村上龍より村上春樹が売れているワケ!おすすめ作品ランキング
村上龍より村上春樹が売れているワケ!同じ苗字で異なる作風を持つ2人の小説家
村上龍と村上春樹……同じ時代を生き、同じ名字を持つ2人の人気小説家がいます。しかし、世界的に見ると、「村上」といえば「村上春樹」。同じ「村上」と名のつく2人の人気小説家の違いは、どこにあるのでしょうか。
毎年ノーベル文学賞候補となっている村上春樹の作品は、「村上春樹ワールド」と呼ばれ、独特の雰囲気を持っています。昔の作品と今の作品では、文体や扱うテーマの変遷はあるものの、世代を越えて共感を得やすい普遍的ともいえるテーマで作品が彩られていることは一貫しているといえます。このことを、村上龍は、「すごく一般的なことを、春樹さんは書いている」と述べており、それこそが、世界中に村上春樹の読者がいる理由だと指摘しています。
対して、世相を反映したものが多く見受けられるのが村上龍の作品です。その時期に世間に衝撃を与えた事件や人々のメンタリティを掘り下げて、読む人に少なからぬ衝撃を与え続けています。「最大公約数みたいなことは書けなくて」と語る村上龍。その時代の人々が共有した事件、強い感情を素材とする衝撃作を生み続けているという点で、彼の右に出る者は少ないといえます。
村上龍おすすめ作品ランキング!代表作から3作品をピックアップ
村上龍の作品には、その時代の空気や感情を背景として、人々の生活や行動、社会の有り様が鮮烈に描かれます。
1980年の作品「コインロッカー・ベイビーズ」は、当時、世間で大きく問題視されたコインロッカーへの幼児置き去りを題材とした小説です。
1972年に、コインロッカーで生まれた「キク」と「ハシ」は、横浜の孤児院で育てられ、九州の養父母に引き取られます。その後、本当の母親を探すために東京へと姿を消した「ハシ」を追う「キク」の行動と、その2人が「本当の母親」に会ったときにとった行動とは……。読んだ者の心がざわつくこの作品は、第3回野間文芸賞新人賞を受賞し、2016年6月から7月には、舞台としても上演されました。
2005年に発表された長編小説「半島を出よ」は、北朝鮮による日本侵攻を描いた作品で、章ごとに、日本政府の人間や、北朝鮮の特殊部隊員など、さまざまな視点から物語が綴られます。作品執筆に当たっては、膨大な資料とともに、脱北者へのインタビューも行われました。
2004年に北朝鮮に拉致された被害者5人が帰国し、2005年には北朝鮮から日本海に向けて地対艦ミサイルが発射されたことで、日本の多くの人の意識が、北朝鮮にも向けられるようになったこの時期。世間の人々が、心の中に漠然と抱えていた危惧を、小説という形で具体的かつ鮮やかに描き出した作品です。「半島を出よ」は、第59回毎日出版文化賞、第58回野間文芸賞を受賞しました。
そして1976年の村上龍デビュー作、「限りなく透明に近いブルー」は、村上龍が武蔵野美術大学在学中に書かれた作品です。当時わりと硬派な作品が多かった中、麻薬と性に溺れる若者たちの姿を赤裸々に描き出し、第19回群像新人文学賞および第75回芥川賞を受賞しました。
堕落していく若者たちを描くというと、登場人物の心情は、主観的な視点で、荒々しく、あるいはどこか陰鬱に語られているとイメージするかもしれません。しかし、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」は、作品への感情移入を前提としない、淡々とした客観的な描写が続きます。暴力、麻薬、性といった荒っぽいテーマを、それまでの常識を覆すような文体で描ききったことが高く評価されました。
村上龍&小池栄子「カンブリア宮殿」が面白い!結婚した嫁や子供は?
