桐生祥秀は結婚や子供の誕生をYouTubeで報告!100m9秒台を出したスパイクとは?

2021年8月10日 更新

桐生祥秀は100m9秒台を記録した陸上選手!結婚している?子供の誕生をYouTubeで報告!


桐生祥秀のプロフィール
◆生年月日:1995年12月15日
◆出身:滋賀県
◆身長・体重:175cm・70kg
◆血液型:非公表
◆出身大学:東洋大学
◆所属:日本生命(マネージメント:アミューズ)

桐生祥秀は100m日本人初9秒台を叩き出した陸上選手!結婚している?

桐生祥秀(きりゅうよしひで)は、100mを9秒台で走る短距離走の陸上選手です。京都洛南高校3年生の時に出場した「織田幹雄記念国際陸上競技大会」100m予選で、日本人歴代2位となる100m10秒01を記録し、2017年開催の「日本学生対校選手権」100m決勝で日本人初の9秒台となる9秒98を叩き出しました。

2016年に開催されたリオデジャネイロオリンピックでは、4×100mリレーにて37秒60で2位に輝き、銀メダルを獲得。東京オリンピックでも同じ種目に出場しています。

そんな桐生祥秀は、2020年1月1に日に年上の一般女性と結婚したと自身のYouTubeチャンネルで報告しています。妻は陸上にはあまり詳しくなかったそうですが、「アスリートフードマイスター」の資格を取得しており、選手生活をサポートしているようです。

自身のYouTubeでは嫁の似顔絵を公開し、「これからも幸せに暮らしていきたい。家族ができますし、収入面でも養っていかないといけない。頑張っていきたい」と語っています。

桐生祥秀は子供の誕生をYouTubeで報告!

桐生祥秀は、2021年2月に長男が誕生したことをYouTubeで報告しています。これまで子供向けの陸上教室などで子供と触れ合う機会は多かったものの、まだ首の座らない、生まれたての我が子を抱いた感動は大きかったようです。

将来自分の子供に陸上を教えるかどうかについて、「いやそこは……、教えないかな」と笑いながらコメント。「頼んできたら。頼んできたらっていうのも変ですけど」と、子供が自分から興味を示したら教えると説明しています。

ファンからもコメントが相次ぎ、祝福の言葉に加えて「パパと選手の両立は大変だと思うけどきっと良いパパになれますよ!」「競技も子育ても全開で頑張ってください!」といった応援メッセージがたくさん添えられていました。

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桐生祥秀は韓国人だという噂があった?両親や兄とのエピソード!スパイクの秘密は?

桐生祥秀の名字のルーツは?学歴や両親や兄とのエピソード

桐生祥秀は、過去になぜか「在日韓国人なのでは」という噂が出たことがありました。しかし、桐生祥秀は滋賀県彦根市出身ですし、両親ともに日本名で、噂の根拠は不明です。

オリンピックに日本代表選手として出場していますから、日本国籍の日本人です。「桐生」という名字は、群馬県の桐生市地名が起源だと、2019年4月にNHKのホームページで公開された、アスリートの名前に関する記事に掲載されています。「切り開かれた土地」という意味で付けられた地名なのだそう。

幼い頃は外遊びが大好きだったという、桐生祥秀。休日になると、父親と4歳年上の兄と一緒に公園で朝から晩まで野球やサッカーに夢中になっていたそうです。小学校時代には、彦根市選抜サッカーチームでゴールキーパーを務めていました。

彦根市立南中学校、京都洛南高等学校では陸上部で活躍。片道1時間半かけて通学していた高校時代はお弁当が必要で、母親が毎日朝の4時半置きで用意していました。トレーニング環境が良い東洋大学法学部に進学し、卒業しています。

ちなみに兄・桐生将希は具府経済大学に進学、大学時代は陸上リレーの代表を務めていました。2019年に「子ども応援便りweb版」に掲載されたインタビューでは兄と仲が良く、頻繁に連絡を取り合っていると語っています。

桐生祥秀のスパイクはアシックスと開発!

