2020年10月13日 更新
伊丹十三の死因は?異色の映画監督の死に疑問の声が出た理由
◆死没:1997年12月20日
◆出身:京都府
◆身長:180cm
◆監督デビュー作:お葬式(1984年11月17日公開)
伊丹十三の死因は自死、疑問の声が出た理由は?
映画監督の伊丹十三(いたみじゅうぞう)が1997年12月20日、事務所マンションから転落死したという一報は、芸能界を震撼させました。その死にあたって流布されたのは「死をもって潔白を証明する」というワープロ書きの遺書が残されていたこと。26歳OLとの不倫やSMクラブ通いの疑惑が、写真週刊誌「フラッシュ」に掲載されることに対して、気位が高くナーバスな性格であった伊丹十三が、抗議として死を選んだと解釈されていました。
しかし日が経つにつれ、伊丹十三の死に関して、さまざまな憶測や疑惑が浮上するようになっていきます。たとえば、字幕タイトルの文字1つにもこだわり、手書きの文字に愛着をもつ伊丹十三が、ワープロのつたない遺書を残すのは不自然でした。「フラッシュ」の取材に対して「(不倫疑惑は)いつものことだから」と笑いながら軽い調子で対応しており、人柄を知る身近な友人などから「そもそも、浮気だけで自殺するのも彼らしくない」という、疑問が数多く上がったのです。
伊丹十三は1987年2月公開の「マルサの女」でバブル期における政治家や銀行、ヤクザ組織が一体となった錬金術の仕組みを、1992年5月公開の「ミンボーの女」で、ヤクザによる民事介入暴力をとり上げ、任侠映画などで美化されていたヤクザの裏面を徹底的に批判しました。この「ミンボーの女」公開1週間後、伊丹十三は刃物を持った5人組の山口組系組員に襲撃され、急死に一生を得ています。
こうした背景があったため、伊丹十三のテーマへの探求が、ヤクザなど反社会集団、テーマに扱った組織などから厭われ狙われていたという説が出たのでしょう。さらに、死の直前に医療廃棄物問題や巨大新興宗教とヤクザ組織との関係を調べていたこともあって「伊丹十三の飛び降り自殺は偽装殺人では?」という疑惑が語られるようになりました。司法解剖の結果、大量の酒が胃の内部に残っていて、死の瞬間は酩酊状態であったそうです。警察ではその死を自死と断定しています。
伊丹十三は1980年代から1990年代を飾る異色の映画監督だった
伊丹十三は1933年生まれで、享年64でした。戦前に活躍した映画監督・伊丹万作の息子として生まれ、商業デザイナーから映画界入り。個性派俳優として活躍するだけでなく、イラストレーターや、エッセイストなど、マルチな才能を発揮します。
そして51歳の時に、1984年11月公開の映画「お葬式」で、映画監督としてデビュー。以後は、亡くなるまで「マルサの女」をはじめ、独立プロダクションとして10本の映画を制作し、永く不振だった日本映画界で、独り成功を収めていました。伊丹十三作品の特徴は、なんといってもテーマを徹底的にリサーチして練り上げたリアルな脚本です。伊丹十三の監督としての才能は、知性派で知られた父・伊丹万作の血を引いたものだったのでしょう。
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伊丹十三監督映画「ミンボーの女」のあらすじ!息子・池内万作の出演作は?
伊丹十三監督映画「ミンボーの女」のテーマは「民事介入暴力」
1992年5月の伊丹十三監督襲撃の理由になったといわれた映画「ミンボーの女」は、ヤクザの「民事介入暴力」をテーマとした作品でした。ヤクザの対応に困ったホテルが、宮本信子演じる民事介入暴力専門の女性弁護士を雇い、ヤクザの民事介入暴力に立ち向かうというストーリーです。
主人公の女弁護士が、ヤクザに襲われて瀕死の重傷を負いながらも、最後は、ホテル従業員たちが一丸となって、ヤクザを排除するという物語。バブルが弾けた当時は、土地で儲けることができなくなったヤクザたちが、金融関係者や弁護士などから法の網の目のくぐる術を学んで、恐喝の手口が巧妙化していた時代です。たとえ娯楽映画とはいえ、民事介入暴力に対するお手本のような「ミンボーの女」は、彼らの生業や面子を潰すものだったのかもしれません。
伊丹十三の息子たちは祖父や父の才能を超えられるか?
伊丹十三には、妻であり伊丹十三作品のほとんどで主演を果たした女優・宮本信子の間に、2人の子供がいます。長男は池内万作、次男は池内万平です。
長男の池内万作は俳優の道を進み、2002年1月から放送されたNHK大河ドラマ「利休とまつ」の豊臣秀次のような、知的でナーバスな青年といった役から、エキセントリックなサイコ役まで幅広い役柄をこなす俳優として活躍しており、ジャンルは刑事ものが多くなっています。2006年12月公開の伊丹十三が師匠と呼んでいた市川崑監督の「犬神家の一族」にも出演。次男の池内万平は現在、伊丹プロダクション取締役となっています。
伊丹十三の徹底したテーマへのこだわり!作品の魅力は色あせない
伊丹十三のこだわりは日常もエンターテインメントに変えた
伊丹十三は、1987年2月公開の「マルサの女」や1992年5月公開の「ミンボーの女」、遺作となった1997年9月公開の「マルタイの女」など、社会派のイメージが強い監督ですが、彼独特のこだわりが当たり前の日常をも一級のエンターテインメントに仕上げています。
たとえば、誰もが知っているようで知らない葬式のしきたりに振り回される家族を描いた1984年11月公開の「お葬式」や、ラーメンブームの走りともなった1985年11月公開の「タンポポ」。余命1年の男と病院の現状や入院生活を描いた1993年5月公開の「大病人」などがあります。
伊丹十三監督亡きあとも作品の魅力は色あせない
伊丹十三作品は、どの作品も基本はコメディ路線です。ほとんどの作品で主役を務めた、伊丹十三の妻である女優の宮本信子をはじめ、伊丹ファミリーとも呼ばれる役者たちが脇を固め、その独特の演出、画作りで魅せました。
その死から22年の時が経った2019年7月に「サワコの朝」に出演した宮本信子は「今になって伊丹十三を知りたいと皆さんにおっしゃっていただく…幸せですよね」と語っています。多くの映画ファンが次の作品を待ち望んでいたなかでの早すぎる死でしたが、伊丹十三が世を去った後も作品の魅力は今日まで語り継がれており、決して色あせることがありません。
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