村上龍&小池栄子「カンブリア宮殿」が面白い!時の経済人たちのドキュメンタリー
村上龍と聞くと、テレビ番組「カンブリア宮殿」を思い浮かべる方も多いでしょう。テレビ東京系で放送されている「カンブリア宮殿」は、村上龍をメインインタビュアー、小池栄子をサブインタビュアーとした「大人のための報道エンターテイメント番組」。
長く続いている村上龍の冠番組であり、その人気から、内容が単行本化もされています。毎回、話題の経済人1人をゲストに招き、活動のきっかけや、今後の展開、生じた問題やその解決方法などが、映像と共に紹介されていく「カンブリア宮殿」。番組に登場する経営者の発想や熱意に、毎回、唸らされたり、感銘を受けたりする視聴者も多いに違いありません。
そうしたコメントを引き出すのは、毎回、入念に下調べを行っているという村上龍から発せられる鋭い質問によるところも大きく、まさに彼あってこその番組だといえるでしょう。不定期コーナーの「ミクロの決死件」では、視聴者からの仕事やお金の悩みを紹介。経済界の偉人たちを紹介するだけでなく、視聴者の具体的な悩みにも耳を傾けることで、双方向的な楽しみ方ができる番組となっています。
村上龍の結婚した嫁や子供は?桐野夏生と御徒町凧なの?
村上龍は小説の他に、数多くのエッセイの執筆しています。また、テレビ出演で姿を見ることはありますが、家庭生活の匂いをほとんど感じません。しかし村上龍は、デビュー作「限りなく透明に近いブルー」が発表された年の9月に結婚しています。嫁は、エレクトーン奏者。
1973年頃、警備員のアルバイトをしていた村上龍は、その建物にあるヤマハ音楽教室で教えていた女性と出会ったようです。その後、男の子が生まれたという話も。村上龍の嫁として名前が挙がっているのは、2015年に紫綬褒章も受章した桐野夏生です。息子には、森山直太朗の詞の共作者として知られる御徒町凧では、と言われています。しかし、この噂話の出どころは不明で、どれほど信憑性がある話なのかは分かりません。
村上龍の高校時代は秀才かつ問題児だった!世相に鋭く反応できる資質を武器に
村上龍は、世相を的確につかみ、先を読み、それを掘り下げて作品にすることに長けた小説家といえます。それは、もともと持っていた彼の気質にもあるようで、村上龍の高校時代は、秀才ぶりと問題行動の両面で知られたものだったといいます。
村上龍の出身高校は、長崎県立佐世保北高等学校です。佐世保で一番の進学校といわれていますから、その入試を突破したとなると、村上龍は、中学時代からすでに秀才だったのでしょう。しかし、一筋縄ではいかない村上龍は、高校3年生のときに、全共闘運動へ参加しました。
村上龍の両親は教師で、学校をバリケード封鎖し、スプレーで壁にスローガンを書き、屋上から垂れ幕を掲げるなどした息子の行動に青ざめたといいます。厳しい校風だったため、高校退学も覚悟しなければならなかった村上龍ですが、当時の校長の温情で無期謹慎処分に。3カ月と長い期間にはなりましたが、最終的には退学処分を免れ、無事に高校を卒業しました。
そんな村上龍の高校時代が描かれた作品に、半自伝的小説である「69 sixty nine」があります。舞台は、1969年の佐世保。青年の溢れる情熱と、それを推進力として世の中を疾走する姿が気持ちよく、物語とともに、あとがきも好評な作品です。
また、大人になった村上龍が世相についてつづったエッセイとしては、「すべての男は消耗品である。」シリーズがあります。1984年から連載が続けられ、2013年で連載30周年を迎えました。今から読み返すと、「もう昔のこと」と感じられるかもしれませんが、その時代を鋭い目線で切り取る村上龍の先見性に改めて驚くことも多いエッセイ集です。
情報化が進み、政治も経済も怒濤のごとく変化し続ける「今」というこの時代をうまく泳ぐには、コンパスが欠かせません。世相を切り取り、深くえぐることを武器に作品を生み出し続ける村上龍。彼の文章を、時代を切り開くコンパスとして読むのもまた、面白い読み方かもしれません。