永瀬貴規(柔道)と高藤直寿のライバル関係!高校時代の急成長がスゴイ!

永瀬貴規(柔道)と高藤直寿のライバル関係!高校時代の急成長がスゴイ!

永瀬貴規と高藤直寿は幼い頃からライバル関係にあった!?永瀬貴規の高校における急成長を示す功績とは!

永瀬貴規(柔道)は、1993年長崎県長崎市生まれ、22歳の柔道選手です。階級は、81キロ級で、身長は181cm。永瀬貴規は、同じ柔道選手の高藤直寿と、幼い頃よりライバル関係にありました。小学校高学年の頃から、柔道の全国大会で入賞を果たすなど力を伸ばしていた永瀬貴規。

しかし、高藤直寿には負けることも多かったといいます。互いに、ライバル関係にありつつも、切磋琢磨してきた永瀬貴規と高藤直寿。競い合うライバルがいたからこそ、永瀬貴規は、高校2年以降に急成長します。高校選手権81kg級で優勝を皮切りに、インターハイ優勝、全日本ジュニア準優勝、エクサンプロヴァンスジュニア国際優勝など、素晴らしい功績を残しています。

永瀬貴規(柔道)のプロフィール!仲良い家族で特に母親に支えられてきた!?

永瀬貴規(柔道)は、長崎日大高校、筑波大学を卒業し、現所属は旭化成です。過去に世界選手権第2位を獲得したことのある大叔父の影響で、6歳の頃から、兄と共に柔道を始めました。永瀬貴規の家族構成は、両親と兄と姉の5人家族。兄は、日本体育大学を卒業後、長崎県の波佐見高校の教員となっています。

永瀬貴規の父親は、長崎税関に勤務しているため転勤が多く、永瀬一家は、官舎生活中心。密接した生活空間で過ごすことが多かったためか、家族・兄弟の仲はとても良いそうです。母親は、永瀬貴規の国内・海外遠征に全て同行するほど、彼の競技生活を熱くサポートしているといいます。永瀬貴規の母親は、柔道に熱中する息子2人を叱ることはなかったそうです。

永瀬貴規が中学生の頃は、学校に柔道部がなかったこともあり、稽古場まで何キロあろうが、車で毎回送り迎えをしていたという逸話も。母親の食事面でのサポートも手厚く、カスピ海ヨーグルトを食べさせていたことが、永瀬貴規の強靭な肉体を形成したという噂もあります。実は、永瀬貴規の母親は、中学・高校時代にテニスをしており、全国大会出場経験を持つ実力者。彼女の遺伝子が、永瀬貴規に影響している部分も大きいかもしれません。

永瀬貴規(柔道)の世界ランキングの変遷!柔道世界選手権、グランドスラムの戦績は?

永瀬貴規(柔道)の世界ランキングの変遷に迫る!二桁台にまで押し上げた戦績とは!?

永瀬貴規(柔道)は、高校以降急成長し、実績を残してきました。ここで、気になるのは世界ランキングの推移。2013年には23位だった永瀬貴規ですが、2014年には10位、2015年には2位にジャンプアップ。2016年8月時点でも2位と、世界トップレベルにまでのし上がっています。

2013年のグランドスラム・東京出場時点では、世界ランキングが126位でしたが、準々決勝で、世界2位のアブタンディル・チリキシビリ、準決勝では、ロンドンオリンピック5位の中井貴裕を倒します。そしてついに決勝で、世界チャンピオンのロイク・ピエトリを破り、5試合オール一本勝ちで優勝を飾った永瀬貴規。その結果、永瀬貴規を一気に世界ランキング23位まで押し上げました。

永瀬貴規(柔道)の世界選手権、グランドスラムでの戦績は!?そもそもグランドスラムとは!?

永瀬貴規(柔道)の世界選手権とグランドスラムの戦績ですが、世界選手権では2014年には5位、2015年には優勝を飾った永瀬貴規。グランドスラムでは、2013年にはグランドスラム・東京で優勝、2014年のグランドスラム・パリにて3位、グランドスラム・東京にて優勝、2015年はグランドスラム・東京にて3位、グランドスラム・バクーにて優勝と、いずれも素晴らしい結果を残しています。なお、永瀬貴規が大活躍を見せたグランドスラムとは、国際柔道連盟主催の柔道の大会。2009年のIJFワールド柔道ツアー導入に伴い開始されました。その他の国際大会より、上位の位置づけの大会になります。

永瀬貴規(柔道)が初出場のオリンピックで銅メダル!「この悔しさ忘れない」と次回東京オリンピックへの思い高まる!

永瀬貴規(柔道)は、初出場のリオオリンピックにて、81キロ級で銅メダルを獲得しました。3位決定戦での対戦相手は、世界ランキング1位のアブタンディル・チリキシビリ。永瀬貴規は、試合終盤、得意技の内股で有効を取り、優勢勝ちにもっていきました。永瀬貴規は、今回のリオオリンピックで、勝利に固執するあまり、安全策をとってしまったため、全力を出せなかったことを悔んでいます。

技術が至らなかったわけではなく、自分の気持ちが足りなかったものだと分析しているという永瀬貴規。気持ちを切り替えて、世界ランキング1位の選手に勝利して銅メダルを手にしたものの、「この悔しさ忘れない」というコメントを残しました。しかし、81キロ級は外国人選手の層が厚いため、日本にとっては「鬼門」と呼ばれてきました。日本人がメダルを獲得できたのは、2000年のシドニー五輪以来4大会ぶり2人目という素晴らしい成績です。

永瀬貴規はまだ20代前半と若く、これからオリンピックに出場するチャンスは何度かあるでしょう。今回のリオオリンピックでの悔しさをばねに、ますます精進して力をつけていくに違いありません。次回の東京オリンピックでは、勝利への貪欲さを貫いて欲しいものです。

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