三宅一生の死因や家族は?84歳まで現役だった偉大なデザイナーの素顔

三宅一生の死因は?ファッション業界に残した輝かしい功績


三宅一生のプロフィール
◆生年月日:1938年4月22日
◆死没:2022年8月5日
◆出身:広島県
◆身長:非公開
◆血液型:非公開
◆デザイナー

三宅一生の死因や経歴は?

革新的な服作りで世界的に活躍したファッションデザイナーの三宅一生(みやけいっせい)が、2022年8月5日に、84歳で死去しました。死因は、肝細胞がんです。

三宅一生は多摩美術大学図案科を卒業後、1965年から約4年間、パリでオートクチュールの修行を積みました。次第に「普通の人々のための衣服」を志向するようになり、ニューヨークへ。同地では、既製服についての知識を身に付けます。

帰国後、1970年にデザイン事務所を設立すると、翌年にはファッションブランド「イッセイミヤケ(ISSEY MIYAKE)」を立ち上げ、1973年のパリ・コレクションに初参加を果たしました。

東洋の文化や伝統から着想を得て、「一枚の布」をコンセプトとする衣服デザインにこだわった、三宅一生。最新技術と伝統的な技法を融合させた独創的な服作りで、多くの支持を集めてきました。

三宅一生の死去に国内外から追悼の声

三宅一生が生み出したファッションデザインは、国際的にも高く評価されてきました。

1985年に第1回オスカー・ドゥ・ラ・モード最優秀外国人デザイナー賞を受賞。2010年には文化勲章、2016年にフランスのレジオンドヌール勲章コマンドール位を受章するなど、多数の叙勲や受賞をしています。

そんな三宅一生が死去した際には、ファッションデザイナーのポール・スミスやモデルの冨永愛、美術家の横尾忠則、小池百合子都知事など、国内外の著名人たちから追悼のメッセージが寄せられました。

三宅デザイン事務所は「生涯にわたり現役として衣服デザインの研究開発に取り組み、デザイン文化の発展に貢献し続けて参りました」とコメントを発表しています。

三宅一生に妻や子供はいる?語られていないプライベート

三宅一生に妻はいるのか?晩年も仕事一筋の職人気質

三宅一生の葬儀は近親者のみで執り行われ、故人の遺志を受け、告別式やお別れ会は開かれていません。妻や子供は、いなかったのでしょうか?

生前、三宅一生は著書やメディアなどで結婚や妻子について語ることはなく、家族についての情報はほとんどありません。

亡くなる直前まで、東京・六本木にあるデザイン専門施設「21/21デザインサイト」の運営をしており、デザインの資料制作に勤しんでいたと伝えられています。

デザイナーとして生涯現役を貫き、最期までファッションへの情熱を絶やさなかった三宅一生にとって、仕事が恋人のような存在だったのではないでしょうか。

三宅一生の仕事上の妻?40年来のパートナー・北村みどり

妻や子供はいなかったのではないか?と推測されている三宅一生ですが、仕事において40年以上にわたり伴走してきた、良きパートナーが北村みどりです。

北村みどりは1976年からファッションブランド「イッセイミヤケ」に加わって以来、三宅一生のコレクションや展覧会、出版物など全てのPR業務に携わってきました。

現在は「イッセイミヤケ」の代表取締役社長であり、三宅デザイン事務所の代表も任されているほど、三宅一生が信頼してきた存在です。

もしかすると、三宅一生と北村みどりはプライベートでも気を許しあえる良き関係だったという可能性があるかもしれませんね。

三宅一生がイッセイミヤケを引き渡し!受け継がれるデザイナー魂

三宅一生のイッセイミヤケは次世代のデザイナーへ

オリジナリティ溢れるデザインを生み出してきた三宅一生ですが、その代名詞とも呼べるのが「プリーツ・プリーズ」シリーズです。

1本の糸から素材を開発し、縫製後に加工を行う「プリーツ・プリーズ」は、近未来的なデザインでありながら、動きを制約することなく着心地の良さと高い汎用性を実現した衣服。アップルの創業者・スティーブ・ジョブズが、愛用していたことでも知られています。

「プリーツ・プリーズ」は、三宅一生の「暮らしの中で生きてこそ、デザインの存在価値がある」という信念があったからこそできた賜物でしょう。

三宅一生は1999年に後進のデザイナー育成のため、イッセイミヤケブランドを引き渡しています。その後は、デザイン制作をしながら展示会を精力的に開催してきました。

また2009年には自身が7歳の頃に広島で被爆した体験を、アメリカの新聞社・ニューヨーク・タイムズに寄稿。原爆症で母親を失い、自身も放射線の影響で骨膜炎を発症したという壮絶な過去を、初めてメディアで明かしていました。

重い口を開いたのは、体験を語ることで少しでも世界を変えたいという平和への願いからだったといいます。広い視野で、「後の世代のためになる行動」を考えていたことが行動に表れていますね。

自身のこだわりを守りながら、常に最先端のデザインを発信してきた三宅一生。その技術と熱い思いは次世代のデザイナーに受け継がれ、今後も世界中を魅了していくことでしょう。

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