市川海老蔵率いる市川宗家「成田屋」の弟子筋である「澤瀉屋」は、かつて歌舞伎界においては日陰の存在でした。しかし、市川猿翁(先代の市川猿之助)が創設したスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」が大ヒット。歌舞伎界の異端児と呼ばれた先代の市川猿之助の芸に惚れ込んだ市川右近は、わずか11歳にして「澤瀉屋」の門を叩いて第一号の部屋子となりました。

市川右團次(市川右近)が「澤瀉屋」を離れたことで香川照之との確執が浮き彫りに?

市川右團次こと、かつての市川右近が師匠と仰いだのは、自らの実力で地位を築いた先代の市川猿之助です。歌舞伎界での血筋にこだわることなく、血縁ではない国立劇場歌舞伎俳優養成所の卒業生たちにも、自身の技術を惜しげもなく教え込んで舞台に立たせたといいます。

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その中でも、市川右團次(市川右近)はリーダー的立場であり、先代が病に倒れた時には、自らが代役となって演じ続けて一門を支えてきました。その献身ぶりは、先代の妻だった藤間紫に、「右近を芸養子にして猿之助を継がせたい」と言わせたほど。

しかし2011年、先代と元妻だった女優・浜木綿子との間に生まれた俳優の香川照之が歌舞伎界に入り、長男の政明と共に、「九代目市川中車」「五代目市川團子」の襲名披露を行ったことで、市川右團次の立場は一変します。同時期、先代は「二代目市川猿翁」を襲名。市川右團次が継ぐはずだった猿之助の名は、先代の甥である市川亀次郎が襲名することに。

香川照之は、たしかに俳優としては実力者ですが、歌舞伎界においては素人も同然。そんな素人親子に一門を牛耳られてしまった市川右團次の胸中はいかほどだったでしょう。今回、市川右團次が澤瀉屋を離れるにあたって、「香川照之との間に確執があったのでは?」との疑念が浮上したのも当然かも知れません。

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市川右團次(市川右近)のプロフィール!結婚した嫁や子供は?

市川右團次(市川右近)プロフィールとは?

三代目市川右團次(市川右近)は、大阪府出身です。1963年11月26日に、日本舞踊飛鳥流家元の長男として誕生しました。父親は、日本舞踊飛鳥流家元の飛鳥峯王。市川右團次に歌舞伎の血縁はないとはいえ、芸事に関してはサラブレッドの血筋です。

1972年に、京都南座で初舞台を踏みますが、9歳の時に、先代・市川猿之助の舞台に感銘を受けて、小学校卒業時に上京。先代の市川猿之助に弟子入りして「澤瀉屋」の部屋子となり、本名が武田右近だったことから、「市川右近」の名を受けました。市川右團次は、1987年に、慶応義塾大学法学部政治学科卒業。

これにも、先代が慶応義塾大学卒だったことが大いに影響しているそうです。2017年1月3日には、新橋演舞場にて三代目市川右團次を正式に襲名し、屋号を「高島屋」に変更しました。私生活においては、3度の結婚と2度の離婚を経験しており、3人目の妻との間に長男(第一子)が誕生しています。

市川右團次(市川右近)には3度の結婚経験あり!嫁や子供は?

市川右團次(市川右近)には、3度の結婚と2度の離婚経験があります。最初の結婚は平成3年で、お相手は、元モデルだったようです。しかし、この時の市川右團次は、まだ28歳。歌舞伎役者として一門を支える立場であった彼には、まだ結婚は早過ぎたようで、1年も経たないうちにスピード離婚という残念な結果になってしまいました。

2回目の結婚は、平成11年。お相手の女性は元CAでしたが、この結婚も3年しか続きませんでした。何でも嫁がサルサダンスにはまってしまい、日本でトップを目指すくらいまで上達してしまったのだとか。「家に2人の演技者がいた」と市川右團次が語ったように、夫を支え続けなければならない梨園の妻という立場にはそぐわなかったのでしょう。

前嫁2人との間には子供はいませんでした。市川右團次が3回目の結婚をしたのは2006年で、相手は10歳年下の一般の方のようです。3年後には、待望の第一子である長男が誕生し、市川右團次は、46歳で父になりました。名前は、先代の猿之助の代表作であるスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」から「タケル」と名付けられたといいます。

市川右團次(市川右近)に81年ぶりの名跡「右團次」襲名を決心させた理由とは!

市川右團次(市川右近)は、2017年1月3日、東京の新橋演舞場「寿新春歌舞伎」にて、「三代目市川右團次」を正式に襲名しました。81年振りの名跡復活ということで、市川右近改め市川右團次は、「代々の右團次の名を辱めぬよう努力と精進を重ねてゆく所存です」と神妙な面持ちで宣言。

自らが41年名乗っていた「右近」の名は、長男である武田タケルが2代目を襲名しました。2016年5月の突然の襲名発表に歌舞伎界は大いに揺れましたが、本人は、「急に決まった話ではないんですよ」と語っています。実は、この市川右團次襲名には、ある大物歌舞伎俳優の存在がありました。

その人物とは、歌舞伎界のプリンス「市川海老蔵」。8年ほど前から、「市川宗家に市川右團次という名前があるので、右近さんどうですか」と打診を受けていたそうです。市川右團次は、上方出身なので、大阪府出身の市川右近と同じ。「右」という名前も同じです。

さらに、宙乗りや早変わりといった奇抜な演出がスーパー歌舞伎と似ていることに共感した市川右近は、右團次襲名を決心します。しかし、何より襲名へと駆り立てたのは、長男タケルの存在でした。「歌舞伎役者になりたい」そう願う息子の気持ちと、9歳の時の自分の境遇を重ねあわせたのかも知れません。「澤瀉屋を離れると言っても、息子は残って修行させます」と言い放った市川右團次。「私の試みが歌舞伎界の未来へと繋がる新しい兆しとなって欲しい」と熱く語っています。

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