石田駆の出身中学や高校は?愛知学院大学生として2020パラ陸上に挑む

石田駆は2020パラ陸上の代表選手!愛知学院大学入学後に病気が発覚


石田駆のプロフィール
◆生年月日:1999年4月6日
◆出身:岐阜県
◆身長・体重:171cm・56kg
◆血液型:非公開
◆出身大学:愛知学院大学
◆第32回ジャパンパラ陸上100m、400m優勝

石田駆は東京パラリンピック陸上競技の代表選手!

石田駆(いしだかける)は短距離走の陸上選手で、パラスポーツの日本記録を次々と塗り替えて注目を浴びています。

2019年11月に開催された「ドバイ 2019 世界パラ陸上競技選手権大会」の400m(T47)で5位に入賞し、2021年3月に行われた「第32回日本パラ陸上競技選手権大会」では、100mと400m(T46)の両種目にて1位という快挙を達成。これらの実績により、2020東京パラリンピックにおける100mと400m(T47)の日本代表に選抜されました。

コロナ禍で思い通りの活動が出来なかった時期もあり、ランキング更新に対して不安にさいなまれたこともあったそうです。それでも、見事パラリンピック出場権を獲得できた理由は、「自分自身を信じ続けたこと」だと代表内定時にコメントしていました。

2021年4月時点の世界ランキングは第5位で、メダルへの期待を背負っての東京パラリンピック出場となります。そんな石田駆は、現在に至るまでに大きな試練を乗り越えていました。

石田駆、大学入学後に病気が発覚!左腕が人工関節に

石田駆は、ハンディを負う前から陸上選手として活躍していました。

スポーツ推薦で愛知学院大に進学した石田駆は、インカレこと「全日本学生選手権」出場の夢を叶えた後に競技生活を終えようと想定していたといいます。しかし、大学入学直後に、突如として大きな病に侵されました。

左腕の違和感に気付いたのは、大学1年生の5月のことでした。上腕が異常に腫れていたため大学病院に行ったところ、骨のがんである骨肉腫と発覚。2020年3月に記事が公開された「東京オリンピック・パラリンピックガイド」のインタビューで、診断名を聞いた時の心境を「もう陸上はできないのだろうと絶望しました」と振り返っています。

腫瘍は再発リスクが低いタイプだったことから、6月には左肩の筋肉を除去して人工関節に置き換える手術を受け、腕の切断は回避。リハビリに励んだ結果、12月には大学の練習に復帰し、2月頃から本格的なトレーニングを再開できました。

病気発覚前は、練習のつらさから引退の日を心待ちにする気持ちになることもあったものの、いざ競技から離れてみると、走りたい思いが込み上げたのだそう。

その後、父親の勧めもあって、パラスポーツの世界へ。100mでは、健常時代の自己ベストを上回るなど、現在も進化し続けています。

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石田駆の出身中学や高校は?400m全国大会に出場するも予選落ちだった

石田駆の学歴は?競技を始めたきっかけは?

石田駆は、父親が陸上経験者であったことから「駆(かける)」と名付けられました。

「走るのがそれなりに好きだった」という石田駆は、各務原市立鵜沼中学校に進学後に陸上競技をスタート。最初は花形の100m選手を目指しましたが、自分より速い選手が同じ学校にいたため、選手のいない400mを選択しました。

同校で陸上部顧問を務める左髙英希は、シドニーオリンピックのマラソン競技で金メダルを獲得した高橋尚子の指導を行った教諭です。石田駆は「全日本中学校陸上競技選手権大会」出場を経験し、スポーツ特待生として岐阜聖徳学園高校に進学しました。

石田駆は高校時代に400m全国大会に出場するも予選落ち

石田駆は岐阜聖徳学園高校にスポーツ特待生として進学し、陸上競技部で短距離出身の高木伸吾から指導を受けます。

学内にマシンジムも用意されているなど充実した練習環境の中で、記録を伸ばしていた石田駆。高校3年生の時には、「東海総体」にて自己ベストの48秒68を記録する飛躍的な成長を遂げます。

目標としていたインターハイこと「全国高等学校総合体育大会」への出場を果たしますが、予選で敗退。陸上トップ選手の実力を間近で見て「大学では彼らを抜かす」とインカレでのリベンジに闘志を燃やしていました。

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石田駆の2020パラ陸上はただの通過点?大学時代に成し遂げたい目標とは?

石田駆はパラリンピックの先を見ている?

石田駆にとって、東京パラリンピックは最終目標ではありません。

大学で競技生活を終えようという気持ちが吹き飛び、「世界トップ」を目指して走ることと向き合うようになった今、東京パラリンピックはあくまでも1つの通過点。延期により2022年8月に神戸で開催されることになった「2021世界パラリンピック陸上競技大会」や、2024年のパリパラリンピックでの活躍も見据えています。

東京パラリンピックでは期待を裏切らない活躍を見せており、2021年8月27日に行われた100m予選で、11秒15というタイムを出し日本記録を更新。決勝では11秒05とさらに記録を塗り替え、5位に入賞しました。9月3日に試合が行われる400mは、石田駆の本命種目。どんな記録を打ち立ててくれるのか、楽しみです。

石田駆の大学時代に成し遂げたい目標とは?

石田駆にとって、大学在籍中に達成したい目標があります。それはインカレへの出場。高校ではインターハイに出場した石田駆ですが、パラスポーツメインに転向した今も、学生の最高峰である大会で走ることは大きな目標となっています。

2020年3月に公開された「パラサポWEB」のインタビューで、日本インカレの400m標準記録47秒20を東京パラリンピックで突破し、出場を実現させたいと意気込んでいます。

パラ陸上で活躍する山本篤からも、「お前はそこを目指す選手になれ」と後押しされているのだとか。腕の動きの制限を補うべく、下半身の筋肉強化に励んでいます。病気発覚前から目標にしていたインカレの舞台で、石田駆が颯爽と駆け抜ける姿を見てみたいものです。

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