吉沢京子の中村勘三郎への想いが切ない!太地喜和子と二股交際だった!
吉沢京子の初恋の相手は、あの十八代目中村勘三郎!
吉沢京子は、1954年生まれで現在62歳の女優。デビュー当時の彼女は、正統派の美人ながら、少しふっくらした体型で、セーラー服姿の愛くるしい笑顔が、昭和の青少年たちの圧倒的支持を集め、ブロマイドの売上で1位を獲得していました。
そんな少年たち憧れの聖女の吉沢京子が、亡くなった十八代目中村勘三郎と、デビューまもなくから6年間も付き合っていたとは。2人は、古き良き青春映画のような交際を続けます。おでこへのファーストキス、そして初体験。しかし、ゆくゆくは結婚をと考えていた二十歳を過ぎた頃、吉沢京子と十八代目中村勘三郎の間に、年上の魔性の女優、太地喜和子が割り込んできます。そして、若い2人の淡い恋は突然終わります。女は芸の肥やしとはいえ、中村屋!ほんとうに罪な男です。
吉沢京子は昭和少年憧れの的「柔道一直線」のみきっぺだった
吉沢京子が登場したのは、まさに高度成長期のど真ん中。1967年から1971年にかけて、大ヒットした漫画の実写版スポコンドラマ「柔道一直線」です。二段投げや地獄車という荒唐無稽な柔道の技はもちろん、当時27歳であった近藤正臣が、高校生役で登場。天才柔道家の彼がピアノの上に飛び乗り、足の指で鍵盤を弾くというシーンは、今でも、昭和ドラマのカルトなお宝映像として取り上げられています。
そして、ドラマの主人公、柔道少年一条直也のガールフレンドのみきっぺ役を演じたのが、当時まだ15歳だった吉沢京子です。ちなみに、当時、吉沢京子と人気を二分したのが、ショートカットがキュートな岡崎友紀。彼女もまた、少女漫画の実写版コメディ「奥様は18歳」のヒロインを演じて大人気でした。当時の教室では少年たちが、京子派と友紀派に分かれ、激しく対立していたとか。
吉沢京子の結婚相手は超セレブだった!息子を連れて離婚した理由は?
吉沢京子が芦屋のセレブ妻に
吉沢京子は、十八代目中村勘三郎との破局に傷心を抱えながら、20代をドラマや舞台の仕事に励みます。そして1983年、吉沢京子が29歳の時に舞台の仕事が縁で、家族ぐるみの交際をしていた大阪のコマ・スタジアムを経営する一族の次男坊と結婚しました。実は、この前年の1982年、吉沢京子ファンにとっては、結婚より衝撃的な事件が起こります。なんと吉沢京子がヌード写真集を出版したのです。
後に巷で囁かれたのは、吉沢京子は、ずっと引きずっていた中村勘三郎への思いを断ち切り、自らの結婚への弾みとしたのではないかという噂です。マスコミは、この結婚を玉の輿婚と書きたてました。新居を芦屋に構えた吉沢京子は、2年後に長男を出産。芦屋のセレブ妻として優雅な日々を過ごしているかと思われましたが、1989年11月に吉沢京子が親権を持つ形で離婚しました。
吉沢京子が息子を連れて離婚した理由と女優としての生き様
吉沢京子にとっては、根っからのぼんぼん育ちの夫や、上流階級の暮らしが合わなかったということではないのでしょう。吉沢京子が、やはり根っからの女優で、家に収まることができなかったのかもしれません。幸い、長男の養育費は一括して支払われたらしく、吉沢京子は再びドラマや舞台に復帰し、現在に至るまで、コンスタントに女優の仕事を続けています。
吉沢京子は1970年代初頭アイドル不在時代の絶対アイドルだった!
吉沢京子は、実は過渡期的なアイドルといえます。現在における女性アイドルのイメージの原型は、1971年にスタートしたアイドル発掘番組「スター誕生」前後にデビューした新人女性歌手。たとえば、麻丘めぐみや森昌子、南沙織を嚆矢とするのではないでしょうか。一方、1960年代後半、映画界は斜陽となり、かつてあれほどいた新人女優もいなくなっていました。そんな映画会社が、苦肉の策として、テレビドラマに進出。1960年代後半から1970年初頭にかけて見出された新人女優が、吉沢京子であり、岡崎友紀でした。
他には、坂口良子や山口いづみなども、この希少なグループに入ると思われます。彼女らもまた歌を出してはいますが、一様に歌がヘタだったことも共通点の1つ。いずれにせよ、1970年代初頭、女性アイドル歌手が大挙誕生する少し前、女性アイドルは、吉沢京子と岡崎友紀にほぼ独占されていたといってよく、日本の女性アイドル史における、エアポケットのような時代だったといえます。
吉沢京子は、どちらかといえば、映画全盛時代の新人女優を想わせるノーブルでスタンダードなアイドルであったのに対し、岡崎友紀は、来たるべき新時代を感じさせるキュートで友達感覚のアイドルでした。その後半世紀近く、アイドルの世界はまさに百花繚乱。今では、ひとりひとりの区別さえつかない大量生産状態ですが、同時代の青少年たちにとっては、その中から、もっとも自分の好みにあったアイドルを見つけ出し、推しメンとしているのでしょうね。