桐生祥秀が2017年9月に日本学生対校選手権、陸上男子100m決勝にて9秒98を叩き出した時、その足元にはアシックスが彼のために開発したスパイクが光っていました。

このスパイクの開発にあたり、桐生祥秀は「足の裏全体をフラットに使って走りたい」など積極的にプロジェクトチームと意見を交換し、ともに納得のいくスパイクを作り上げたようです。

そして2019年9月、桐生祥秀は裏にピンが存在しないという新世代のスパイクを履いて、「世界選手権ドーハ大会」に挑みました。

以後、ピンなしのスパイクを愛用している桐生祥秀は2020年8月に「Number Web」に掲載されたインタビューで、技術と思いの詰まったアイテムについて熱弁をふるっています。

今ではピンのあるスパイクを履くと、違和感を覚えるほどなのだとか。「このスパイクはソールが薄いからこそ、自分の足でどう接地しているかがわかる」とその特徴について解説しています。

「クッションがないから、やっぱダメージはある」と弱点も明かし「だからこそ、これを履きこなせるように筋力トレーニングをしてます」と語り、スパイクを履きこなすために自身のトレーニングも意識しているようです。

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桐生祥秀にウサイン・ボルトがかけた言葉は?東京オリンピック・リレー決勝はまさかの展開に!

桐生祥秀にウサイン・ボルトがかけた言葉は?

桐生祥秀が「織田記念」で100m10秒01を記録し、日本人初の9秒台スプリンター誕生への期待が高まり始めたばかりの頃、9秒58の世界記録をもつウサイン・ボルトは、「先は長いから、時間をかけて、プレッシャーをかけずに楽しめばいい」とアドバイスを送っています。

最速領域にいるウサイン・ボルトだからこそ分かる9秒台の世界は、10秒台で走るよりも、肉体への負担ははるかに増すのだそう。

当時の洛南高校では、陸上部顧問の体罰問題が発生したため、桐生祥秀らは、一時的に指導者がいない中での自主練習を強いられていました。

そんな中、桐生祥秀の耳に届けられたのがウサイン・ボルトの「じっくり段階的に肉体を作り上げ、競技に集中すれば必ず大成する」「自分のために楽しんで走れ」という言葉でした。桐生祥秀は2021年2月に出演した「東京VICTORY」にて、ウサイン・ボルトのメッセージが励みになったことを振り返っていました。

ウサイン・ボルトは2017年11月に日本人初の100m9秒台をマークした桐生祥秀に対し「非常にハードな練習、努力をして(9秒台に)近づいていくさまも見ていた。私のモットー『全ては可能であり、限界を考えるな』を体現していた」とその功績を称えています。

2019年12月には国立競技場のオープニングイベントのスペシャルリレーにて、桐生祥秀は緑組のアンカーとして青組のアンカー、ウサイン・ボルトらと激走し、世界トップクラスの走りを見せました。

桐生祥秀はアキレス腱も回復してオリンピックにリレー代表で出場!決勝は走れず

桐生祥秀は2021年7月より開催された東京オリンピックに4×100mリレー代表として出場しました。同年5月下旬から右アキレス腱の痛みに悩んでいた桐生祥秀ですが、7月の代表合宿では「違和感は出なかった」と安堵していました。

「アキレス腱が気にならなかったのが一番の収穫。1ヶ月で仕上げる自信もある。ベストパフォーマンスでいける」と前向きな姿勢を見せた桐生祥秀。100mでの代表選考からは漏れましたが、リレーではきっと実力を発揮してくれるに違いないと、期待が集まっていました。

8月5日に行われた予選は、第1走から順に多田修平、山縣亮太、桐生祥秀、小池祐貴と、100mを9秒台で走るランナー3人が揃った史上最速メンバーで出場。バトンを受け渡すために2人が近付く「安全バトン」という戦略に従って走り切り、予選1組目の中では3着、38秒16というタイムで決勝進出が決定しました。

8月6日の決勝も同じメンバーでしたが、金メダル獲得に向けて予選とは異なる、受け手が早めに動きだす「攻めのバトン」で挑むと宣言。しかし、パスできるかギリギリの勝負に挑んだ結果、多田修平から山縣亮太にバトンがつながらず、まさかの途中棄権に。第3走者の桐生祥秀は、決勝という晴れ舞台を1歩も走ることができませんでした。

瞬間的に、悔しさが込み上げないはずがありません。それでも、桐生祥秀はしゃがみ込んだ多田修平とうなだれる山縣亮太に駆け寄り、声をかけ背中に手を添えていました。

桐生祥秀は試合後のインタビューで、涙を浮かべながらも「攻めてこういう結果なのは誰も悪くない」と、チャレンジを肯定した上で「深く受け止めていろいろ変えていかなくてはいけない」と、未来を見据える言葉を発しています。

「トップで走る姿で帰ってきたい」ともコメントしていますから、次のチャンスには、日本中が沸き上がるような明るいニュースを聞かせてくれてくれるのではないでしょうか。

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