井村雅代 結婚、夫や家族は?プロフィールと経歴 金子正子との確執!日本シンクロにメダルを獲らせたスパルタ言葉学の極意とは?

井村雅代 結婚、夫や家族は?プロフィールと経歴 金子正子との確執!日本シンクロにメダルを獲らせたスパルタ言葉学の極意とは?

井村雅代 結婚、夫や家族は?プロフィールと経歴

井村雅代のプロフィール 井村マジックを生んだ半生とは?それを支える夫や家族は?

日本のシンクロナイズドスイミング界の基礎を築き上げた代表的な指導者である井村雅代。その絶対的な指導力と実績から「シンクロ界の母」と呼ばれています。

井村雅代が2014年に日本シンクロチームの代表コーチに復帰してからは、チームが水を得た魚のように息を吹き返し、遠ざかっていたメダルに手が届くまでに成長しました。その独特な「スパルタ式指導法」で、世界的な選手を次々と育て上げた手腕に見られる「井村マジック」は健在だったようです。

大阪府出身の井村雅代は、小学校の頃から始めた水泳がきっかけで、中学からはシンクロに転向。その後、大阪府立生野高校、天理大学を卒業し、中学校の保健体育教師になりました。その間、井村雅代は、シンクロ選手として、日本選手権で2度の優勝、ミュンヘン五輪への出場を果たしています。この経験を生かすために教師を辞め、その後は強烈にストイックな姿勢でシンクロ指導者としての道を邁進しています。

シンクロ漬けの半生を過ごしてきた井村雅代ですから、65歳になった今でも結婚はしていないようです。夫や家族を得る幸せより、シンクロに人生を捧げてきたともいえますね。

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井村雅代 「シンクロ界の母」と呼ばれるコーチ経歴

1978年から日本代表コーチに就任した井村雅代には、自身のシンクロに対する情熱と、指導理念に対する石のような信念を譲らないという姿勢から、当時から敵が少なくはありませんでした。

ロサンゼルス五輪で、ソロ・デュエットともに日本チームに初の銅メダルをもたらした井村雅代。1985年には、コーチとして所属していたクラブから独立して「井村シンクロクラブ」を設立し、より理想形の選手育成を目指しました。しかし、設立直後は、前所属クラブからの「井村にプールを貸すな」という圧力のせいで苦労も多かったようです。

独立後のそんな苦境を乗り越えた井村雅代は、7年後のバルセロナ五輪では、クラブから初の銅メダリストを誕生させることができました。その後の毎オリンピックでメダリストを輩出。2001年世界水泳福岡大会では、立花・武田組が日本初の金メダル、アテネ五輪ではこのコンビと、チーム種目が、それぞれ銀メダルを獲得するという華々しい活躍。

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その後は、日本代表コーチを退任して、中国やイギリスのヘッドコーチに就任していました。日本のみならず各国から「シンクロ界の母」と呼ばれるようになりました。

井村雅代 金子正子との確執!日本シンクロにメダルを獲らせたスパルタ言葉学の極意とは?

井村雅代 金子正子との確執!「売国奴」と罵られても中国へ渡ったワケ

井村雅代は、中国シンクロ代表チームのヘッドコーチに就任した時、世間から「売国奴」などと大バッシングを受けました。オリンピックで日本代表チームに確たる実績を残してきた井村雅代が、日本代表コーチを去った原因については、中国からの高い報酬に目がくらんだのではないかという憶測もありました。

しかし、前シンクロ委員長・金子正子との確執があったためではないかと、いう見方のほうがより真実味があるようです。井村雅代が「あんなやり方では日本のシンクロはダメになる」と辛辣な言葉を残していることから、金子正子率いる日本シンクロ界に追放されたという構図が浮き彫りになりました。

そんな確執を象徴するように、北京五輪以降の2人の舌戦は激しさを増していきます。やがて、当初は中の下の実力しかなかった中国チームは、北京五輪以降、メダルを獲れるまでに成長。かたや、井村雅代の予言通り、日本シンクロチームは衰退の一途を辿っていきました。彼女の主張の正当性は証明された形ですが、その過激な姿勢が全体に迷惑をかけたとして、今でも日本シンクロ界にアンチが多いことは否めません。

井村雅代 ついに日本シンクロにメダルが戻って来た!スパルタ言葉学の極意とは?

ロンドン五輪ではメダルどころか、最高順位5位と完全に中国に突き放されてしまった日本シンクロ。2009年以後メダルから遠ざかっていた日本シンクロチームですが、2014年、井村雅代の日本代表コーチ再就任後、2015年の世界水泳カザン大会までの成長は素晴らしいものでした。

その成長の極意は、井村雅代の「スパルタ言葉学」にあるようです。テレビのドキュメンタリーで聞く、井村雅代の怒号、罵声には視聴者も身が縮む思いをしたことがあるでしょう。現代の風潮とは完全に逆行している井村雅代のスパルタ指導は「自分を追い詰め、無理をして練習しろ」という声かけから始まります。軍隊並みの練習に加え、共に練習に励む仲間内だからとはいえ馴れ合いは禁物。失敗すれば、仲間を責める厳しさも必要だといいます。

「一番デキのいい子に合わせる」「本番前にリラックスさせない」というのも井村雅代の信条。あんな関西弁で怒鳴り散らされたら涙のひとつも流れそうなものですが、もちろん涙も禁止。しかし、そんなスパルタ言葉学によって育てられた選手がメダルを獲得した時には、「これだけやったもんな」とねぎらう井村雅代の人情の深さを選手たちは信頼しているのかもしれません。

井村雅代 厳しさの裏にある愛情 リオで目指すは「本当に強い国」

リオデジャネイロ五輪まで1年を切った世界水泳カザン大会。乾友紀子・三井梨紗子ペアと、チームのデュエット・テクニカルルーティーンでの2つの銅メダルは、井村雅代のスパルタ指導に耐えてきた選手たちにとって大きな励みになったに違いありません。

しかし、オリンピックは、テクニカルとフリーの総合得点で順位を決める方式なので、今回フリーでメダルを逃したことは悔しくもあり、また、来年のオリンピックに向けて「油断してはならない」とさらなる向上心を掻き立てる結果になりました。それについて井村雅代は「悔しい思いを繰り返して、やっと本当に強い国と認められるようになる」とし、スパルタ指導を一層強化していく姿勢です。

井村雅代は、他国に比べてもともと身長が低い日本人は、競技において見劣りするとして、細やかな技術や動きを駆使したテクニックと、それ以上に完璧なまでの同調性に重点においた指導に心血を注いできました。日本選手の身体的デメリットが問題にならないほどの確実な力を育て、「全ての面で負けるものはないようにしなければいけない」という井村雅代の非情なまでのスパルタ言葉学の裏側には、日本シンクロ復権への思いだけではなく、選手たちに「金メダルを取らせてあげたい」という愛情が必ずあります。

苦しい練習に耐えてきた選手たちを表彰台の頂上に立たせてあげること、それが自ずと日本シンクロの復権へとなり得ることを井村雅代は知っているのです。

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